わたしが何かを書いて、書いて、書き続けて、その先に何があるのか、あるいは何が見えるのかわからない。けど。
それでもわたしは書くことをやめられない。
どこへも行かず、ただ、ぼんやりと眠り続け、夜になるとPCに向かう。
わたしはいわゆる「廃人」なのだろうか。たぶん、そうだと思う。
やるべきことをやらず、生命活動を怠り、ひたすらに自分の気の赴くまま、詞を書いているのだから。
だけれど。これで書くことさえやめてしまったら、わたしは一体何になるんだろう。
また以前のようにまともな生活をおくるのだろうか。
本当は親にも申し訳ないと思っている。
まだ未成年とはいえ、そろそろ将来どんな職につき、どのようにして自立するのか明確な見通しがついていないと、本人のわたしもそうだが、親は本人でない分、もっと不安だろう。
これはただ現状に甘え、その巣窟の中に溜まっていった淀んだ空気を少しでも吐きたいと思い、書き始めたものだ。
結局のところわたしは、同じところで何もせず、自責だか焦りだか苛立ちだか、そうやって生まれたものを持て余して、それを自分以外の何かのせいにして、楽になりたいだけだ。
そんな弱くてどうしようもないわたしだから、願ってしまう。
馬鹿な話だ。この世界には、わたしなんかが想像できないほど、つらい思いをしながら生きている人がきっとたくさんいるのに。
甘えているのにも程があると、自分でも思うし、大体こんなものを書く暇があったら今すぐにでも行動を起こせばいいと、わかっている。
だけど、駄目だ。
動けないんだ。こうやって、書くことしか、できない。
わたしが願ったこと。

誰かに、わたしを認めてもらいたい。

だから、わたしは書くことをやめられない。書くことをやめたら、わたしは本当に、生きる目的を失くしてしまう。自分を構成できなくなる。自分がなんなのかわからなくなってしまう。
表現。わたしは自分を詞という形で表すことで、ようやくわたしが存在しているような気がする。
表現なんて、普段の日常生活でもしていることだけど、その「普段の日常生活」をできないわたしだから、この方法に至った。
自分を表して、それを他人に認めてもらうことで、はじめて自分という存在を得る。
誰かに、認めてもらう。
それを目的にして、わたしは書き続ける。
わたしがわたしを得るために。
書き続けるかぎり、生きていることを許される気がするから。
書くことは、表すことは、そしてそれを誰かにもわかってもらう、いやわからなくてもいい。誰かの何かに触れることは、遠くのどこかへ繋がる道になるから。

その道があるかぎり、わたしは歩いてゆけるから。

だから、書く。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

手記。

いろいろ脚色してるっぽいところはありますが・・・。
こういうのも表現の一つかな、と思いました。
ここで色んな歌詞を書いてきて、色んな音楽が頭に流れていたとき、
ふっと突然静かになって、なんとなくこの言葉たちが浮かびました。

たぶん、ピアプロに出会わなければ思わなかったことだから、ここにのせました。小説のようなものだし、ここから何も生まれないとも言い切れないかな、と思ったので。

あなたにとって、表現とはなんですか?

閲覧数:62

投稿日:2010/12/08 04:33:17

文字数:1,115文字

カテゴリ:小説

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