レンは実体化を止めて静かに佇む。耳の奥では、リンの言葉が木霊していた。
ありがとう。
 命を狩る瞬間にその言葉を言われたのは初めてだ。何故だろうと疑問が湧き、直後にカイトの台詞が脳裏に蘇る。
「レンに命を狩られるなら良いと思ってるよ」
 あれは、リンが自分の事を信頼してくれたと言う事なのか。
 レンはリンの頬にそっと手を当てる。ついさっきまで明るく話していた彼女が動く事は二度と無い。
笑ってこの世を去った人間は何人も見てきた。だが、目の前にいるリン程晴れやかな笑顔を見たのは初めてだ。もし自分以外の死神が命を終わらせていたら、最後にこんな顔をしていなかったのだろうか。
「仕事がまだ残ってる」
 傍から聞こえてきた声に振り向くと、鎌の少女がこちらを見ていた。睨んでいる訳では無いのだろうが、無表情の上に平坦な話し方のせいで、注意をされているように感じる。
「魂を冥界に送る。貴方の仕事」
「……ああ、そうだな」
 大切な事を忘れていた。リンの命は終わったものの、魂は残ったままだ。今の状態のままにしておくのは非常に危険である。
 死んだばかりの命から分離した魂は、死神が守るまで完全に無防備だ。外部からの干渉を強く受け過ぎてしまい、いかに強い魂であろうとも消滅する危険がある。そうなれば、転生する可能性がほとんど無くなってしまう。一度冥界に行った後、良くも悪くも強い意志で現世に戻って来た守護霊や悪霊とは違うのだ。
 レンは頬に当てていた手を離し、リンの顔の上にかざして一言二言何かを囁くと、拳より一回り程大きく、淡い輝きを帯びた白い光がリンの体から浮かび上がった。
この状態になれば、外部からの干渉を心配する必要は無い。自分の意志一つでいつでも冥界に送り出せる魂を見つめ、レンは両手でゆっくりと光を包み込む。
 この魂を冥界に送らず、自分が持ち続ける事は出来ないだろうか。そうすれば……。
 首を横に振って甘い願望を振り払う。魂を独占する事は神であっても許されない行為であり、摂理に反する事だ。
何より
「リンに怒られるな」
 自分の為にそんな事をするな。そんな風に怒鳴る姿が浮かんで苦笑し、数日前なら何を感じる事も無く仕事をしていた事をレンは思い出す。命を終わらせる事に欠片の疑問を持たず、ただ死神として行動していたあの時と、人の感情を知り、人間のように考えられる今。
 どうやらリンが言ってくれた事は本当だったらしい。彼女と別れたくないと思っているのがその証拠だ。
 だからと言って、魂を守る事と、自分の都合の良いように考えて独占する事は違う。リンの幸せを願うなら、ここで一度別れなくてはならない。
 笑って別れよう。死神の自分を愛してくれた彼女が、最後にそうしてくれたように。
「またいつか」
レンは笑顔でリンの魂を冥界に送り出す。白い光は一際強い輝きを見せて、レンと鎌の少女の前から消え去った。

 最早ここにいる理由が無くなっても、レンはその場から動けずにいた。ベッドで眠るリンは魂の無くなった亡骸で、今となっては何も残されていない。頭では理解していても、心のどこかでは受け入れたくない部分がある。
 どんな命でも終わりは訪れる。生まれてきた以上それは仕方が無い事で、回避する方法など存在しない。
 終わる事を受け入れられず、悲しく汚れてしまった魂を見た事がある。不老不死と言う妄想を求めた者などがそれに当たる。
 人間の歴史を見ていると時折そんな者が現れる。死や終焉を不吉なものとしか捉える事が出来ず、どうにかしてそれを避けようとした結果悲劇を生み、己のみならず他者の魂まで汚してしまう。
 長いか短いかは関係なく、死を受け入れ、人生に満足している者の魂には汚れも悲しみも無い。
 十数年と言う短い生涯でも、安らかに眠る事が出来たリンのように。
「温かかった」
鎌の少女が唐突に言い放つ。
「何がだ?」
 レンは振り向いて問いかける。一体何が温かったと言うのか。
「命を狩る前から終わるまで、ずっと魂が温かった。幸せに死んで逝く人はいたけど、こんなに温かくて幸せが溢れていた人、初めて」
 リンを指差して鎌の少女は説明する。相変わらず無表情ではあるものの、口調はどこか不思議と驚きが混じっていた。
「幸せになれたのか、リンは……」
 初めて出会った時は殺してくれと頼み、生きる事を諦めていた彼女。あの時のままこの世を去っていたら、冷たく悲しい魂になっていたのだろうか。
 自分が声をかけずにいたら、孤独なまま終わりを迎えていたのだろうか。
「……あ……」
 ともすると思い上がりに過ぎない考えに至り、レンは力の無い声を出す。

 生きる者に終焉を運ぶ死神が、誰かを幸せを与える事が出来た。
 
 そう思うのは自惚れかもしれない。だけど、リンが幸せに旅立ったのは事実で、確かに見届けた。仕事仲間の鎌も、リンの魂は温かかったと言ってくれた。それを聞いて安心している自分がいる。
 胸に空いていた穴が塞がっている気がするのは、空いた分と同じくらいの幸せを貰えたからだろうか。
 ……きっとそうだ。リンは人間の心と感情だけでなく、幸せとはどんなものかを教えてくれた。最後の短い時間だけでも、誰かを幸せに出来る事を教えてくれた。
 レンはベッドに向き直り、ト音記号とヘ音記号の首飾りを軽く握る。
「ありがとう」
 晴れやかな笑顔で心からの感謝を述べる。
「貴女のその笑顔、決して忘れはしません」
 永遠に、この世界が果てるまで。
「死神が、貴女の記憶を守りましょう」
 もう寂しくない。リンが心に生きているから。

「……行こう」
 レンは手を下ろし振り返る。鎌の少女が頷き、二人はその場から姿を消した。



















 冷たくも澄んだ空気が屋外を支配する季節。
 とある大きな町の片隅にある平屋建ての小さな一軒家には、『捜し屋』をしている人物が住んでいる。
 頼まれた仕事は全て解決するので信頼はされているが、その探し屋は風変わりな人物な為、たまにしか依頼人は訪れない。
「ふう……」
 安堵した様子で息を吐いているのは捜し屋。通称『シーカー』の人物は、事務所兼住宅の家の中で椅子に腰掛け、手には湯気の立つカップを持っていた。体は窓に向いていて、外の景色を眺めている。
「やっぱりいいな、ホットココアは」
 他に誰もいない部屋で一人呟き、甘い香りを漂わせる濃い茶色の飲み物を口にする。初めてこれを知ってから、七十年は過ぎた。数年から十年のズレはあるかもしれないが、大体そんな所だろう。
 冬が来るたび、時間の間隔が曖昧になってしまう自分の身を少々恨みたくなる。あの出会いが何年前の事なのかを正確に知りたくなる時があるからだ。
 尤も、それを知らなくても大した問題は無い。大切な思い出は心の中で生き続けている。
 シーカーは空いている手をおもむろに上げ、胸元を飾る古びた二つの金属をそっと触る。
一つはヘ音記号、もう一つはト音の形をした首飾りは、彼女と分けあった品。手入れはきちんとしているので首飾り本体は問題ないが、それを下げる為の革紐や鎖は何度も取り換えた。
 最初の頃は二つ別々に付けていたものの、初めて片方の首飾りの革紐が駄目になってしまった時、本体だけをもう一つ首飾りの革紐を通して身に付けた。それ以来、一つにまとめるようにしている。
 家の中と外を分けるドアから、コツコツと軽い物を叩くような音が聞こえた。
 依頼人が来たと判断してカップをテーブルに置く。椅子から立ち上がろうとした瞬間、ドア越しに聞こえてきた声によって動きが硬直した。
「すみませーん!」
 あの子とそっくりな、鈴を鳴らしたような澄んだ声。
まさか……。
 体全体がざわめくような感覚がする。
 こんな都合のいい事が起こる訳が無い。だけど、もし自分の予想が正しかったとしたら……。
「これが奇跡、なのか……?」
 信じられない。だけど、自分は奇跡を起こした人間を見た事がある。いや、接していたじゃないか。

 死神とごく普通に接し、人の感情と心を教えてくれた一人の少女。

 良く考えてみれば、それだってあり得ない事だ。命が終わる直前でも無いのに死神の姿が見えたり、相手が神だと知っても普通に接したりする事なんてそうそう出来る事じゃない。
 コン、コン。
 再びドアを叩く音がして我に返り、シーカーは外に向かって声を上げる。
「少々お待ちを!」
 留守だと思われて帰られたら確かめようが無いし、寒空の下でいつまでも待たせるのも悪い。シーカーは慌てて立ち上がりドアへと足早に進み、深呼吸をして心を落ち着かせてドアノブを握る。
 ゆっくりとドアを開く。外に立っていた依頼人を家の中に招き、シーカーは微笑んで声をかけた。

「捜しているものは何ですか? 金髪の可愛いお嬢さん」

END

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

黒の死神と人間の少女のお話 10

 あらゆる生き物の幸せを願う死神。そうなるきっかけを作ったのは、一人の少女との出会い。


 思ったよりも大分長引いた……。5話か6話位で終わるかなと考えてたのに、気が付けば10話で終了。何でこんなに伸びてんだ(笑)

『捜し屋』をしているおかげなのか、昔より大分人間臭くなっている死神様。

 今日も世界は、同じように廻っています。
 

閲覧数:269

投稿日:2011/06/24 11:20:45

文字数:3,648文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

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  • 零奈@受験生につき更新低下・・・

    きゃああああ!!
    完結おめでとうございます&読ませていただきました!
    さ、最後に『捜し屋』が入っているのを自作以外で初めて見ました!
    なんであっちの曲は伸びないのでしょう・・・いい曲なのに。
    鎌からしても規格外な彼女は、もっと長生きしても良かったはずです!
    そしてリン(推定)の彼女はどんな依頼をするのか、気になります。
    matatab1さんの『捜し屋』も読みたいです!
    ではでは。

    2011/06/26 11:23:16

    • matatab1

      matatab1

       妙に延び延びになった作品を読んでいただき、ありがとうございます。

       捜し屋エンドは、「どうせならこの曲も少し入れたいよなぁ」と思って、結構軽い気持ちで決めました(笑) 依頼の内容とかは詳しく考えていません。
       ニヤリとできる小ネタが好きなので、『同じ作者の別の曲』は何らかの形で入れたくなるんですよ。

       鎌はレンに比べて生き物の命や魂に直接触れる機会が多いので、リンが幸せだった事をすぐに察する事が出来たのだと思います。
       登場はしていませんが、七十年の間に鎌もかなり人間臭くなってます。

      2011/06/26 12:19:56

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