イアは、クランベリーソーダを飲みながら、いつかの事を思い出す。
かつてこのバーで歌って居た16歳の少女と、その少女を守っていた双子の事を。
彼等は、ある日、バーに来ていた「メイコ」と名乗る琥珀の目の女性と会い、自分達に「法的に守られる権利」があることを知った。
メイコは、「他の子供達にも、声をかけている。証拠も集めてある。あなた達に、自分の身に起こった出来事を証言してほしいの」と言ったそうだ。
個人を特定させないことを条件に、3人はその願いを引き受けた。
イアは、子供の人権について詳しい、神威弁護士に3人のことを話し、子供達の弁護を頼んだ。
メイコの同僚であるカイトが、子供を対象に行われていた「人体実験」と「感覚器の破壊手術」についての決定的な証拠を研究施設内で集めており、裁判はあっけないくらいに簡単に勝訴を勝ち取れた。
施設には高額な賠償金が課せられ、所員のほとんどは塀の中に入った。
終身刑を言い渡される者、死刑を言い渡される者、10年以下の懲役に課せられる者、多額の罰金を払ってなんとか罪を逃れる者、色々あったようだが、彼等のその後の人生は決して明るくない。
裁判の内容はマスコミにも取り上げられ、かつて研究所の「最高責任者」だった人物が、裁判にかけられている様子のスケッチがテレビ画面にも放送された。
施設に収容されていた子供達は、孤児院に引き取られたり、親元に帰ったりしたらしい。
なんでも、中には所員にさらわれて来た子供も居たそうで、実行犯への罪の加算の報道や、親子の対面の場面も取り上げられていた。
今、このバーでは新しい女の子が歌って居る。
だが、かつてあの少女が拍手喝采を浴びていたときのような盛り上がりはない。
静かにシックな曲を、差し障りなく歌って居ると言う雰囲気だ。
メイコに連れられて行ったあの3人は、どうしているだろう。住む場所も仕事も変えて、普通の子供と変わらずに過ごしているだろうか。
彼等を思い出すたびに、イアはこのバーに足を運ぶ。此処に来れば、またあの3人に逢える気がした。
裁判から2年が経過した日、バーに来たイアに、「伝言だよ」と言って、マスターが分厚い封筒をよこした。
そこには、リンからの手紙が収まっていた。
「イアさんへ。連絡が遅くなってごめんなさい。私達も、ようやく生活が安定して来たところなんだ」と言う一文から始まった手紙には、こうあった。
ミクは、相変わらず何処かのバーで歌姫をやっており、その収入を、リンが通信制の高校で勉強をする費用にしてくれている。
レンは、「いつか私と話してた通り」に、体を鍛えられ、学歴が無くても勤められる職として、大工の下働きをやってる。
「まだ飯炊きと角材運びくらいしかさせてもらえてないけど、だって」と、リンの手紙は続く。
ミクの収入は主にリンの学費にあててしまっているので、今はレンが一家の大黒柱らしい。
リンは、「高卒の資格が取れたら、看護師に成ろうと思ってるの」と綴っている。
イアが、家に帰って手紙の続きを読むと、最初の手紙の後に書いたらしい、紙の真新しい便箋が入っていた。興奮したような走り書きで、こう書いてある。
「驚きの大ニュースがあるんだ。ミク姉の所に、アイドル事務所のスカウトの声がかかったんだよ! もちろん、歌の仕事。すごいと思わない?!
事務所にちゃんと所属して、デビューソングも決まったの。いつか、ミク姉の歌が、フツーの音楽として聴けるかも!」
イアは、クスクス笑いながら、ウォークマンに録音した「MIKU最新シングル」を聴いた。
あの頃、まだ幼さの残って居た声は、張りと艶を持ち、まっ直ぐに、未来を歌って居る。
「怖くなんかない。果てなんてないよ。この世界はまだ。明日が残ってる」
イアは、ミクの唱えるこのフレーズが好きだった。
ミクの「目」に映るのは、決して「綺麗な世界」だけではないだろう。だけど、彼女は希望を歌う。声の届く限りに、迷いなく。
ミクが歌い続け、あの双子が精一杯に生きようとしているこの世界が、イアは愛おしかった。
私は、あの3人に逢えてよかった。
もう、自分の中に生きている、12歳の親友、アイの事を思い出しても、イアは「死」については考えない。
ある日、イアは駅前の路上で歌って居た、20代後半と言う雰囲気の女性に、少々の「支援」をした。500円玉一枚。
「ありがと。おねーさん、なんかリクエストある?」と、生ギターを抱えた、黄緑色の目の女性は聞いてくる。「ポップスなら大体知ってるよ?」
「MIKUの、『light sight』って、知ってる?」と、イアは聞いた。
天使の果実 エピローグ/小説
一週間(正確には10日)、お付き合いありがとうござました。
「天使の果実」小説版、完結でございます。
作中に出てくる歌詞のタイトルなどは、全て架空のものでございます。
歌詞だけはちょっと書きましたけど、
フレーズだけ伝われば、後は読み手の方の思う「歌」を思い描いて下さい。
何気に「神威」さんが苗字しか出てこないし、
活躍のシーンを書くことはありませんでしたけど、
登場させるなら「神威樂保(かむいがくほ)」と名乗らせようと思っていた、
と言う隠しエピソードを添えておきます。
この物語は、フィクションです。
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