#6
僕が柏原に話しかけようと決心を決めるのは金曜日の下校時と決まっていた。もし気まずさが残って別れたとしても、土日のうちに落ち着くことができるし、月曜日にはリセットできる。もし柏原が僕に興味を持ってくれたとしたら、土日に話したいことを溜めて、月曜日に話してくれると思うからだ(重大な論理破綻がある。気まずさを忘れるなら、興味も土日で忘れる。はなはだ都合のいい論理である)。
 テストは決まりの悪いことに木曜日に終わり、決まりのいいことにその日に僕は学生証を落とした。そして金曜日。僕は柏原に話しかけるきっかけと決心を同時に得た。
 朝の挨拶はまだ続いていた。その朝は何だか気まずかった。お礼を言うなら会ったその場で言った方が気分がいいからだ。
 その日一日は気まずさと不安があった。ひどく陰鬱な気分だった。
 その日のホームルーム。クラスのどこからか、自然発生的に席替えを行おうという空気が充満していた。テスト終わりという時節柄、担任もちょうどいいと了承した。
 一列ごとに男女交互だった席が、男女混合、入り乱れての席配置になった。僕は廊下側の真ん中あたりに、柏原は窓際の一番前になった。何だか見方によっては、隅に追いやられたようにも見えた。そう思えたのは、大木と枝下がもれなく一番後ろの席に移動したからだ。偶然のことだろうと信じたいが、何か不正があったとしたら、柏原の席は意図的に決められた可能性があって――僕の中に危機感があった。

#7
 下校、駅に着いた。邪魔は入らなかった。ホームは閑散としており、僕としては理想的と思える光景だった。夕暮れ時、赤い風景ではないけれど、申し訳なさげな太陽が傾き始めている。もうそろそろ六月。
 駅のホームのベンチに、柏原はただじっと座っていた。僕は少し離れたところで電車を待っていた。バスの少ないダイヤは電車にあわされている。すぐに電車が滑り込んできて、僕は柏原と同じ車両に車両に乗った。
 柏原はすぐに広い席の真ん中に座った。隅っこじゃなくて真ん中。不思議な習性だなと思っていた。その理由も聞いてみよう。
 太陽の差し込んでくる窓の対面――表情が見える。席替え前の席で、ちらと見たときにいつもしていた無愛想な無表情の顔を、僕はその時初めて真正面から見たような気がしてうろたえた。
「柏原さん」
 怖気づいてはいられない。そう声をかけると柏原はふっと顔を上げて僕に向けた。
「隣、座るよ」
 用意しておいた言葉をかけて、隣に座る。断られるのは嫌だから、あくまで儀礼的に。『あ』と動揺の言葉が聞こえて――僕はそれを無視した。
「昨日はありがとう、学生証を拾ってくれて」
 僕はそう言って学生証を胸ポケットから取り出して見せる。
「あ――うん――どういたしまして」
 少し戸惑ったような声だった。
「定期が入ってたんだ。おかげで無事に帰れたよ」
「あの――古藤くん」
 どきっとした。
「どうしたの?」
 そう聞くより先に柏原が呟いた。僕は何も言えなかった。
「いや、ただお礼が言いたくて――」
 僕はそれだけ言って目を窓の外にうつした。――急にこの間が気恥ずかしくなった。
 町が遠ざかって、盆地の切れ目を電車が走って行く。朝鷺川に差し掛かった時、正面に太陽があって強い光が目を刺した。朝鷺川は僕の街と、学校のある町とを隔てる格好で流れていて――橋脚は十本以上あるあるような大きな川。平行して国道の通る橋がかかっている。
 街に入ると遠くの方に山があって、太陽が隠れて光が和らいだ。僕はようやくそこで、聞きたいことを思い出した。
「どうして真ん中に座るの?」
 応えてくれない。
「隅に座ればいいのに」
 それだけ言ったらちょっと俯いて
「だっていつも隅にいるもの」
 僕は悲しくなった。その言葉に、その言葉を言う表情を見せてくれないことに。無理もないか――と思いもし、くやしかった。
「席替え、隅にいっちゃったね」
 うつむいたまま。
「学校楽しい?」
 何も応えてくれない。
 緩やかに電車は速度を落としていく。アナウンスが流れた時、柏原は立ち上がった。何か応えて欲しかった。僕は柏原の後ろについて、ドアの前に立つ。
「あのさ、柏原――」
「古藤くん」
 隙間風見たいな声。もうここに居たくない、立っているのもやっと――、ドアの脇のポールを握る手を見ると、こめられるだけの力をこめているのか、真っ赤だった。
 電車が停止して、太陽の光が差し込んできて、また僕の目を刺した。
「私に近寄らないで、優しくしないで、話しかけないで。私は霧の中の、陽炎でありたいの」
 それだけ言って、開いたドアから柏原はホームに駆け出て行った。その言葉に呆然としながらも、あぁその言葉を言う表情が見れなかったと、僕は思っていた。

#8
 僕には柏原の言葉がわかりかねた。そして僕がとるべき今後の行動も。
 月曜、柏原は学校を休んだ。火曜日も水曜日も――そして一週間、金曜日になった。
 僕はその間じっくりと柏原の言葉を考えることができた。そして今のクラスでの柏原の立ち位置というものも。
 柏原の言葉は、一応の理解をつけた。あれは立派な比喩だ。霧の中で陽炎なんて起こりっこない。柏原のいない月曜日の電車の中で、そんな簡単なことにやっと気付けた。でももしだ。霧の中で陽炎を見つけたとしよう。その場所にいったところで、陽炎は遠くにいってしまう。光の屈折の悪戯は、離れた場所からしか確認できない――。
「誰からも気付かれない場所で、誰にも近付くことのできない存在でありたい」
 火曜日の数学の時間に考え及んで、寂しくなった。

 そして柏原のクラスでの立ち位置。枝下や大木に聞いたところ、この間の席替えには確かに不正めいたところがあったことを聞き出せた。でもそれは枝下の女友達の(腐れ縁だと枝下は言う)、杉本がある程度仲良しグループと居たいが為の不正であって、枝下と大木はそのおこぼれをもらったにすぎない――。全体としてどんなあんばいなのかはわからなかった。
「何でそんなこと聞くんだ?」
「お前ら揃って後ろにいくからだ、ちくしょう」

 そういった事実を知ってみると、クラスの誰かが柏原を笑っていてもおかしくないと思った。僕は怖かった。柏原が戻ってきても誰も迎え入れてくれないんじゃないか――いや、まだそれならいい。誰かが柏原を攻撃し始めてしまうのではないかと。水曜日、木曜日になると、ホームルームで先生が柏原の欠席を伝えた後に、妙なざわつきがないか不安だった(それを確かめるすべはなかった。もとからホームルームは騒がしかったから……)。
「古藤くん、ちょっと」
 金曜日、午後のホームルームが終わって下校にわく教室。僕はその教室を出るときに担任に呼ばれた。
「何ですか?先生」
 そう言うと先生は柏原の席に近付いた。
「ほら、古藤くん、柏原さんの家に近いでしょ、一週間分持っていって欲しいの」
 そう言って柏原の机の中に溜まっていた一週間分のプリントを輪ゴムでまとめた。
「はぁ……でも柏原さんの家、僕知りませんよ」
 と言うとポケットをまさぐり
「はい」
 と折り畳んだ紙をまとめたプリントの上に置いた。用意がいい。

「あー言われて思い出した」
 膨れ上がった鞄を見て、杉本が話しかけてきた。実のところ、杉本と話すのは初めてだった。枝下と話しているところを以前見たときは、騒がしい子だと思ったが、今はいたって落ち着いている。腐れ縁とはそう言うものなのだろう。
「やっと思い出したって、枝下の席の近くだったよ」
「だって私視野が狭いもん」
 と真面目に言う。何だか呆れた。
「ま、それは冗談としてもさ、私、自己主張のない子って眼中にないの。古藤のことだって最近知った」
「いつ?」
「枝下の家でレコード見たでしょ?あの話枝下から聞いたとき」
 何だかすごい性格の女の子だと思った。

#9
 僕の街に帰って、いつもは曲がらない道を曲がった。地図を頼りに行くと、街並みが消えてだだっ広い田園地帯に出た。そのずっと先に連なる山々の前にお椀を伏せたような小高い山が見える。地図上で見るとまさに孤島のように見える。その山の上に神社があるらしく鳥居の記号がかかれていて、そこに赤ペンで丸がついている。名前は『柏原神社』。わかりやすい。
 家から駅への行き帰りは自転車を使っているから、舗装された田んぼの道の中を走るのは気持ちがよかった。田植えが済んで少しだけ成長した稲が、風の度にざわざわ音を立てる。湿気は多いが、山から吹き下ろす緩やかな風が冷たさを与えている。
 いくつかの農作業小屋を脇に見ながら、お椀山の下にたどり着く。振り向いて見ると街並みが遥か遠くに見える。お椀山の下にも家が連なっている。農家の人の家だろう。でも町とは言えない。集落と言った方が似合いそうな所だった。こうしてみると、田んぼに隔絶された国のように思える――。
 お椀山の田んぼに向いた道側にバス停がある。その脇に長い階段がある。ひどく錆びついたバス停の立て札の後ろに自転車を止めて、僕は階段を登る。少し登ると道路があって、それを横切って渡るとまた階段がある(道は山肌に沿うようにとぐろを巻いている)。家は階段のすぐそばまで近付いていて、上の道と下の道にまたがるようにして建てられていて、上からも下からも入れる二階建て構造になっているようだった。車庫は建物の下側の道にあって、山肌をくりぬいて作ってあった。何だか奇妙な遺構のようだと思った。
 階段を上へ上へと登っていくと、登りきった先に鳥居があった。鳥居にはめられた額には『柏原神社』と書かれている。

#10
 鳥居の先にお社が見える。ここの神様が降りてくる所だろう。こじんまりとしているが、綺麗に清められている。材質についてはよく分からないが、きっと柏でできているのだろう。神社の名前からそう類推した。
 境内を奥に行くと、(人が住むには)こじんまりとした平屋の家があった。正面に回ってみると表札に「柏原」と書かれている。その下に家族の名前が五人書かれている(一つは黒く塗りつぶされているから六人『居た』のだろう)。その中に知子とある。
 呼び鈴を押すと、古風な音がした。中からはーいと言う高い女性の声がして、ばたばたと玄関に近付いてくる音がする。
「どちらさまです?」
 学生服の男が立っていて、何だか面食らったような表情をしている。女性――と言うより少女は、顔だけ玄関の先に外に出して首を傾げた。
「あの――西校の生徒で、柏原知子さんのプリントを届けに――」
 西校と思い当たる節があり、知子と聞いたあたりで何だかうれしそうな顔になって
「あーあーあー、ちょっと待ってください」
 そう言って今度はばたばたと慌てて玄関の外に出てきた。せわしい子だ。
 引き戸をしっかり閉めて僕の正面に向き直る。そして少し声を落として
「古藤さん?」
 間違ってはいないから頷く。誰かに聞かれたくないようだったから、声は出さない。
「お話があります。でも私じゃなくて、お父さんです」
 え?
「上がってきてもらって悪いんですけど、下に居ます。私はお姉ちゃんを見てないといけないから、案内できないので――」
「え、え、ちょ、ちょっと待って」
 きょとんとしている。お姉ちゃんと呼ぶからには、この子は柏原の妹なんだ――と考えるんだから一面では冷静だ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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朦朧と咲く悪魔花 【未完・下】

2010年2月14日、習作。先程ぶりです。今のところこれでおしまいです。タイトルの悪魔花、未だに関係ねえ……。

何がしかご意見いただけると幸いです。失敬。

閲覧数:80

投稿日:2010/02/14 04:10:44

文字数:4,689文字

カテゴリ:小説

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  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    こんにちは、sunny_mです。

    おおお、未完ながらもお話だ!と喜びました。
    こういう感じ、好きです。
    話の輪郭はしっかりしているのだけど、感覚としては溶け出しそうな感じ。
    あやふやで定まらないゲル状の物体を、直方体に押し込んでいる感じ、というか。
    アイスとかヨーグルトとかじゃなくて、ゆるめの透明なゼリーみたいな。
    、、、おかしな事を言ってごめんなさい。
    この年代の、感覚がよく出ていると思いました。

    それでは。

    2010/02/16 14:41:40

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