「シーン7、カット3、スタート!」
カチンコが鳴り、撮影が始まる。

昼休み、晴天の校舎の屋上。深呼吸したくなるような気持ち良い風が吹いている。
リンはポッキーを齧りながら空を眺めていた。水色の空に、高く飛ぶ飛行機が白い雲の線を引いていく。
こうやってぼんやりと空を眺めながら、あの飛行機はどこに行くんだろうとかのんきなことを考えていると、心がだんだん軽くなっていく気がする。
昼休みは友達と一緒に弁当を食べたりおしゃべりして過ごすことが多いのだが、リンはこうして時々一人で屋上に上がる。
年頃の女の子なので、リンも人並みにいろんな悩みを抱えている。ここでのんびりと自分だけの時間を過ごしていると、心がリセットされる気がするのだ。

ガチャリとドアが開く音がした。リンはビクッとしてその方を見る。
鍵を掛けているわけではないから誰が上がって来てもおかしくはないのだが、今までそんなことがなかったのでちょっとビックリしてしまった。男子や先生じゃなければいいなと思った。

ドアを開けて出てきたのは、意外にもミク先輩だった。
ぼんやりしてたところへいきなり憧れの人が現れ、リンはドキッとした。風で乱れた髪を慌てて手櫛で直す。
リンに気付くと、ミクは近づいてきて隣に座った。
そよ風が一瞬、花のような香りを運ぶ。ミク先輩の髪の匂いだ――音楽室で、リンはその香りを覚えていた。

天気のいい日はたまに上るの、とミクは言った。

あたしもですと答えると、ミクはふふ、とやわらかく笑った。

ささやかな秘密だが、ミクと共有できたことが嬉しくて、リンは頬を赤く染めた。
ミクがポッキーの箱に目をやる。気付いたリンは慌てて箱をあさり、最後の一本を取り出す。

いいの? とミク。

あたしいっぱい食べましたから、と答えると、ミクはふーん、と言ってピンク色のいちご味ポッキーを手に取った。
風がミクの長い緑髪をわずかに揺らした。

じゃあさ、半分こしよ。

ミクはポッキーを口に咥えると、反対側をリンの顔に向けた。
間近にミクの顔が迫り、リンは心臓が飛び出そうになった。こんな近くで眼を合わせるのは初めてだ。
本気なのか、冗談なのか、リンはミクの真意が分からずに躊躇った。ミクはいつものように優しい目をしている。

ミク先輩……

心の中で名を呼び、リンはおずおずと口を寄せた。
小さく口を開いてポッキーを咥えると、ミクは待っていたようにカシッと反対側を齧った。
そのままカシカシと食べ進んでいく。噛み砕く微小な振動がリンの唇に伝わってくる。
リンもポッキーを齧りだす。左右から少しずつポッキーは短くなっていく。
糸のように眼を細めて、二人は見つめ合う。ミクは齧るのを止めない。

残りはもうわずか――リンの頭を曲の歌詞が流れていく――

ミク先輩…いいの? とめなくちゃ このままじゃ キスしちゃうよ――

っていうか、ストップかけてよ! 監督!

リンは声に出さず叫んだ。

あーもー! あと三センチしかないじゃん! リハでは五センチくらいのとこまでって言ってたのに! ちょ、ミク姉止まる気全然ないじゃん! 監督ー! 止めてー!

「ハイ! カーット!」

キスする寸前で監督の大きな声がかかり、リンは「んはっ」と言ってのけ反るように顔を離した。
ミクは「ちぇっ」と残念そうな顔をしている。

「か、監督! ストップ遅いでしょ! もうちょっとでホントにキスするとこだったじゃない!」

猛然とリンが抗議すると監督は喜色満面といった顔で、

「いやー、あんまりいい雰囲気だったから止めるのがもったいなくて。二人とも、最高の演技だったよ! これはDIVAの金字塔になるPVができそうだ!」

怒るリンをよそに、監督は大満足の画が撮れたことを小躍りして喜んでいる。

「いいじゃないリン。くっつきはしなかったんだし」

ミクは残った短いポッキーを楊枝のように咥えながらそう言って、言い終わると同時にパクッと食べた。

「撮影終了~。あ~、楽しかったな、今日の撮影。リン、出来上がりが楽しみだね。あ、あたしもう素でいいでしょ?」

リンに断わるまでもなく、格好はそのままでも口調や動作はすっかり元のミクに戻ってしまっている。

「……聞く前に戻ってるじゃん……。ミク姉楽しそうね……あたし何だか疲れちゃった……」

まだうっすらと赤い顔をしたリンが、溜息をつきながら言った。
役柄上、好きな人の前で緊張しっぱなしの撮影だったので、さすがに疲れたのだろう。

通常はひと仕事終わると打ち上げを兼ねた食事会などがあるのだが、ミクとリンは翌日も朝から仕事があるので、それは日を改めてやることとなった。今日はタクシーでまっすぐマンションに帰る。

自宅に向かうタクシーの中、後部座席に二人並んで座る。リンはミクに気付かれないようにちらちらと視線をやる。
立ち居振る舞いはいつものミクだが、髪やメイクはミク先輩のままだ。
一日中先輩に憧れる下級生を演じていたリンは、まだ気持ちが抜けきっていない。
せめてツインテールにしてくれたらミク先輩ではなくミク姉に見えるのだが、アレはアレで形を作るのが大変な髪型なので、今から帰ろうというのにツインテールにしてくれと言うこともできない。ミクは家ではいつも髪を下ろしているのだ。
リンは悶々とする気持ちを隠して大人しく座っていた。

ミクがバッグからペットボトルのお茶を出した。
キャップを取って、こくこくと飲む。小さく動く喉をリンは横目で眺めていた。
ボトルから口を離すと息をつき、はあ、美味し、とミクは言った。濡れた唇を無作法に手の甲で拭う。

「リンも飲む?」

そう言ってボトルを差し出す。リンは今日何度目か分からないがドキッとした。

「う、…うん」

ボトルを受け取り、すぐには飲まず、飲み口をじっと見つめる。
頭の中にフルートのリッププレートが浮かぶ。
唇で感じた滑らかな金属の感触――フルートを吹くミク先輩のピンク色の唇――。
お昼のPV撮影の光景を思い浮かべながら、リンはそっとペットボトルに口をつけた。

「やーねリン何て顔しながら飲んでんのよ!?」

ミクがリンの肩にバンっと手を置いた。リンは思わずゲハッとむせてしまった。お茶の飛沫が運転手の首筋にもふりかかる。

「うわっ!……ちょっとお客さん、勘弁してくださいよ……」

「ゲホ、す、すみまゲホッ…すみません…」

「あ、ごめん、ビックリした?」

なおもゲホゲホ言っているリンに、ミクはすまなそうに謝った。

「ご、ごめんじゃないわよ! 飲み屋のオヤジじゃあるまいし、急に肩叩かないでよ!」

「リンがまだ下級生リンちゃんになってたから……」

これも今日何度目か分からないが、リンの顔が真っ赤になった。

「分かってんならそっとしててよ! 一日中『ガラスの仮面』状態だったんだから、そんなあっさりと抜けれないわよ! あたし多分明日までこんなだからね!」

リンはペットボトルをミクにつき返して窓のほうを向いた。それっきり黙ってしまう。
さすがにこれ以上刺激しちゃいけないと思い、ミクもちょっかいを出すのをやめた。
黙っていると暇なので今日一日を頭の中で反芻する。

今日の撮影楽しかったな――。リン超可愛かったし、ダンスの振りも良かったな。
何つっても曲がいいのよね。春っぽい、何かが始まりそうな感じ。特にサビのとこなんか――
♪いつまーでいい子の振り あたしーしてーられるのかな
♪現状維持じゃ足りない 触れーたーいーのー

「ミク姉! 歌わないでよ! 思い出しちゃうから!」

リンが思い切り突っ込む。知らず知らず口ずさんでいたらしい。

「え? あたし歌ってた? ごめんごめん、静かにしてるから」

悪びれずに謝るミク。リンはふてくされた顔でまた外を向いた。

     ☆

「ただいまー、って、あれ? ルカもレンもまだ帰ってないのね」

マンションのドアを開けると中は真っ暗で、誰もいないようだった。
リンは溜息をついた。ルカやレンが居てくれたら気も紛れるだろうと思っていたのだが、もうしばらくミクと二人きりのようだ。

「早くお風呂入ってさっぱりしたいね。リン、一緒に入ろうか?」

「もはあ」とリンは変な声を出した。

「何よ? 『もはあ』って?」

「何よじゃないわよ! そっとしててって言ってるでしょ! 今一緒にお風呂なんか入ったら何か起こっちゃうわよ!」

「何かって何よ? リンも早くお風呂入りたいだろうから言ってるのに」

「あたし後で入る! ミク姉先に入って!」

「そう? じゃあお言葉に甘えて」

ミクはさっさとバスに向かって歩いていった。後姿を見ながらリンが溜息をつく。

「……まったく、人の気も知らないで、なんであんなに鈍いんだか……」

     ☆

ミクの後に風呂に入ったリンだが、石鹸を見れば『この石鹸を今さっきミク先輩が…』、湯船に入れば『このお湯に今さっきミク先輩が…』と、ことあるごとにミクの裸身が思い浮かび、落ち着かない気持ちで身体を洗った。

う~、こんなことなら先に入れば良かった……。

     ☆

(後編に続きます)

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ミク×リン百合ソング「sweet-sour distance」【中編】

ミクとリンの百合なお話です。

閲覧数:493

投稿日:2011/11/15 02:45:15

文字数:3,785文字

カテゴリ:小説

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