あったかい。
 リンはテーブルの上に置かれたカップを両手で包むように持ち、冬の冷えた空気で冷たくなった手をじんわりと暖めていた。
「寒い日はホットココアとか、ホットミルクとか欲しくなるよねぇ……」
 冬は別に好きではないが、温かい飲み物が格別に美味しくなるのが良い。体の真ん中あたりから指先まで少しずつ温まるあの感覚は、寒い時にしか味わえないものだ。これだけは冬に感謝したくなる。
「はあ……。そんなものですか」
 実に幸せそうな顔と口調で言われたリンの独白に対し、向かいに座るレンは気の抜けた返事である。目の前に置いてあるカップの中にはリンが持っているカップと同じく、ホットココアが湯気を立てていた。
 沢山あるメニューの中からどれを頼めば良いのか分からず、とりあえずリンと同じ物を頼むと、出て来たのは甘い香りを漂わせる濃い茶色の飲み物だった。口にした事の無い食物に内心動揺しつつも飲んでみたら、意外と美味しく味わう事が出来た。
 曲がりなりにも神であるレンは、人間のように何かを食べなければいけない訳では無い。たまに神々が人間から奉納された酒などを使って酒盛りや宴会などを行う事はあるが、それは嗜好として楽しむだけである事が多い。行っても行かなくとも大した問題が無く、そんな集まりにさほど興味が無いレンは参加した事がほとんど無い。
 充分に手が温まってから、リンは右手でカップを持ってココアを一口飲む。美味しい、と呟いてからレンに話しかけた。
「レンの仲間って、どんな人がいるの?」
 死神だの鎌だの言うと周りの人に不信がられそうなので、リンはあえてその言葉を選んだ。レンが質問の意図を察してくれるかは少々不安だったが、何を聞きたいかを分かってくれたらしく、レンは顎に手を当て若干間を置いてから答えた。
「仲間と言うか、同僚と言うか……、少々変わった知り合いがいますね」
 レンも死神としては相当変わってるよ。
 間髪入れず言いかけたが、リンはなんとかその言葉を押し留める。レンは気にしないだろうが、周りの人に聞かれると色々面倒な事になりそうだ。
 レンが話す知り合いと言うのは、高い身長に青い髪が特徴の青年の姿をした死神らしい。そこまでなら別におかしくもなんともないが、レンが言ったもう一つの特徴には思わず不信感を抱いてしまった。
「長くて青いマフラー? 何それ……。凄く目立つよね?」
 レンの性格上嘘を言うとは思えないが、リンは眉を寄せてココアに口を付ける。
 黒いローブに青マフラー。人間がその格好をする分にはちょっと厚着をしている程度の印象だが、レンが話している相手は死神。神様である。神聖な雰囲気を若干崩している上、目立ち過ぎではないだろうか。
 レンは微かに笑みを浮かべてココアを飲み、話を続ける。 
「以前はそんなのを付けるようには見えませんでしたよ」
 自分と同じく、死神の仕事をしていただけの彼が変わったのは、マフラーを付けるようになった頃からだ。仕事をする傍ら摂理に反しない範囲で人間達と積極的に関わるようになり、死神仲間や他の神にもよく話しかけるようになった。無関心な反応をされても、時に疎まれるような態度を返されても、彼は誰かに声をかける事を止めない。
 まるで、人間のように。
 不意に頭に浮かんだ考えをレンは即座に否定する。
 あり得ないだろう。死神が人間の心を持つなんて。確かに彼は下手な人間よりも人間らしいと言えるかもしれないが、生きている命を殺す鎌を所有する死神である。
 どんなに願っても、人間にはなれない。
「でも、一回会ってみたいかも」
 その人結構面白そうと言うリンの言葉を聞き、レンは何故か気分が悪くなったような気がした。
「彼は死……」
 死神と言いそうになったのに気が付き、半ば強引に言い直す。
「仲間内でも飛びぬけて神出鬼没なのでなかなか会えませんよ」
 一息で一気に告げ、残っていたホットココアを飲み干してカップを置いた。

 リンはゆっくりとホットココアを味わいながら、仏頂面で腕を組んだレンを見る。
 やきもち焼いてくれているのかな。
 さっきの態度と言い今のふてくされた表情と言い、そうとしか思えない。
 ほとんど無表情、無感情だった初めの頃に比べると、現在のレンはふとした時に笑顔を見せてくれたり、話に上手く乗ってくれたりと、かなり変わったと確信できる。
 本音を言えば、丁寧過ぎる言葉遣いも変えて欲しい。でも、多分レンにとってはこの話し方が普通なのであって、いきなり変えろと言われても無理だろう。初めて持った喜怒哀楽だけでも戸惑っているのに、これ以上余計な事を言って混乱させたくない。
 それにしても、まさか死神にやきもちを焼いてもらえるとは。そんな事をされるのは自分だけだろうなと、リンは妙な優越感を抱いて言った。
「レンでもなかなか会えないなら、私が会う事は絶対に無いだろうね」
 笑いながらフォローすると、レンが顔を緩めて腕を下ろした。機嫌を直してくれた事に安心して、リンは空になったカップをテーブルの上に置く。
「そろそろ行こう」
 休憩をしたお陰でかなり楽になった。もっとレンと一緒にいたいけれど、これ以上店に長居すると時間に余裕が無くなってしまう。今から帰れば、時間に大分余裕を持って家に着くはずだ。
もし門限を過ぎたらどうなるか。あの両親の事、一分でも門限に遅れたりしたら使用人総出で探しに来るだけなく、下手をしたら警察に通報するかもしれない。笑い事で済まないその様子がありありと浮かび、想像するだけで頭が痛くなる。
 娘の目から見ても相当の親馬鹿だ。仕事で中々会えない後ろめたさもあるせいで、少々やり過ぎてしまうのかも知れない。
「……あれ?」
 何で今までそう考える事が出来なかったのだろう。両親は両親なりに事情がある、自分の事を嫌っている訳じゃない。たまたま時間が合わない事が重なり、そのせいですれ違ってしまっているだけだ。
 どうして今その事に気が付いたのか。それが気になったリンは不意に呟く。
「レンのお陰、かな?」
 既に立ち上がっていたレンに首を傾げられたが、リンは何でもないと言って立ち上がり、差し出された手に自分の手を重ねた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

黒の死神と人間の少女のお話 5

 ホットココア~徹夜のうた~ も好きです。

 寒い日のホットミルクとかコーンポタージュはなぜあんなにも美味しいのか。
 しかし温かい部屋での雪見大福も捨てがたい。



 どっちにしろ、冬のささやかな幸せ。

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投稿日:2011/05/07 17:50:44

文字数:2,565文字

カテゴリ:小説

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