『ココロ・キセキ』 -ある孤独な科学者の話-[7]
発想元・歌詞引用:トラボルタP様・ジュンP様 『ココロ・キセキ』
レンが意識を戻したとき、目の前に、『リン』とタクミの顔があった。
「レンさん! ……この場所まではかなり時間がかかるようですが、救急車を呼びました」
レンの、体の左半分が動かない。 レンは、仮眠用のソファに寝かされていた。 脳をやられたな、と、レンはぼんやりと天井を見つめた。
「頭が、痛い」
「大丈夫です! 必ず、……必ず、助かりますから!」
タクミが、泣きそうな顔でレンをのぞきこむ。
と、レンの右手を、まだ『リン』は握ったままだった。
「先生……」
『リン』とレン、二人握り合わせたその手の甲に、ついにこらえきれなくなったタクミの焦りの涙が、ポツ、ポツ、と落ちてゆく。
『……つめたい』
かすかに、リンが眉根を寄せた。
ハッとレンが目を見開いた。
「タクミ! 俺の脳波をリンにつなげ!」
「な、何を言っているんですか、先生! 倒れたのに! 」
レンが、ぐっと首をもたげてうめいた。
「もう、戻ってこられないかも知れないんだ! 最後の実験になるかもしれない! ……頼む! 」
タクミが、レンの剣幕に息を飲む。
レンがこのまま入院して、もうここへは戻ってこれなかったら、『リン』の共同製作は、これが最後だ。
「……はい」
レンの手を握る『リン』と、必死の形相でタクミを見つめるレン。
気迫に圧され、タクミは命令に従った。
「タクミ。頼みがある」
何でしょう、と、レンの頭にセンサーをつけ終わったタクミがモニターから顔を上げる。
「俺は、間違ったのかもしれない」
え、と、タクミの顔がこわばる。救急車は、まだ来ない。
「俺達は、リンに、楽しいことや嬉しいことを教えてきた」
タクミはうなずく。
「それは、俺が、タクミやリンといることが楽しかったからだ。
……けどな。“ココロ”は、楽しいことや嬉しいことだけじゃない。
悲しみ、怒り、軽蔑、嫉妬、あきらめ……そういうものも、感じるだろう? 」
「な、な、何を言っているんですか! レンさん! 」
タクミが恐い顔をして怒っていた。『リン』は不思議そうにレンとタクミを見つめていた。
ただ、見つめていた。
「ああ。君は、そういう男だ。 ……だからこそ、楽しかった。俺は、幸せだった。
……けどな。俺は、“ココロ”を作りたいんだ。
作らなければ、ならないんだ」
ぞくり、と、タクミの背筋がうずいた。
「なあ、タクミ。」
ズル、と、体を右腕の力だけでレンはタクミと『リン』の方に詰め寄る。
びくり、と、タクミだけが引きつった。
「先生、」
「ごめんな、タクミ。もう、時間がない。
俺は、“ココロ”を作りたい。だから、『リン』に、……俺から直接、負の感情を伝えたい。
悲しみ、怒り、嫉妬、恐怖……」
レンの口から、禍々しい言葉があふれてくる。
しかし、タクミは見た。 レンの瞳は、ひとつの曇りもない。澄んだままだ。
タクミはそこに、レンの悲しみを見た。
ひとつ、息を吸った。
「先生。オレも、リンのこと、好きです。この子と一緒に、オレも成長したようなものだから。だから、先生の考えには、反対です。でも……」
タクミは、じっとレンの瞳を見据えて、告げた。
「レンさんが望むなら、オレが後を引き受けます」
「ああ。」
レンも知っている。人間らしく負の感情を持った人形が、どういう動きをするか、今は全く想像がつかない。
ただ、人間は、負の感情で、人を不幸にもする。
……心は、人を、不幸にもする。
「タクミ。もしものときは、……本当に、もしものときは、君が、リンを、壊してくれ。
……すまない。……頼む……」
一度、ぼろりと涙をこぼし、
「リン」
レンは、そっとリンの頭をなぜた。
タクミも、それにならった。
レンとタクミが、覚悟を確かめるように視線を合わせた。
どちらも、なにもいわずにうなずく。
リンの緑の瞳が揺れた。
その無防備な顔を、レンはかぎりなくやさしく見つめ、そしてタクミはモニターの前に座った。
「リン。いくよ」
タクミが口を開いた。
「レンさん。レンさんから、Rinへ。信号接続」
「学習回路、解放します」
* *
「お前も共同研究者だろ」
そう言って、レンはタクミにも脳波センサーをかぶらせた。
これで、リンはレンとタクミ、二人分の感情を学習することになる。
タクミの体が震えた。
怖い。負の感情を、リンに教えると言った、レンの次の行動が怖い。
「タクミ。俺は、怖いよ。
これから、俺の告白を聞いたら、きっとお前は、俺を嫌うだろうから」
「そんな」
ゴクリ、と、タクミの喉が鳴る。怖いのはタクミの方だ。これから、自分は、レンに何を言われるのだろうと。
「タクミ。実はな。
……『リン』は、俺のアイディアではないんだ。先輩が作ったものを引き継いだと言ったが、それも違う。それは、嘘だ」
レンが、ひたとタクミを見据えた。
「……俺が、その天才だった先輩から、盗んだんだ」
「え」
ブンッ、とコンピューターの波形がブレた。
「その人の名は、始音カイト。
天才だったが、若くして亡くなった。もう誰も、知っちゃいない」
レンの唇が、薄く笑う。
「『Rin』のモデルになった鈴は、俺の妻だが、本当はカイトの恋人だった。二人は、本当に幸せそうだったが、カイトは、可哀そうに、“ココロ”を作りたいと、願って願って働いて、ついに過労で死んだ。
カイトが倒れたとき、救急車で運ばれていくのを見送った後、俺はカイトの部屋で、カイトのこれまでの研究データとアイディアのノートを抜き取ったんだ。
……ふふ。
院生のころから国際誌に論文を量産していた、天才カイトの思考法だぜ? 誘惑に勝てるわけがないだろ? この平凡な俺がさ」
レンは、リンの手をぎゅっと握りしめ、その『Rin』は、レンを見つめている。
タクミは、二人から目を離せない。
モニターが、レンとタクミ、二人の脳波の波形を荒々しく描き出してゆく。
「……カイトが死んだ後、俺は、カイトのノートを使って、研究を始めた。
天才の考えていることが手に取るように解るのは、気持ちよかったぜ?
同時に『Rin』の制作も始めた。カイトの計画書に従って、だ。
……カイトの研究を継ごうと思ったのはたしかだが、それはカイトのためじゃない。
あの日、データを盗んだという自分の罪悪感をなだめるため、そして、自分の技術が上がるのが楽しかったせいさ。
カイトの恋人だった鈴は、俺の妻になった。……うれしかったなぁ。
妻にはね、“カイトの研究も、しっかり役立てるから”ときれいな言葉を並べて、実のところは、俺は……本当は、自分の欲のために、天才カイトの研究を使っていたんだよ」
ふふ、はははは、と、ついにレンは笑い出す。
「先生! 」
たまらず、タクミはモニターの前から飛び出した。
「先生!! もうやめてください!!」
「ハハハハ!! どうだ、タクミ! 恐れ入ったか!!
これがな、こんな男が、鏡音廉だよ。ライフラインの、世界の鏡音、おまえが憧れたなんてぬかした、鏡音レンは、この俺だ!!
正体見たり、だろう?! どうだ、悲しいか? タクミ。
怒るか? 恐れるか? 軽蔑するか?
あきれたか? 悔しいか? それとも、やさしいおまえは俺の卑小さに同情してくれるのかな?
……どうする!! 織也タクミ!! 」
「レンさん! 」
ものすごい形相をして、モニターの前から、センサーをつけたままタクミは飛び出した。
レンの正面に、タクミが迫る。殴られるかもしれないと、レンが固く目を閉じた。
と、次の瞬間、レンと、リンの頭が、タクミの腕の中に抱えられていた。
「始音カイト。知っていますよ。彼は、オレの、伯父だ。
母がね、彼の妹なんです。だから、オレの名も、オレの父さんとカイトさんから一文字ずつ、良い文字をもらってつけたと聞かされました。
拓海。
拓く、海。これが、オレの名です。……カイトの、海なんです」
スルリ、とレンの目から、涙がこぼれおちた。
「カイトさんのこと、よく聞かされましたよ。
オレが生まれた時はもう、カイトさんはいませんでしたけど、オレの家にはカイトさんが造ったものが沢山ありました。
ほら、赤ちゃん用のメリーゴーランド、あるでしょう? ベッドの上で天井からさげてくるくる回るやつ。 あれにね、カイトさんが曲とCGを仕掛けてね、飛び回る魚のおもちゃが虹色に光るようにしてあるんですよ。
これがほんとのトビウオね、と母は笑ったそうです。
……笑っちゃうでしょ? 電子レンジの制御なんかも、母に頼まれて組んだそうです。
だから、オレ、物心ついたときから、自然に、顔もしらないカイトおじさんと一緒に暮らしている気分でした。そして、自分もいつか、そういうものを作りたいと思うまで、そう時間はかからなかったです」
レンの目から、涙が止まらずあふれている。
タクミが、半身のしびれたレンの体と『リン』を、合わせるようにきつく抱きしめつづけている。
まるで、カイトに抱きしめられているようだ。
「大学を目指すとき、まさにぴったりの研究をしている鏡音廉のことを知りました。
Professor Kagamineは、まるで手の届かない大学にいたものだから、もう、必死で勉強しましたよ。
カイトおじさんは夢ばかり追いかけていた人でしたが、レンさんの研究は、現実の生活に夢を持たせる研究ですもん。オレも地に足をつけてがんばろうって、必死になりました。
……だからね、レンさん。もう、なんていうかな。
……オレは、嬉しかったです。さっきの、告白」
びくり、と、痙攣するようにレンが震えた。
「憧れたレンさんが、カイトおじさんの研究を引きついだ。
それを、偶然のきっかけでオレに手伝わせてくれた。
こんな、夢みたいな奇跡が、この世にほかにありますか。
レンさんはね、いろいろ悪いと思っているかもしれないけど、……カイトおじさんは、きっと、自分のアイディアで、レンさんが良い研究をいっぱいしてくれたことを知ったら、喜ぶと思います。
……死んじゃったら、何もできませんもんね」
何ということだ。
レンの口から、嗚咽が漏れ始める。
自分は、この若者に、悲しみ、後悔、怖れ、怒り、そして軽蔑を与えようとした。
それが、こうもあっさりと弾かれた。
よりによって、カイトの親族だったとは。
その拓海が、言葉の暴力をふるったレンに返してきたのは……抱擁と、許しだった。
負の感情の荒波でタクミの心を蹂躙するはずが、レンのそれを大きく上回る、やさしい感情の波が、タクミから絶え間なく打ち寄せてくる。
「すまん……」
レンの唇が震えた。
「すまない。タクミ。……カイト……」
そのとき、リンの体がびくんと跳ねた。
ピ―――――ッという警告音が、モニターから響いた。
「何だ! 」
タクミがあわててモニターの前に戻った。
『メッセージを受信します』
「な、何だ! 学習回路への受信機能なんて、『Rin』には無い筈! 」
リンは、ネットにはつながっていない。
「プログラム介入なんて、ばかな!」
『発信元は』
タクミが目を見張った。
『Rin、日時****、**、**、**:**』
「……300年後の、Rin?!」
……[8]へつづく
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