休日、昼下がり、快晴。
それからソファにコーヒー。
なんて完璧な時間。
カイトはだらしなくソファにもたれながらプレーヤーの電源を切った。
サイドテーブルに詰まれたCDと歌詞カードの山は
少しの間だけ見ないフリをすることに決めたのだ。
首にかけたヘッドホンを外して窓を開ける。
熱のこもった部屋に冷たい外気が流れ込んだ。
ベランダでは洗濯物がのんきに揺れている。
薄手のバスタオルが日と風を受けて嬉しそうだった。
そろそろ渇いているころだが、勝手に取り込むときっとまた怒られる。
だったらこう無防備に干さないで欲しいよな、とカイトは思った。
バスタオルならまだしも、部屋着もインナーもみんな干してある。
さすがに下着だけはなかったが。
マンションの高層階とはいえ、女性の1人暮らしなのだ。
そういうところが、世の女性と比べるとひどく大雑把だった。
(めーちゃんらしいけどね)
何度目になるかわからないその考えにカイトは少し笑った。
窓を閉めて、ソファに戻る。
自然、目は卓上の時計に向かった。
メイコが買い物に出て何分たっているだろう。
昼食の後、うっかりうたた寝をしたらしく目覚めたときにはカイト1人だった。
代わりに置かれたメモが1枚。
「買い物に行ってきます。」
たった一言。
名前も時間も行き先も書かれていない。
しかも使われているのは昨夜行ったバーのレシートだった。
(ホントに、めーちゃんらしいけどね・・・)
カイトは残されたそのメモを手で遊びながらため息をついた。
ともにいる時間は短いのに、1人で待つこの時間の何て長いことか。
仕事をしていても良いけれど、それも気乗りがしない。
元々、やるべきことは全て片付けてここに来ているのだ。
メイコに会うための日、メイコのためだけの時間。
それがどうしてこんな1人もてあます時間になってしまったのだろう。
せめて彼女のため何か、と思うが掃除も洗濯も終わっている。
カイトは何もできないもどかしさに1人ソファでクッションを抱きしめた。
それはつまり、簡単にまとめたら「寂しい」というだけのことであったが。
鬱々とした時間がしばらくすぎて。
ドアの向こうからかすかな音が聞こえ始めた。
コンクリートを叩くような硬質な連続音。
規則正しく続くその音にカイトは素早く立ち上がった。
待ちかねた音。絶対に間違いない、この音。
この時ほど自身の耳の良さに感謝したことはない。
コツ、コツという音がやがて止まり、金属の擦れる音がする。
この時すでにカイトは玄関までやってきていた。
やがてピピ、という電子音が続き電子ロックが外れる。
そしてドアが開く。
「うわ、びっくりした!」
「おかえり」
「何、でかけるの?」
「お出迎えですよ、お嬢様」
「はあ?」
ああ、いつものこの笑顔。
この軽く中身のない他愛ないやりとり。
カイトは自分の頬が見る間に緩んでいくのを感じた。
「起きてたんだ」
「うん、起きたらいないからびっくりした」
「良く寝てたから。起こすもの悪いと思って」
メイコの抱えていた大きな袋を台所に運び込む。
こんなに大荷物になるとわかっていても自分を起こさない。
その遠慮がカイトにはやはり寂しかった。
メイコは戦利品たちを順に冷蔵庫や戸棚に並べていく。
手際よく動き回る彼女を、少し離れて眺めているとやがて微かな声が聞こえてきた。
メイコが歌っているのだ。作業のリズムに合わせて小さく漏れる。
それは、とても聞き覚えのあるメロディ。
恐らくメイコ自身も無意識に歌っているのだろう。
音程や発声も意識せず、なんとなく、自然に歌う。歌いだす。
鼻歌にも近いゆったりとしたその歌声。
それは先日リリースされたばかりのカイトの新曲だった。
カイトは耳まで赤く染め、メイコを見つめていた。
無意識に、何気なく、自然に。
彼女は自分の歌を歌っている。
歌詞カードを見ることもなく、旋律を確かめることもなく。
むしろ自然に口を付くほどに自分のものにしている。
この歌はこんなにも優しい歌だったのか。
花に降る雨のように、草に吹く風のように。
そんな陳腐な表現の全部を使っても追いつかない。
この感動をどうして伝えたらいいのだろうか。
カイトにとって、メイコは強い女性だった。
自分のことは全て自分でできる。
甘えも怠惰も持ち合わせずに、けれども優しくしなやかで強い。
だからこそ、カイトは時折彼女の隣で孤独を感じた。
俺は、必要?
自分がいてもいなくても、きっと彼女は何も変わらない。
赤い鉄のように美しく強い人。
けれども今、その彼女は無意識に、
鉄の中、誰にも見せない柔らかな心に従って、
他の誰でもない自分の歌を歌っている。
CDやデータを渡した記憶はない。一体どこで覚えたのだろう。
この部屋で練習したこともなかったはずだ。
自ら望んで、自分の歌をどこかで聞いて覚えてくれていた。
そして今、誰に請われることもなく歌ってくれている。
彼女の無意識の中に、自分がいた。
カイトは目の端が熱くなるのを感じた。
駄目だ。こんなことで泣いていたら何を言われるかわからない。
ああだけど、もうどうしたらいいんだろう。
さっきまでの寂しさだとか、1人で進んでいってしまう彼女への憤りだとか
そんなものは全部かき消えてしまった。
胸も顔も、熱くてたまらない。
機嫌良く歌っている彼女を今すぐ抱きしめたかった。
熱と力とで無理矢理にてもこの感動と感謝を本人に伝えたかった。
けれど、そんなことをすれば今この歌声は消えてしまう。
叶うことならいつまでだって聞いていたいのに。
ありがとう
ありがとう、めーちゃん。
涙と衝動を全力でこらえ、カイトはただメイコを見つめていた。
そしてそのままBサビまで歌いきり、大サビに差し掛かるところで
やっとメイコはカイトが立ち尽くしていることに気が付いた。
「カイト、何つったってんの?」
「え、あ、うん」
ふいに呼ばれた名前に、カイトの胸は大きく跳ねた。
あの声で呼ばれると自分の名前も特別なものになった気さえした。
何てキレイな声、何て愛しい音。
「コーヒーいれようか」
「俺やるよ」
「いいわよ、座ってて」
「俺がやる。だからめーちゃんが座ってて」
「いいってば」
「お願い、俺にやらせて。ね?」
精一杯のわがままだ。
歌のお返し、というわけではなかったれど我慢ができなかった。
メイコの返事を待たないで、カイトはカップとドリッパーを取り出した。
ペーパーフィルタをセットして、薬缶をコンロにかける。
沸騰を待ってから火を止めた。そのまま少し待つ。
コーヒーには沸騰してほんの少し冷ました湯が良いとメイコに教わったのだ。
教えをきちんと守って、一生懸命に仕度をするカイトの姿にメイコは苦笑してリビングへと移動する。
「じゃあ、よろしく。美味しくなきゃやりなおしね」
「・・・うん!」
ドリッパーに挽いたコーヒーを入れる。
専用の軽量スプーンで2人分。メイコのお気に入りの銘柄だ。
あたりに香ばしい香が広がった。
そして、薬缶の湯を高い位置からゆっくりと細く注いでいく。
全体が湿ったらそのまま10秒待つ。ふつふつと沸く小さな泡。
しっとりと蒸された粉の上に、今度は少し勢いを付けて注ぐ。
ポポ、と独特の音を立てコーヒーが入れられる。
かくして、カイト渾身のコーヒーが振舞われた。
「うん、美味しい」
「よかったあ」
「新曲、お気に入り?」
「え?」
「これ入れてる間、ずっと歌ってたから。」
休日、昼下がり、快晴。
ソファにコーヒー。
それから貴方の歌声。
なんて完璧な時間。
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