5-2.
「奏はどうするの? メイコさんたちのマネージャーを継続するの?」
僕は首を横に振る。
「いや、あの人たちの歌以外の仕事は他の人がマネジメントしてるから、僕は必要ないんじゃないかな」
「そうだっけ。じゃあ奏はマネージャー統括とか?」
のんきに言う初音さんに、僕は笑う。
「アイドル部門統括の秘書しかないでしょ。アイドルのプロデュースなんて始めたら、スケジュールは今よりタイトになるよ。初音さん単独じゃ絶対無理」
「うぐ」
痛いところを突かれた初音さんの表情が固まる。
「まあまあ。僕はここに入る前から初音さんのマネージャーだったんだよ。そうそう初音さんのマネージャー業を手放すつもりはないから」
「もう……でも、頼りにしてるよ。今までだって、奏がいたからここまでやってこれたようなものだもんね。ありがと」
こちらを見て、不意に心底ホッとしたような笑みを見せる初音さん。
僕はその表情にドキリとしてしまった。
「ホント、奏がいてくれてよかった」
「それは……どう、いたしまして」
なんと返事をしたらいいのかわからなくて、どこか他人行儀な返答をしてしまう。
「……ね。アイドルを卒業したわけだしさ。ボクはこれまでできなかったこともできるようにもなるってことだよね?」
初音さんはウキウキした顔をしてそう言ってくる。
……一度も言ったことはないけれど、そうやって無邪気にコロコロと表情を変える初音さんのことが好きだった。
十年以上、彼女に一番近いところで片思いしていたようなものだ。こんなこと、恥ずかしくて死んでも言えない。
「これまでできなかったこと?」
「そう。まーできなかったわけじゃないけど、やらなかったこと、かな? 行楽地とか、遊園地みたいな人の集まるところに堂々と行けるようになるとか、ギャンブルに挑戦してみるとか、夜中にハメを外してみたり、ベロンベロンになるまでお酒飲んでみたりとか」
「遊園地はともかく、ギャンブルとかお酒の失敗ってやってみたいことなの?」
「あはは。やってみたいっていうかさ、どんな感じなのか経験してみたいって感じ? 話には聞くし、アイドルである以上は絶対ダメだって思ってたけどさ。卒業したら、そーゆーやらないようにしてたことだって解禁できるじゃん」
「それはそうかもしれないけどさ……」
「それに、最後は奏が助けてくれるでしょ」
「あ、僕がその場にいるのは確定なんだ」
「え。来てくれないの?」
「いや、行くけどさ。心配だし」
なぜかギョッとした初音さんは、僕の言葉に大げさにホッとして見せる。
「なら平気じゃん。失敗しても」
「おい」
僕の突っ込みに、初音さんはカラカラと笑う。
まあでも、そうやって初音さんに巻き込まれるのが僕だ。自分自身、望んでそうやっているところもある。
「あとやれなかったことは……そうだね。恋愛、かな」
「れ、恋愛……?」
僕はギクリとして、初音さんの予想だにしない答えに身構える。
「うん。これまではやるわけにはいかなかったからさ。恋愛とか、誰かと付き合ったりとか……やっとできるようになったんだよね」
「それはまあ……そうだね」
僕は戦々恐々とした内心を見せないように笑って見せる。……ちょっとぎこちなかっただろうか?
「実はね、もうずっと……長いこと片思いしてるんだよね」
「え!」
少し気恥ずかしそうに、照れくさそうにそう言う初音さんに、僕は思わず大きな声を上げてしまう。
正直に言って、初音さんは恋愛ごとには興味がないんだろうと思っていた。
そういったことを思わせる素振りなんて全くと言っていいほどなかったし、他人の恋愛話にも興味がある様子はなかったと思う。
だから、スキャンダルを起こすまいと自制しているだけでなく、てっきりそもそも興味がなかったんだろうと……。
それが、まさか、片思いしているだって?
僕の……知っている人なんだろうか?
「ボクのことなんでもわかってくれて、ダメなときはちゃんと言ってくれて、でも、それでもしっかりフォローしてくれてさ……。ボク、きっとその人なしじゃこうやってアイドルとして生きてくこともできなかったんじゃないかって思うよ」
「……。その人は、今も……?」
「もちろん」
初音さんの笑顔を直視できず、僕は顔を背ける。誰もいない観客席は寒々としていて、急激に冷え切っていく自分の内心と奇妙な一致を見せているような気がした。
……初音さんがそんな風に思っている人がいたなんて、全然気づいていなかった。話しぶりからして……該当するっていったら高松社長くらいだろうか。ずいぶん年齢に差があるが……初音さんはそういうことを気にするような人でもない気がする。
「奏には、そういう人っていないの?」
「それは……いる、けど。一応」
君だよ、なんて気取ったセリフを言えるのが、モテる男なんだろうか。僕には無理だ。
「え! それ……ボクも知ってる子?」
「うん……まあ、知ってる……かな?」
知ってる、という言い方が適切かどうかわからないけれど……そもそも、知ってるもなにも君のことだから……その、言えるわけがない。ついさっき、初音さんに片思いの人がいると知った今ではなおさら。
「へぇ。ボクの執事をしながら、ちゃっかり他の娘にもツバつけてたんだ?」
「そんなわけないだろ。僕は……別に」
「ふうん」
初音さんは不満そうに唇を尖らせる。
でも、僕の片思いの相手は初音さんなのだ。他の人に片思いしている初音さんがそんな顔をするのは筋違いというものだ。
「だいたい、初音さんだって僕のことをどうこう言えないだろ」
「それは……」
初音さんは口ごもり、僕の視線を避けるようにうつむく。
「そんなこと、……ないんだけど、な」
「……?」
その言葉の意味をはかりかねて、僕は怪訝そうにうつむいた初音さんの顔をのぞきこむ。
その顔に、僕は勘違いしていたのかもしれないと、ふと思う。
「ボクが片思いしている人はさ、ボクがその人に片思いしているってこと以外は全部ボクのことを知ってるんだ。ボクのスケジュールをボクよりも把握してて、間違えそうになったときは必ず事前に教えてくれる。ボクが意固地になって他の人の意見を聞かなくなったりしたら、優しく諭して軌道修正してくれる。ステージで踊ってるときも、すぐそばで見守っててくれる人なんだよ」
「……」
それって、まさか……。
「その人はね、いまも……ボクの隣にいるよ?」
顔を上げた初音さんの瞳は潤んでいて、ドーム内のわずかな明かりに小さくきらめいていた。
「……」
僕は口にするつもりだった「僕のはずがない」という否定の言葉を飲み込む。
ここまで言われたら、僕も覚悟を決めないといけない。
自然と、ゴクリと喉が鳴る。
「僕が……片思いしている人はさ、昔から自分の理想を目指して一生懸命で……妥協しないわりに抜けてる人でさ。僕がフォローしてあげないといけないって思うような人だったんだ。これまでずっと第一線で活動してきてて、やっと表舞台から引くって言ってて……でも、さらに大きな夢を語っててさ、これからも支えていかなきゃって思ってるんだよね」
「その人は……」
初音さんは、意を決したように言う。
「すぐ近くに、いる?」
「うん。僕の、目の前に……ね」
恥ずかしくて目を背けそうになるのを必死にこらえ、僕はまっすぐに初音さんを見る。
「……」
「……」
……ダメだ。恥ずかしすぎて死にそう。
初音さんが無言で距離を詰めてくる。
人ひとり分空けて座っていたのに、その距離はすぐにゼロになってしまう。
肩が、腕が、脚が触れ合って、初音さんの体温が伝わってくる。
「ボ、ボクは……これでも、結構ロマンチックなのに憧れてるんだよね」
初音さんは顔を真っ赤にしてそう言う。僕もおんなじような顔をしているんだろう。
「……」
少し考えて、僕はようやく初音さんが言外になにを望んでいるのかを察する。
……ついさっき、死んでも言えないなんて思っていたはずなのに。
でも、ここで言わないわけにはいかない。覚悟を決めろ、奏。
「初音さん……。僕は、初音さんのことが……ずっと好きでした」
顔が熱い。目をそらしたいのを必死にこらえ、僕は羞恥心に身体を震わせる。
でも、それでよかったみたいだ。
初音さんが両手で顔をおおい、あふれる涙をこらえているのが見えていたから。
「ボクも……ボクもね、奏のことが……ずっと好きだったんだよ?」
僕は両手を広げてーーそれは、これまで絶対にやっちゃいけないことだと思っていた行為だったーー初音さんの身体を抱きしめる。
恐る恐るだったそれは、初音さんが抱きしめ返してきたことで自然と力強いものへと変わってしまう。
もう……十年以上も叶わないと思っていた願いが急に実現して、嬉しいよりも「本当にいいのか?」という困惑のほうが強い。
「……言っていい?」
「なに?」
「十年前からこうしたかった」
「……僕も、そうだよ」
どこかしみじみとした初音さんの言葉に、僕もうなずく。
「社長とか、メイコさんたちにはすぐにバレたんだよ。なのに、肝心の奏は……いまの今まで気づいてくれなくてさ。アイドルとしてはよかったのかもしれないけど……。それはないよね」
「う……ごめんなさい」
ちょっとトゲのある声音に、僕は謝るしかない。
「どんな未来も君となら 描けると信じてるから
重ねた愛が言葉になって あなたの元へ届くよう
祈るの」
「……!」
初音さんがPrhythmaticの歌詞を不意に口ずさむ。それは確か、ラスト直前の歌詞だ。良く知っているはずのフレーズだが、このタイミングで聞かされた僕には、全く違う意味が見えてくる。
「この歌詞を考えたとき、本当に恥ずかしかったんだよ。ボクの……全力のラブレターだったんだからね。まさか気づきもしないなんて思わなかった」
「ごめんなさい……」
他になにも言えなかった。
初音さんは「バレたらどうしよう」と(そして、内心気づいてくれないかと)ソワソワしていたのだろうけれど、僕はといえば相変わらずなにも気づかないままだったのだから。
……たぶん、高松社長やCryptoDIVAの面々は一発でわかったんだろうな。
初音さんはひどくガッカリしていたに違いない。
「うむうむ。ちゃんと反省したまえ。でも……あはは、きっとそれでよかったんだろうね。おかげでアイドルとして最期までがんばれたわけなんだし」
初音さんは肩をすくめて笑う。
確かに、僕と初音さんが両思いだなんて早くからわかっていたら、彼女がアイドルとしてやり遂げることなんてできなかったかもしれない。
「ね」
「なに、初音さん」
「もういっこ、して欲しいことがあるんですけど」
「え?」
ジト目の初音さんは「早く気づきなさいよね」と言いたげな顔をして、両目をつぶって少しだけあごを上げる。
それが意味するところは……明白だった。
「い、いいの?」
裏返りそうになる僕の声に、初音さんは片目を薄く開ける。
「もうアイドルじゃなくなったもん。それにーー」
そう言いながら、初音さんは改めて目を閉じる。
「ーーボクの初めては、奏じゃなきゃヤだよ」
「……」
そこまで言われては、怖気づいているわけには行かない。
鼻先が触れそうなほど近くにある初音さんの端正な顔。
「初音さん……未来」
「奏……」
真っ暗なステージの下、僕と初音さんの二人。
初めての口づけは、少しだけレモンの香りがした。
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