10
「消えたというのは、失踪という意味でしょうか?」
俺が訊くと、カナグルイさんは「違う違う」と笑いながら否定した。
「ちょっと言い方が悪かったかな。その人……仮にKさんとしようか。Kさんは今日もちゃんと会社に来てた。僕が見たから間違いない。でも、Kさんが会社から出た記録がないんだ」
「出た記録?」
「僕が勤めているところは、大きなビルでね。1階から3階まではレストランやら雑貨屋が入ってるんだけど、その上は11階まで全部オフィスになってる。まあ、ひとつの会社じゃなくて、いろんなところの事務所が入ってるから、どんなものがあるかは言えないんだけど」
セキュリティの観点からだろうか。カナグルイさんは具体的な名前はあげなかった。
「そこは出勤時と退勤時に社員証の提示が義務付けられているんだ。電子ロックは二箇所あって、オフィスそれぞれのドアの前と、僕たちがいる社員用出入り口ドアの脇にあるセンサーに社員証をかざさないと電子ロックが解除されない」
カナグルイさんが身振りでカードを翳す動作を見せてくれる。
「そのときの記録はしっかりとパソコン内に残っているんだ。誰がいつ入ったのかわかるようにするために。社員用は個別に管理されていて、調べれば誰のかすぐにわかるようになってる」
カナグルイさんがビールを一口含む。
「社員用をかざさないと絶対に出入りはできないはず。少なくとも、会社の外にはでれないはず。無理矢理開けようとすれば警報がなるし、そばには警備室があるからこっそり出ることもできない。なのに、今日はKさんが出た記録がどこにもないんだよ」
「では、まだ会社に残っていると?」
「の、はずなんだけど」と一回区切りを入れる。「どこにもいなかった」
「どこにも?」
「どこにも。隈なく探したんだけど、いなかった。彼女のオフィスはもちろん、別の階の事務所まで隈無く。女子トイレにまで手を伸ばしたさ。ああ、でも声だけかけただけだけどね、電気もついてなかったからいないはず」
なるほど。深夜の、それも暗がりのトイレに息を潜めて待っている女性を想像できない。
「今日遅くなったのはそれが原因なんですね」
「もしかしたらどこかで倒れてるかもって思ったからね。このところ残業続きだったし、おっちょこちょいだから階段とか踏み外しそうだし……」
「まだ心配なんですね」
「一応引き継ぎの人に事情を話して注意して見てもらうように言っておいたんだけど」
「その人はKさんに恋心を抱いてないので、真剣に探してくれるかわからない、と」
「……まあ、その通り」
カナグルイさんが困ったような笑みを浮かべる。またネットを切断されてはたまらないので、また話題を変える。
「こういうのが起きたのは始めてなんですか? 今まで起きたことは」
「実は、何回もある」
「は?」
予想外の質問に思わず聞き返してしまった。カナグルイさんは「失踪のほうじゃなくてね」と腕を組んで、ちょっと反り返る。
「電子ロックの穴というやつなんだろうかね。一回開錠して、ドアが開くだろ? そのときはカードをかざさないでも出れちゃうんだよ。始業時、終業時のときとかは多いな。翳したつもりが上手く行ってなくて、でも前の人に続いて出れちゃったみたいな。ほかにも、荷物を持っているときに他の人が開けてくれる場合がある。僕たちが開ける場合もある。だから入退室が対になってない人も多いんだ。駅の改札みたいに、出た記録がないと次入れないなんてことは起こらないし」
「じゃあ、今回もそれでは?」
「多分、引き継ぎの人もそう思ってる。でも、今回はちょっと違ってさ。僕が最後にKさんを見た時刻から僕が帰るまで、一度もドアが開錠された記録がないんだよ。だから、他の人が開けてくれた、一緒に出たっていうことはあり得ないんだ。他人のカードを使ったってこともない。そうしても絶対名前が残るからね」
「そこの電子ロックを解除する以外に部屋を出る方法は?」
「うーん。あるにはあるけど、現実的じゃないな。窓を伝っておりたりとか、そこまでする意味がわからない」
ちょっと待ってね、と言ってカナグルイさんは会社の簡単な見取り図を書いてくれた。なにかの裏紙だろうか。慣れた手つきでスラスラを描いていく。全く迷いが無いところを見ると、もう何度も描いたことがあるのかもしれない。
「Kさんが居た場所は七階。フロアは大体正方形をしていて、階段は北。エレベーターは西にある。中央と、壁に沿うように部屋があって、そこは全部違う会社のオフィスが並んでる。カタカナのロの形に通路があると思ってくれればそれで構わない」
「エレベーターいくつあるんですか?」
「フロア内に二つ。エスカレーターは3階より上はない。階段、エレベーターどれを使って降りたとしても会社を出るにはカードをかざさないといけない」
すなわち、一度入ったら、カナグルイさんたちがいるドアをくぐらないと外に出れないようになっている、ということらしい。
「僕が最後にKさんを見たのは10時くらいかな。そのフロアにはもうKさんしか残ってなくて、『まだ残りますか』って声をかけたんだ。そしたら『もう帰りますよ』って言って、帰り支度を始めた」
なんだ、声はかけられるんだと思ったが、それは仕事だからということなのだろう。
「次に7階に見回りにいったのは、10時半くらいかな。そのときはもうフロアの電気は消えていて、誰も残ってないようだったし、どのオフィスにも誰もいないようだった。だから安心して警備室に戻って、それで……」
ちょっと間があった。
「Kさんがちゃんと帰ったか確認しようとしたんだ。Kさんの退勤記録を見ようと……」
「普段はそういうことをしないんですか?」
「ストーカーみたいであまり褒められたものじゃない」
「仕事って言い張ればいいじゃないですか」
「僕が僕を納得させることができないんだ」
なるほど、面倒くさい。
「話しを戻すよ。それで、Kさんが帰ったことを確認しようと思ったんだ。すると、Kさんのオフィスから最後に出た人は9時半になってた。それから、そこを出た人は誰もいない。会社、僕たちの前にある社員用出口から出た人は10時になってたけど、Kさんじゃなかった。Kさんがオフィスから出た記録すらない。となればまだ7階にいるのかと思ったんだけど……」
「最後に確認したのは?」
「11時。もちろんそれまでに何回も確認したけど、電気は消えていたし、人がいた気配もなかった」
「……こうは考えられませんか? Kさんは帰ってなどいなかった」
「どういうことだい?」
「Kさんはカナグルイさんが見回りにきたあと、帰った振りをしてまだフロアに残っていたんです。もちろん電気を消して。で、カナグルイさんが出たのを確認したあと、また仕事を続けた。そのあとはカナグルイさんが来る度に電気を消して、机の下にでも隠れてやりすごしたんです」
「……ちょっと考えにくいな。僕が来るのをどうやって知ったのかわからないし、彼女が居たデスクから電気のスイッチがある場所までちょっと離れていてさ」
カナグルイさんは見取り図にスイッチの場所を付け足す。それは彼女の事務所の出入り口の近くだった。
「彼女のオフィスは扉が開いてすぐ目の前にあるから、電気を消そうとしていたらすぐにわかるし、もしすぐに消したとしても
いくらなんでもわかるよ」
「電気をつけずに仕事をすることは?」
「パソコンをつければ可能だけどね」
暗闇にパソコンの光だけがつき、その前で顔が怪しく照らされた女性の姿を想像する。
「それでも、僕が来るのをどうやって知るのかわからないし、僕だって扉の外から見渡しただけじゃないからね。しっかりと中に入って、懐中電灯で照らして見て回った。ちゃんとフロア内を見て回ったつもりだ。人が隠れていればすぐにわかる」
いつ来るかわからないのだから、そんなに凝った場所に隠れることは難しい。せいぜい机の下ぐらいだろう。
「社員用の出入り口ではなく、ほかの出口から帰ったということは?」
「営業中だったら正面玄関が開いてるけど、10時にはもう閉まってる」
「一階のテナント、もしくは別の低い階の事務所に入り込んで、そこの窓から抜け出した」
「面白い考えだけど、別の事務所に入るにはやっぱり電子ロックで開錠する必要もあるし、そうすれば履歴が残る。レストランとかの窓から抜け出す、っていうのもないかな。鍵がかかってるし、防犯センサーがついてるから、中からでも鍵を開けた場合は警報がなることになってる。まあ、たまたま故障した、って言われれば、可能だけど」
万が一の故障にかけるにはリスクが高すぎるだろう。それに、Kさんは7階の事務所から出た記録がないのだ。
「あーあ。やっぱりまだ探したほうが良かったのかな。昨日もうちょっと早く上がっててれば、もう少し探せたんだけど」
「昨日遅かったから帰れって言われたんですか?」
「いや、それもあるけど、残業時間の問題でね。これ以上残れなかったんだ」
「残業時間?」
「僕の会社は一ヶ月にできる残業時間は決まってるんだ。それを超えて残ることは許されない」
「昨日『残業時間は平気かな』と言っていたのはそれが理由なんですね」
「ああ。残業時間は月末、つまり今日にリセットされる。逆に言えば、今日が一番残業時間が厳しいんだ。だからほとんどの人は早く帰ったんだけど」
「残業時間は自己申告制なんですか?」
「僕たちはそうだね。でも、Kさんは違うよ。社員証でしっかりと管理されてるから」
「でも、今日みたいな日もあるんでしょう?」
「まあ……そうだね。その場合はどうなるんだろう。その会社ごとの決まりになってるからわからないな」
ふーん。
「なぜ、同じビルなのにカナグルイさんとKさんとでは申請方法が違うんですか?」
「雇ってる場所が違うからだろうね。Kさんはその会社で雇われてるけど、僕は警備会社に雇われてる。そこから今の会社に派遣されてるってことだ。だから、社員証から作りが違うんだよ」
「なら、残業時間を誤魔化せばいいってことですよね。今日も」
「それはそうだけど……あまりしたくないな。僕以外にも人がいたわけだから、下手な時間で申請したら怪しまれる。以前あったんだよ。残業時間を誤魔化して短く申請して、過労で倒れた人が。だから他の人が目を光らせているんだ。評判が落ちて仕事がなくなるのは今のご時世辛い」
「…………」
「どうしたんだい?」
「カナグルイさんのカードは、入退室が記録されないんですか?」
「ああ」
ふーん。なるほど。
「だったら、そのKさんはカナグルイさんと一緒に出たんですよ」
おかしいと思ったのは、カナグルイさんのセリフだ。9時半からKさんの事務所の退室記録が残ってないはずなのに、カナグルイさんは出入りを繰り返している。もし記録が残っているとしたら、最後11時のはずだ。
「Kさんはどこかに隠れていて、カナグルイさんが出たと同時に一緒に出たんです。そうすれば、解決です」
「……なるほど」と一回は納得しかけて「でも難しいな」
「まあ、そうでしょうね」
「なんだい、わかっていたのか?」
「ドアが閉まるまでの時間はわかりませんが、そこまで長くないでしょう。だとしたら、カナグルイさんが出るとすぐ出なくちゃいけないことになる。いくらなんでもカナグルイさんが気付かないわけがありません。カナグルイさんが共犯なら、別ですが」
共犯。自分で言って、ぴーんときた。
「カナグルイさん。今日の見回りはカナグルイさんだけですか? ほかの人は」
「残念だけど、僕だけだ。だから、他の警備員が開けたってことはないよ」
考えていたことを読まれて、ちょっと落ち込む。でも、方向性は間違ってないはずだ。
「……カナグルイさん」
「なんだい?」
「会社には社員証がないと入れないんですよね?」
「ああ」
「だったら、その日、社員証を忘れた人はどうするんですか?」
「その場合は警備室、つまり僕たちがいる場所にきてカードを借りるんだ」
「そのカードは入退室は」
「記録されないけど……」
ふーん。なるほど。わかってきたぞ。
「でも、今日は借りてないよ」
借りてない?
「彼女は今日は、ちゃんと自分のカードを使って会社にきてる。そういう記録があるんだ」
そういう記録というのは、入館記録だろう。
「カナグルイさんはそれを確認しましたか?」
「もちろん。それに僕は彼女が会社にいるのをこの目で見て」
「いや、それじゃなくて」
「……て、いうと?」
「カードの貸し出し記録」
「いや……それは……」
「そうですか」
なら。
「それが答えですよ」
ーーその鏡音レンは、解決する その5ーー
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