無数に広がる、吸い込まれそうなぐらい深々と続く、暗い暗い竹藪。そこへ、程好い涼しさを運んでいた風も、夜が更けるにつれて、徐々に冷たく感じられるようになってきた。体の芯まで、すぐに冷えてしまいそうなほどだ。妙な寒気が体に走る。そしてそれは何かーー更に『おぞましいもの』の到来を、予感させるようでもあった。
 神威道場の師範・神威がくぽを狙った暗殺計画は、甲斐なく失敗に終わろうとしていた。平和統括理事会の放った刺客「陽忍部隊」は、洗練された動きと装備をもってして戦いに臨んだが、すべて侍の刀の餌食にーーそう、先程までがくぽの首を必ず取ると豪語していた忍たちも、今や死屍累々を築く山の一つ一つと化していた。戦いとは、つくづく無情なものである。そこかしこに佇む屍たちは、語らずして無念の思いを語る。


「くっ…我が腹心をみな切り捨てただけでなく、この我さえも打ち負かすとは…!」
「勝負あり。貴殿らの負けだ」


 鋭く、鈍く光る刀を突きつけながら、がくぽは言い放った。忍者部隊の長であるソガシは、致命傷こそ負わなかったものの、刀を握り締めていたはずの屈強な右腕は¨消えて¨いた。彼の右肩からは剥き出しの内装が見え、無数の細い鉄線が垂れている。時折、小さな火花を起こす様も。
 ソガシは力尽きたように、背後にある木に重くもたれかかる。もはや立ち上がることも、ままならないようだった。敗北した哀れな忍に、侍は曇りのない瞳で、ただただ見つめている。互いの時間が止まったような、何とも不思議な沈黙が過ぎた……そして突然、忍の体が小刻みに揺れ始める。


「くくっ、くくくくっ…」


 不気味に笑い出したソガシ。戦いの最中に何度も気味の悪い笑いを見せた彼だが、今はそれ以上である。がくぽに圧倒されて諦めがついたか、或いは気がおかしくなってしまったのか……いや、そのどちらでもないと、がくぽは何となくそう感じていた。言い替えるなら「嫌な予感がした」というべきかーー何を訳の分からないことを思っているのかと、当の本人は感じていたが…


「神威がくぽ…敵ながら天晴れ。我等では及ばぬ相手であったわ」
「…さあどうする。片腕を失い、刀も鉄砲も無くした今、もうまともには戦えまい。諦めがついたのならば、ここから貴殿1人でも逃げるが良い。それが嫌ならば、介錯も辞さぬが」


 刀の血糊を振り払いながら、静かにそう言ったがくぽ。うなだれるように見えたソガシに、彼は情けをかけるつもりだ。侍は、木にもたれかかる忍の返答を待った。黒のヘルメット越しには見えない口が、ゆっくり開く。


「…神威殿よ。我は今、ようやく分かったぞ」
「何をだ」
「貴殿の太刀筋は、我等の遥か上をいく。死角という死角は、殆どないと言えるほどにな…だが見つけた、そなたの最大の弱点……それは『甘さ』よ!」


 何を言い出すかと思えば、こんな心外なことを。でも認めざるを得ない……そんな言葉を浴びせられた神威がくぽ。事実、この目の前の忍を斬り損ね、逃げるチャンスを与えている。彼は神威旋響流の師範であり、右に出る者はまずいない程の剣豪だ。しかしあろうことか、ここで敵に情けをかけようとしている。ソガシの言った通り、がくぽの行いは甘いの一言…彼は更に言葉を加える。


「その甘さは、いつかそなたに取り返しのつかない災いを呼ぶであろう。悪いことは言わぬ、すぐに直すことだな」
「…否定はしない。貴殿の言う通りだ」
「ならば今すぐ、ここで我の命を絶てい!」


 忍の強い声は、深い暗闇に、無数に広がる竹藪に響き渡る。山びこのように、反響して。一瞬の沈黙があり、その沈黙は風にかき消された後、ソガシは再び声を荒げる。


「貴殿は今、我に情けをかけた。それは紛れもない甘さよ! それを改めるというのならば、ここで我の首をはねるがよい!」
「…待て、その前に1つ聞きたい。なぜ拙者にそんな忠告をする?」


 ソガシとの会話は、戦いの最中でも勿論だったが、ただ奇妙でしかなかった。だが今は、違う意味で奇妙だ。先程まで斬り合いをしていた敵同士だったというのに、今の彼はまるで親しい仲人のような口調になっている。声を荒げこそはしたが、嫌らしい笑いも、耳に障るような喋り方も無くなって。ある意味…奇妙だ。
 忍は侍の問いに答えてやった。なぜ介錯を望むのか。なぜ敗北を望むのか。自分の命があるうちは、まだ負けではないのに。その理由を、要約して答えてやる。


「貴殿は…使い捨てにされたのか」
「そうとも。どのみち、我は助からぬ。理事会において、弱者の存在は許されん。ここで逃げ帰ったところで、な……ましてや己は、元より闇の住人。どう転んでも、ろくな末路は待ってはおらぬ。それならばせめて、貴殿と戦い、果てたとなる方が本望なのだ」
「そんな…生き残るという望みを、簡単に捨てるではない」
「馬鹿を言え、もう運命は決まっておる。抗っても無駄よ。我のように些末な者は、いとも簡単に切り捨てられる。明日を迎えることは、もうなかろう」


 ソガシは生きる道を諦めていた。彼がこの場を逃げ延びたとしても、待っているのは¨処分¨という死。忍たちが生きて帰るには唯一つ、任務の遂行しかなかった。それが叶わなくなった今、がくぽに止めを刺されることが、彼の本望だった。自分が認めた、ただ一人の敵に。


「…それでは、あまりに空しくはないか」
「心配は無用。所詮この世は、諸行無常…奢り昂る者も、栄華を築いた者も、いつかは必ず衰え消えていく…我も、その中の矮小な者の一人に過ぎぬ」


 盛者必衰。この世に形あるものは、いつかは必ず衰えていく。そう説いた彼の姿は、つい先程までの勢いある姿はどこへやら。それでも、この忍の言うことは正論かつ…悲しいものだった。侍は、言葉を返すことができなかった。
 その時、突然がくぽは再び背中に寒気を感じた。二度目だ。先程とは違い、はっきりと感じられた冷たい空気。殺気さえも感じられるといっても大袈裟ではない。理由や根拠の無い、生気の無い謎の冷気が、この暗い竹藪を包もうとしているのだ!


「くくくっ…とうとう『陰忍』たちが参じたか……もはや、これまで」
「どうした?」


 不意に、やけになったかのような諦め笑いを含んだソガシの言葉。それは、心の底からの無念と絶望に感じられた。「陰忍たちが参じた」と、彼はそう言葉を発したが…ただ、この場に向かっている「陰忍」というのが、このおぞましい寒気の正体なのだろうと、がくぽは心の中で確信した。ソガシは、半ば枯れた声で話を続ける。


「神威殿…我ら陽忍部隊との戦いは前座、言うならば『児戯』に過ぎぬ。本当の死合はこれからぞ」
「何だと…?」
「そう険しい顔をするな…我らも真剣に勝負を挑んだ、それは信じて欲しい。だが、我らの戦いが戯れだったと思うほど、更に強き刺客たちが向かっておる…」
「…それは、誠か?」


 彼が打ち明けた事の内容は、がくぽに衝撃をもたらした。そして戦慄する。この戦いが、ただのお遊びにすぎなかったのかと。ともすれば、一体自分はどれほど強大な敵を相手にしているというのか? がくぽは拳の中にある刀の鞘を、強く握り締めた。


「今なら間に合う…すぐにこの山を下らねば、そなたも陰忍と『三光様』に…」


 そう彼が言った瞬間だった。鋭く、鈍く光る鋭利な刃物が、ソガシの体を貫いた。何の前触れもなく……


「喋るな、戯け者」
「やはり、案の定であったな」
「どいつもこいつも、口の錠はないときた」


 遂に現れた冷気の正体ーーそれは、何本もの刀を差し、ソガシのような戦闘服を身に纏った、しかし一回り体格の大きい三人組。暗がりのせいで彼らの全身は見えないものの、がくぽからはその存在をはっきりと認識することができた。そしてこいつが、ソガシの口を封じようとした者たちであるのは、間違いない。


「ほれ…我は嘘を言っていなかったであろう……」
「…貴様ら、何奴か!」


 謎の三人組は、ゆっくりと口を開いたーー。


「我等の崇高な理想の為…」
「我等の貴き主の為…」
「そして我等による無二なる世を創る為、お前は死ななければならない…」


 奴らは、一体何を言っている?
 それががくぽの頭の中で、ひたすら渦巻き始めた。


「が…今宵の目的は、お前の力の見定めにあった」
「陽忍どもを使って」
「殺しはせん、今はな……だが神威がくぽよ、何れは消えてもらうぞ」
「諦めろ。勝目があるなどとは考えるな」
「貴様とその仲間共々、深き奈落の底へ叩き落としてくれよう……」


 彼らは、重苦しく威圧のある声と口調でそう言った。


「刃向かう者を殺し尽くし…」
「抗う者の心も焼き尽くし…」
「全てを奪い尽くす…それが¨我等¨だ」


 名乗りもしない彼らの言葉の意味を、がくぽは理解することができなかった。ただ、先程ソガシが口にしていた、陽忍部隊よりも遥かに実力が上である「陰忍」というのが、この目の前にいる得体の知れない連中の事なのかと…そう解釈しようとしたが、この目の前にいる三人は¨何か¨が決定的に違うと、がくぽは感じ取った。無論、それは陰忍部隊というものを、まだはっきりと理解していない神威がくぽの根拠のない直感に過ぎないのだが……
 と、ここでソガシが倒れる直前に言いかけていた言葉が頭を過った。そういえば、その時に誰かを指し示すような物言いをしてはいなかったかと。


「すぐにこの山を下らねば、そなたも陰忍と『三光様』に……」


 …三光様? 誰だそれは? 陰忍部隊というのとは、また違う存在なのか?もしそうだとしたら……そこでがくぽが瞬きをした瞬間、先程まで木の上にいた三人組の姿がなくなっていた。もしや仕掛けてきたかーーと思い、咄嗟に刀の鞘に手を取ったが、聞こえてくるのは夜風の吹き抜ける音だけ。そのまま油断せず、しばらく構えの姿勢を解かなかったが、結局何も起こることはなかった。「今は殺さない」と三人衆の一人が言った通り、がくぽの腕を見て一先ずは引き上げたようだった。部下であろう陽忍たちの無惨な骸を、どうともする事なく。


「…消えた、のか?」
「願わくば…貴殿の手で介錯を、と思っていたが…」
「よせ、喋るな…!」
「もうよい…それより、我の言葉を聞いてくれ……」


 もう仕掛けてくることは無いと分かり、ソガシの下へ駆け寄るがくぽ。彼は完全に再起不能に陥っていた。ソガシのタイプは完全な機械型であったが、活動を維持するに必要な部分を、がくぽの戦いの中で大きく損傷していた。加えて、三人衆が放った刃物が的確に急所を貫いていた。これはもう、致命傷に他ならなかった。


「我らは…理事会の存在を危うくする貴殿らを排除するために、長らく水面下で闘争を続けてきた…だが、賽は投げられてしまったようだ。もう…そなたらを止めるのは……無理であろうな……」


 忍は己の言葉に力がなくなっていくのを感じながらも、口を開き、言葉を続ける。


「我は、ただの雑兵に過ぎん…だが言っておく…理事会と我が主……その恐ろしさは…貴殿の想像を遥かに…凌駕するぞ……」
「…それを知ったところで何になる。拙者は己が信じた道を切り開くために、剣を抜き…闘う。それだけだ」
「くっくっくっくっ……よい覚悟だ……それ…なら……ば……貴殿…で…も…………」


 その後、彼は動かなくなった。報われない形で散った、哀れな忍の長。最期は「敵ながら、天晴れ…」と、そう言い残したかったようにも見えた。侍は忍の最期を見届けると、近くの木に刺さっていたソガシの物であろう刀を手に取り、彼の傍にそっと、置いた。
 がくぽは、敵として戦いを受けたソガシたち陽忍部隊に対して、望むなら違う形で合間見えたかったと、心の中でどうしようもない無念を感じながら、理事会への怒りを覚えたのだった。


「理事会の者たちよ…これ以上、野放しにはさせんぞ…!」


 その侍の思いに呼応するが如く、理事会との決戦が目前まで近づいていた。そう、彼の戦いはまだ始まったばかりなのだ。何せこれは、あくまで「前座」に過ぎないのだからーーー

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

「VOCALOID HEARTS」~第31話・陰忍部隊~

あけましておめでとうございます!
いや、いつ以来でしょうか、めっちゃ久しぶりに投稿させていただきました。
無性にボカロハーツの続きを書きたくなったもので…(笑)

今年中にこの話を完成させる…なんて言ったらフラグになっちゃいますが
ぼちぼちまた投稿させていただきたいと思います。

2015年も、どうかよろしくお願いします!

閲覧数:344

投稿日:2015/01/05 22:51:06

文字数:5,017文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました