「きーてきーて、お姉ちゃん!」
音を上げてドアが開く。けたたましくやってきたのはリンだった。
「どうしたの?」
私は読んでいた楽譜から顔を上げて元気な侵入者を見やる。
そうして、彼女はとても喜ばしいニュースを持ってきた。
「カイ兄、好きな人がいるんだって!」
時々本気を見せるが、頼りなさ過ぎるのがデフォルトの後輩に浮いた噂がまったくないことを私は常日ごろから案じていた。
私も女としては身長が高い部類だけど、私よりも頭ひとつ分高いし、
男のくせにやたら整った顔立ちをしているし(睫毛なんて私より長いんじゃないか)、
人の感情の機敏には異常に聡いし、
どんな設定の人物でもこなす演技力の高さなんて後輩ながら尊敬している。
私は設定を読み込んでキャラクターを構築し演技するタイプなのだけど、彼はその逆で設定を頭に入れるだけでキャラクターが憑依したような(憑依芸人という言葉に習って私は憑依ボカロとカイトの事をひそかに呼んでいる)演技をするのだ。
こうやて彼の特徴を挙げても、欠点は見受けられない。それどころか、中々の優良物件だと先輩ながらに思うんだけどなぁ。
もしかしたら優しいだけの男だと思われるのかも。
カイトは優しい。誰に対しても。怒ることがないとは言はないが、彼が声を荒らげるのは、相手を思いやっているからだというのを私は知っている。
大変喜ばしいこの報告だが、
私が一番危惧しているのは、カイトの中で「好き」の判断が付いていないのかも知れないということだ。
家族にべったべたに甘いカイトは、私たち家族に対する「好き」と、一人の女性に対する「好き」が違う感情であることに気づいていないのかも知れない、と考えることが、正直ある。
一度、カイトが唐突に訊ねてきたことがあった。
「ねぇ、めーちゃん。恋するってどんな気持ちなんだろうね?」
「……は?」
「めーちゃんは知ってる?」
翌朝出す為に燃えるごみを集めている最中だったので、名前を呼ばれていなかったら危うくスルーしてしまうくらい突然だった。
一瞬、からかわれているのかと思った。けれど、私を見つめる目が真剣な色だったので、ゴミを足元に置いて居住いを正し、
「うーん…。体験はしたことないけど…」
と前置きをした。そして思っていることを口にした。先輩としてきちんと答えるべきだと思ったからだ。
「マスターやあんたやレンに抱く気持ちが恋する気持ちじゃないっていうのは何となく分かる」
「うん」
「もっと恋って、ドキドキして眠れなくなったり、その人のことが頭から離れなくって一日中考えたり、ちょっと目が合ったり手が触れ合っただけでキャッ☆とか言って顔を赤らめたりとかするんでしょ?」
「まぁ、それは極論っていうか…少女漫画的発想だね」
「好きな人が他の人と喋ってたら嫌だなーとか、自分のことだけ見てて欲しいとか、そんな思いをするくらいならいっそ閉じ込めてしまおうかとか、」
「それなんてヤンデレ?」
「好きになった人と身分が違うでも私はお傍に居るだけで大丈夫とか、愛のない結婚をしたけど一緒に暮らすうち互いに愛が芽生えてどうのこうのとか、」
「もうハーレクインだね」
「冗談はこのくらいにして」
「冗談ですか」
さすが、長年の付き合い。ちょっとふざけるようとする私を表情で読み取って、乗ってくる。うん、この関係性、いいなぁ!
「まぁ聞きなさい。恋するっていうのは、誰か一人を突出して好きだってことでしょう」
「うん、そうだね」
「こっ恥ずかしいんだけど、私は今のところアンタ達みんな大好きなのよ。マスターは絶対的存在だから別に考えてもね」
ひとりだった私を救ってくれたのは家族だ。
暖かい気持ちをくれるのもささくれだった気持ちを癒してくれるのもこの家族なのだ。
私は残念ながら恋をしたことはないけれど、急いで見つけることはないと思っている。
今は歌を歌うことが本当に楽しいし、最近は仕事の幅も広がっている。この家族以外にもどんどん仲間が増えてゆき、彼らに様々なことを教えていく楽しみもある。今のところ、とても充実しているのだ。
「そっか。めーちゃんはみんな大好きなんだ」
「そーよぉ。アンタ達みんな愛しまくってるわ」
「溺愛されてるんだねぇ俺たち」
「うん、もうヤバイわよ、べったべたのどっろどろ」
「ヤバイですねそれは」
「だから大好きな頼りなーい後輩くんが思い悩んでるのが心配な訳ですよ」
「それはそれはですよ」
「なので、何かあったら相談して欲しいのですよ」
「うん分かったのですよ」
微笑んで、私はこう言った。
「お互い素敵な恋をしようね」
そして、お互い笑い合う。
そう、私達は恋を知らない。恋とはどんなものなのだろう。考えるだけでわくわくする。
その、恋をカイトがしたのだ。
「それで、カイトの好きな人っていうのは誰なの?」
「教えてくんないの」
そういえば、付き合いが長いけど、カイトとそういった類の話をしたことがない。私達がどんなタイプが好きだとか話をしている時は専ら聞き役で丁寧に相槌を打ち、自分はいつもはぐらかしてしまうのだ。
「そもそも何でカイトに好きな人が出来たって分かったの?」
「なんかねぇ、我慢できなくなったんだって」
「……はぁ?」
我慢?何を?
「我慢出来なくなって、がっくんに愚痴っていたところを私たちが発見しました」
「つまり、立ち聞きしたのね…」
飽きれた。
本当にこの子達はもう…。まぁ、らしいと言うべきか。
「それで今まさに問い詰めている次第であります!」
「うむ。了解した」
「何かね、もう無理、爆発しそう、苦しい、触れたいけどその後自分がどうなるか分からない、だって」
ちょ、ちょっとそれはどうなのカイト。私は思わず面食らってしまった。
これはこの子たちの教育にもよくないんじゃないの…?
「本当は誰にも笑い掛けて欲しくないし話して欲しくないんだって。カイト兄は独占欲が強いんだね。ビックリした」
うわー、それはまた情熱的な。その独占欲丸出しなセリフはカイトのイメージとは余りに違っていて意外だった。勿論私の勝手な想像なんだけど、もっとこう、包容力があるというか、そんなふうに思っていた。
そして、納得する。何というか、彼も男だったのか、と。
「あんなカイト兄見たことない」
それは私もだ。あのカイトをそこまでする相手とは誰だろうか。
誰にも優しい笑顔を向ける彼が誰かを"特別"に扱っているということが想像が付かない。
確かに私たち家族は彼にとっては"特別枠"である。
けれど、誰か一人を"特別"に扱うカイト、というのはやっぱりピンとこないのだ。
一番長く過ごしている私にも分からないなんて、かなり完璧な演技だ。さすがカイトというべきか。
そこで私はハタ、と気付いた。不意に降ってきた考えは突拍子もないものだったが、納得するには充分な材料だった。
もしかして…。その想い人というのは身内なのかも知れない。
彼を自慢の兄と慕うミクや、最初は反発していたけどすっかり毒気の抜かれてしまったルカ。お隣のちょっとドジなグミちゃん、エトセトラエトセトラ。
彼の相手が彼女たちの誰かだったら、教えたくても教えられないだろう。
うまくいってほしい。私は人の幸せばかりを考えるカイトにこそ幸せになって欲しいのだ。どうやって背中を押してあげたらいいんだろう。
だいたい、彼のことを嫌いな人間を見たことがない。
カイトとはそんな男だ。
カイトの恋を成就させる方法をつらつらと考えていると、リビングに着いていた。
ダイニングテーブルでは渦中の人であるカイトが好奇心を隠し切れない妹弟たちに囲まれている。
ミク、ルカ、グミちゃん、一歩引いてがっくんとレン。がっくんは私が視界に入ると、気まずいような申し訳なさそう何ともいえない表情になった。
周りから逃れるためか、当人のカイトは頭を抱えているので表情は窺い知れない。
よーし、ここはいっちょ、メイコお姉さまの出番かしらね?
私は、頭を抱えているカイトごとガバっと抱えるように腕を回して、低い声でたずねた。
「ねえ、誰?」
「………」
「ねえってば」
「めーちゃんまで…」
恨めしそうな声でカイト。ほーら弱気になるな、あんたには頼りになるメイコ先輩が付いてるんだから。
「だって気になるのよ」
と私は正直な気持ちを告げる。
「教えてよ。アンタと私の仲じゃない。私、口堅いわよ?
ポーカーフェイスは得意よ?誰であっても動揺をおくびにも出さずにいられるわよ?
相手がたとえ誰であっても会話を続けられるわよ?」
「……………………」
長い沈黙の後、カイトが少し身じろいだ。
「カイト…?」
「………ほんとうに?」
「ほんとうよ!」
私はすかさず答えた。
「誰にも言わない?」
「もちろん」
「ポーカーフェイス出来る?」
「もちろん」
「たとえ誰であっても動揺しない?」
「もちろん」
「たとえ誰であっても会話を続けられる?」
えーい、しつこい!
「もちろん!」
最後の一押し。
「それに……相談してって言ったでしょ?」
もう、先輩を信用しなって。
「……じゃあ、めーちゃんに、だけ」
とうとうカイトが折れた。
周りから「めーちゃんだけずるーい!」との罵声が聞こえる。
「ふふん、付き合い長いもの」
すまない、弟妹たちよ。だがVOCALOIDとして同じエンジンを詰み、数年苦楽を共にしてきた私達の絆は深いのだ!
カイトがゆるゆると頭をもたげた。さっきまで分からなかった表情がやっと見られる。
「ん?」
にこりと笑って促す。害意はないわよー。
蒼い瞳には腹を括った為か、いつになく真剣な色が浮かんでいた。
そして、ぐっと肩を掴んで引き寄せられた。ただ引き寄せるだけにしては随分と強い力で。
そして、想い人は私の耳元で小さく告げられた。
「………それはそれは…大変ね」
一拍おいて、何とか言葉を捻り出した自分を褒めたい。
この青いのは、今なんといった…?
「……ね、前途多難そうでしょ?」
と、カイトは笑う。あのお得意のへらりとした笑顔で。
妹たちが「えー!!誰ー!?」と騒いで勝手に予想をはじめている。
一方私は、脳内でいろんな思考が渦巻いていて、なんと言うかもう兎に角混乱していて、周りの喧騒が遠く聞こえた。
どうしてこうなった。
ポーカーフェイス、動揺しない…。
念仏のように何度も自分に言い聞かせて乗り切るしかない。
「……うーん、そうね。確かに前途多難だと思うわ」
「だよねぇ、あー心折れそう…」
「そんな中途半端なら諦めなさいよ」
「いいえ。諦めようと何度も思いましたが諦めきれないので今に至ります」
「しつこい男ねぇ」
「うん、粘着系男子だからね」
「諦めの悪い男ね」
「う……」
「嫌われるわよ」
「……………………」
「ちょっと!凹み過ぎ」
「だってぇ」
「情けない声出さないの。このメイコ姉さんが応援したげるから」
「応援してくれるの?」
「かわいい後輩の為だもの」
「ありがとう。めーちゃん大好き」
"大好き"だって?
どの口がそんなことを言っているの。
よくもまぁこんな堂々と、LIKEの意味で大好き!と言えるもんだ、この青いのは。
さっき自分がなんと言ったのか忘れていかのよう。
あまりにも普段と変わらないから、聞き間違えなのかと思った。
いや、いっそ聞き間違えであって欲しかった。
こいつは、さっき、「めーちゃん」と言ったのだ。
「あ、そ」
ここは「私も大好きよ」とさらりと言うべきだとは分かっていた。でも、出来なかった。
右手がカイトに握られたままであるということ。
カイトの親指が私の手の甲をするりと撫でたこと。
伝わる熱。
うそであってほしい。
ああもう、なんて冗談なの。
にへら、と笑うヤツの顔をみたら何だか急に悔しくなって、投げられっ放しの球を思いっきり打ち返してやりたくなった。
「ねえ一度アタックしてみたら?」
「ええ!?」
この青いのめ!大仰に驚きやがって!
くっそー、このメイコ様から一本取った気でいるわね、コイツは!
ふふん。見てなさいよ。
「カイトのことを嫌いな人なんて居ないもの。きっと相手も悪い気はしないと思う。こんなふうに思ってるのは私だけかも知れないけど」
カイトの切れ長の目がすこしだけ、見張られた。
彼の周りで騒いでいる仲間たちは気づいていなかったが、私は随分と胸のすく思いをしたのだった。
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うちのカイメイ多分なんか違う。
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