十六番地にある古く寂れたロッカーを誰も知らない。
その街は、誰もが行けるという街ではない。
第三土曜の夜に、砂糖水を小瓶に入れて月明かりに15分照らす。小瓶と言っても、サイズは問わない。自分の手を広げ、手のひらから指先までを起てた時に隠れるサイズで良い。蓋は閉めてはいけない。
もしも土曜の夜が雨で月が見えなかった場合は、前日に照らしておいたもので構わない。その街に行けるのが決まっているからだ。
15分照らしたその砂糖水を就寝前に飲む。照らす時間は15分以下でも、15分以上でもいけない。きっかり15分でなければならない。飲んだ小瓶は逆さまにして口を下にして立てる。
そして、いつもの様に寝る。30日か、31日か。はたまた29日か。12ヶ月繰り返し行って来たことをするだけで良い。そうすれば、星が君らを誘うだろうなどと童話じみたことは無い。暗闇の手に全身を蝕まれて運ばれてゆくのだ。眠りの街、十六番街。存在しない、直線と白黒で築き上げられた十六番街へと。
この方法は、かつては存在していないものだった。
その街は、誰もが行けるという街ではない。否、行けるという街では無かったのだ。世界がそれを「普通」と認めてもらえなかった人間達を隔離する為の、その存在を消し去ってしまうのに必要だった架空街、それがわすれさられた街、「十六番街」だ。
それが、何故か実在してしまった。誰も望まない十六番街。闇の意識で造り上げられたその街に、建物が出来る。人が生まれる。やがて案内者と呼ばれる者が生まれる。案内者は普段は人間として生活しているが時折、人並み外れた鋭利な意識が呼び覚まされ十六番街とを意識するようになった。
それが、第三土曜日である。
案内者は無意識に人を連れる独自の欲を見出していた。すべての始まりである。
「この世界に興味を持つ人間を、召してしまおう」
やがて、小瓶のルールは現実世界へと根本も無く発生した。生きているわけでもなく、死んでいるわけでもない世界に行くことが出来る。月に一度しか行けないその街。同じ色が永遠と続く夜のような街。起きたら、何も思い出せないその街。だけども、そのルールだけは脳裏に焼き付くのだ。
十六番街には、ロッカーがある。
扉とも言えず、すこし小さな形をした容れ物だ。
十六番街には、掟がある。
何かしらの方法で、此処の記憶を持ち出さないこと。
現実世界のことを、思い出さず考えないこと。
ロッカーを、自ら開けてはいけないこと。
少女は十六番街に降り立った。
此処に来るのは6度目。自分以外にも様々な人間が居る。赤ん坊も、少女も、青年も、老人も。沢山の人間が歩いている。歩いている。
少女は思っていた。自分が降り立つこの街。自分が降り立った位置。
なぜか、ロッカーの直線上なのだ。ちょうど、自分の胸辺りにふわふわと浮かぶそのロッカーは、いつ来ても近かったり遠かったりするが、それでも目につく距離にあるのだ。彼女の、暗い視界の中にそれはあり続けた。
気になって仕方なかった。開けてしまいたかった。6度目の今日こそは。
一歩、歩き出す。人が見えない。霞んで行く。まるでロッカーへ導くように。
止まらなかった。足も、欲求も、好奇心も。気がつけばロッカーの扉へ手をかけていた。手前側に引いてみる。ぐっという鈍い音がしたが、開かない。逆かと思い押してみる。開かない。スライド式かと思い、横に引いたが、開かない。
苛立ちと焦燥と億劫が少女の全身をぬるく走る。カタン、と小さな音を起てて足下に何かが落ちた。包丁だった。何故だろう。見覚えがある気がする。ジリッと熱い記憶が一瞬過ったが思い出せなかった。否、思い出しては行けないからだ。
少女は一瞬顔を顰めて、それを拾い上げた。妙に手に馴染む包丁の柄を強く握ると、ロッカーの施錠部分の隙間に何度も包丁を突き刺す。金属が歪む音、擦り合う不快な音。何度も、何度も、力任せに、なんども。
ガチャン、と音を上げてそれは容易く開いた。少女は、ふぅっと息をつき包丁を地面に落としてロッカーを開く。
少女は開けた瞬間、絶叫することになる。
ロッカーに入っていたのは何処までも広がる闇の中、ぼんやりと浮かぶ両親の屍。
十六番地にある古く寂れたロッカーを誰も知らない。
……本当に知らないのか?知っている筈だろう?
知らないのでなく、知ってはならないからだ。
此処は十六番街。闇の意識で造られた街。
此処は、命を切り捨てられた人間の墓場の街。復讐の街。
此処では、現実世界のことを思い出してはいけない。
少女は思い出してしまった。自分の身体に、心臓に突き刺さった包丁のことを。震える手で包丁を握り、刺して来た母親のことを。倒れ、薄れ行く意識の中でほっとしたような顔をした父親のことを。
――きみは、もう帰れないよ。このわすれさられた街の一部になるんだ。
Fin.(10/11/03) 「わすれさられたまち」
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