FLASHBACK3 after-side:α
部屋を出る。
だが、特段ミクには行き先が決まっている訳では無かった。何も考えていなければ、いつものようにまた病院の屋上に行ってしまうのだろう。
彼女自身は、それでも別に構わなかった。ただ、ずっとあの部屋に一人ぼっちでいるのは気が滅入ってしまう。誰とも話す事が無くたって、外の景色が見えるだけでも、気分転換位にはなる。ついさっき気付いてしまった自分の気持ちを整理する為にも、気分転換は必要だと思った。
廊下を歩き、ナースステーションの前を横切る。ミクの姿に気付いた看護師の一人が、軽く手を振って「調子はどう?」などと尋ねてくるのを、彼女はぎこちなくうなずいて返事をすると、足早にナースステーションから離れた。
この長期の入院のお陰で、ここの看護師とも顔馴染みと言っても差し支えない位にはなっていた。だが、そんな彼等の優しさに、今の彼女はどう答えるべきなのかすら分からなかった。
(そんな風に優しくされる資格なんて、わたしには無いのに……)
相手との適切な距離の取り方が分からなくなっていた。相手にどれだけ近付いていいのか分からなくなっていた。
何をしても、自分は相手を傷付けてしまうのではないか。そんな恐怖。だから、誰に対しても距離を取ってしまう。
償わなければならない。そう思いながらも、同時にそんなこと出来やしないという思いすらあった。
(わたしは。わたしは……また、繰り返してしまうんじゃない? また誰かに苦しみを押し付けてしまうんじゃないの?)
そして、そう思いながらもなお望んでしまう愛情。矛盾だらけの自分の思いに、自分自身が押し潰されてしまいそうだった。
その気持ちの中心には、未だあの二人の姿があった。
あの二人がどうなったのかは知らないままだ。だけど、だけど――。
脳裏に思い浮かぶ、カイトとルカの姿。
あの頃のように、自分が捨ててしまった写真に写っている頃のように微笑む二人の姿に、ミクの胸に突き刺さるような痛みが走る。その穏やかな日常を消し去ったのは、他ならぬ自分なのだ。
彼女は思わず胸を押さえる。だが、その痛みは胸の内側で渦巻いており、胸を押さえても一向に納まらない。
(ごめんなさい。ごめんなさい……。悪いのは、わたし。そう、わたしなの――)
知らず流れた涙が、彼女の頬を伝った。そのまま、ほっそりとしたあご先から床へと落ちる。涙の跡は、ずいぶんとひんやりした。
と、その時。彼女の背後で何かの気配がした。
「――ッ!」
ビクリと肩を震わせて、彼女は振り返る。
そこに居たのは、彼女とそう変わらない歳の少年だった。年下である事は間違いないだろうが、その童顔が実際以上に年齢が開いているかのような印象を与えていた。
少年は、黒い上下を着ていた。それはどちらも薄手で、パッと見ただけで外出着ではなく室内着だと知れる。つまり、彼は彼女と同じように、入院患者なのだろう。
当の少年も、まさか少女が振り返るとは思っていなかったのか、やや呆然としている。
「あ、あの……」
こわごわと話し掛けてくる少年に、彼女はまたビクリと肩を震わせる。
「な、何か……あったの? 大丈夫?」
そう言われて、ミクは慌てて涙の跡を拭ったが、どう考えても遅かった。むしろ、拭ってしまった事で、彼女が泣いていたのだという事を少年に悟らせる結果となってしまったようだった。
「僕で良かったら、話、聞くよ。ほら、つらい事って話すと楽になるって言うし……」
「……」
ミクは、何も返事が出来ないまま呆然と少年を見つめた。
(……やめて。やめて、聞かないで――)
その少年の精一杯の努力が、彼女にとってどれだけ嬉しいものだったのか、恐らく少年には分からないだろう。だが、それこそ誇張なく「死ぬ程」嬉しかったその言葉は、それと同じ位の恐怖をミク自身にもたらした。
(それは、ダメ。ダメなのに……。わたしは、幸せになんかなっちゃいけないのに……)
カイトとルカのこれからをめちゃくちゃにしてしまった自分が、誰かに助けを求めるなんて事、許される筈が無い。
ついさっき気付いたばかりの自分の気持ちは、封印しなければならないのだ。今の自分は、そんなに簡単に愛を欲しがったりしてはいけないのだ。そうでなければ、償う事も出来やしない。
(なのに、なのに……!)
拭ったはずの涙は、あっという間に溢れかえってもう一度頬を濡らした。
拒絶しなければならない。だが、その拒絶を押し切ってでも助けて欲しい。
「無理、しない方がいいよ」
はっと気付いた時には、いつの間にか少年はミクのすぐ目の前まで近付いてきていた。
二人の視線が交錯し、絡まり合う。
やがておずおずと伸ばされた彼の右手は、その動作とは対照的に大胆にも彼女の顔へと近付いていく。
(え、な……。そんな、何を――)
予想外の出来事に軽いパニックに陥ったミクは、少年の右手を避ける事も出来ずに硬直してしまった。
そして、少年の右手がミクの目元に触れる。
(あぁ……)
もうダメだ、とそう思った。
目元から頬にかけて伝わってくる彼の柔らかな指先の感触が、ミクの覚悟を打ち崩してゆく。胸の内に仕舞い込んで、出てきてはいけない筈の思いが溢れてゆく。
カイトとルカが味わったであろう苦痛と絶望を味わい、それでもなお誰かを救う為に何かをしなければならないと思っていたその覚悟が、こんなにも簡単に覆ろうとしている。
何かを成し遂げるには、自分の意思は、余りにも弱過ぎる。
ミクの涙を拭う指先が離れても、涙は止まらなかった。
それどころか、立っているだけの力すら無くなってしまい、その場に崩れ落ちそうになる。
「あ……っ!」
目の前の少年が、とっさにミクの身体を支える。それをより正確に言うなら、抱き留める、だった。
彼女が倒れ込んでしまわないようにと頑張ってくれたのだろう。カイトよりも小柄な体躯だったが、彼の抱擁は意外な程力強かった。
(あぁ……駄目なのに、抱き締められるのってどうしてこんなに気持ちいいの……?)
それは、ミクにこれ以上ない程の陶酔を与えておきながら、同時に最も思い出してはいけない記憶をも呼び覚ましてしまった。
(カイトは結局、こんな風に抱きしめてくれた事、無かったな……)
あんなにも恋焦がれていた人の事を思い出して、陶酔からほんの少しだけ我に返る。
そう、カイトがミクの事を抱き締めてくれた事は無かった。だが、その逆はよくあったのだ。そう、あの日だって――。
(嫌、駄目――)
彼女はその思考の危険さに気付いたものの、最早手遅れだった。止めようと思った所で、既にその思考は止められない。
あの日、繁華街で彼女は長身痩躯にしがみつくようにして抱きついた。そうして自分だけを見て欲しいとさえ願ったのだ。そして、それが願わなかったのも束の間、彼女にとって最悪の事実を知り、最悪の光景を見る事になる。それが許せなかった彼女の精神は、あのとき間違いなく壊れてしまった。そして“その”瞬間、彼女は我を忘れ、もう一度彼の胸元へと飛び込んだのだ。その懐に、ナイフを隠し持ったまま。
ぞくりと、不意に背筋に寒気が走る。
途端、両手に今は持っている筈の無いあのナイフの感触が蘇ってきた。
硬い柄の表面に、生暖かいぬるりとした液体が付いている。さらに、その硬い柄を通して、何か柔らかい物を突き破る感触が伝わって来た。
その液体が一体何で、その柔らかい物が一体何なのか。そんな事、考えるまでもない。
目の前に、そこに居ない筈のカイトの顔が見えた。
彼は血の気の失せた、青白い顔でミクの方を見ていた。
「何でこんな事をするんだ、ミク?」
その恐ろしい声音に、ミクは息を飲む。
(違う。違う……わたしは、ただ……!)
「何が、違うって言うのよ」
その声に慌てて振り返る。そこには、頬がこけ、目が血走り、痩せ細ったルカが居た。
(――ッ!)
ミクは、声無き悲鳴を上げる。
「嬉しいでしょう? 貴女の望んだ通り、私は何もかも奪われて絶望の縁に居るのよ」
(違う!)
カイトは、黒いスラックスに黒いシャツを着ていた。だがその服は、何かに濡れているのか、胸元から下だけが不自然に光を反射していた。
ルカが身にまとっている漆黒のドレスもまた、何かを浴びてしまったかのようにどす黒く変色してしまっている。
その二人の周囲は不自然に色が抜け落ちてしまっていた。色の無い世界の中で、二人を染めている液体の色は分からない。だが、分からなくても、ミクはその本来の色を良く知っていた。
生気の無くなった、到底生きているとは思えない姿で、二人は彼女に詰め寄ってくる。
「ミクのお陰で、俺は誰のものにもならない。これからずっと、一人きりだ。ミク。お前の望んだ通りに」
(違う! 違う違う違う!)
頭を抱え、ミクは必死で否定する。が、彼女自身覚えていた。あの時、“その”瞬間には、自分は間違い無くそれを望んでしまっていたという事に。
「嬉しいだろ?」
「嬉しいでしょう?」
二人の言葉が、容赦無くミクの心をえぐる。
(そんな事、そんな事……)
そう思いながらも否定できない最低な自分に、吐き気がした。
カイトとルカの二人が――幻覚ではあったが――居なくなるのに、随分時間が掛かった。
その筈なのに、幻覚が消え去った後のミクの目の前にはまだあの少年が居た。
その時、どんな話をしたのかは彼女はあまり覚えていない。ミクが覚えているのは、彼がレンという自分の名を教えたくれた事位だった。
レンという名の少年に、自ら抱いたはずの覚悟が揺るがされたのは事実だった。だが、二人の幻覚は更にそれを翻すだけの、覚悟をより強固にさせる力があった。
償いは、果たさなければならない。その償いを果たすために、苦痛に満ちた生を歩まねばならない。そして、自らの生に何らかの意味を見出さなければならない。彼女はその思いを新たにするに至ったのだ。
彼の病室がミクの病室の向かいだというレンと仲良くする事は、自然とそんなこれからにおける唯一の安らぎのようなものへとなっていった。
自らの償いを果たす上で、早い時期に別れを告げる時が来る事をミクは覚悟した。が、この一時だけは、彼がくれる安らぎを糧にしようとしたのだ。
それが失敗だったと思い知らされるのは、それからしばらく経ってからの事だった。
この時、結局彼女が気付く事は無かったのだ。
抱き合うようにして寄り添う二人を見つめる、もう一人が居たという事に。
この事実が、どんな化学反応を起こすのか知りもしないまま――。
ReAct 4 ※2次創作
第四話
確かこの回を書いている時だったと思います。
この「ReAct」はミク嬢のための物語であって、ミク嬢の生きる理由についてとことんまで掘り下げて書かなければならないんだなと覚悟をしたのは。あくまで2次創作であるのなら、作者の考えを尊重すべきであって、そこまで自分のエゴを入れるのは邪道なんじゃないか、という気はしているのですけれど。
そんな事を考えながら、第五話を書き始めたら「ミク嬢のための物語」という意識は完全に吹っ飛んでしまったのですが(苦笑)
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