30.解雇、そして
「私が死すれば、この力、黄の国は失うぞ!」
そう叫んだホルストを、女王リンは剣で刺した。
「……!」
ぼたり、と重い血の塊が赤いじゅうたんに落ちた。
「リン殿! ホルスト殿!」
「ガクの縄を解きなさい。その医師は単なるホルストの雇われ者。もう用は無いわ」
縄を解かれたガクが、ホルストを抱え込むように支える。とっさに自らの白い上着の袖を押し当てて血を止めようとするが、見る見るうちに赤く染まっていく。
リンは、歩み寄ったレンから紙をうけとり、剣の汚れを拭った。神々しいまでに鍛えられた銀の刃が再び鞘に納まる。
「……醜いわね。医師。早くこの者の縄も解いて、手当てして差し上げてはいかが?」
一瞬、リンが純粋な善意でこう言ったのだと信じかけたガクだが、彼女は手術の現場を見ている。この重症では助からないと解っての言葉だとガクは感づき、表情を凍らせた。
薄く笑って扉を指したリンに向ってガクはとっさに声を張った。
「リン殿! ご自分のしたことを解っておいでか!」
「解っているか? そうね。解っているわ」
声を荒げたガクに対し、リンは涼やかに答えた。
「ホルストは、すばらしい政治家よ。必要なときに必要な行動が出来る。わたくしを青の国へ嫁がせてしまおうとしたのも、青と緑の動きをけん制するために軍隊を増強していたのも、見事な対処だわ。彼は、この黄の国にとって必要な実力者」
と、リンは言葉を切った。
「でもね」
ふっ、と薔薇の香りの息遣いが、少女の唇から漏れた。
「この国は、ひとつ。そして、強い力は、ふたつもいらないわ」
ホルストが、ぎりりと首を回してリンを見た。リンは、その目をじっと静かに見返した。
「さようなら、ホルスト。この国を率いる王は、わたくし一人。……ごめんあそばせ」
ガクが、ホルストを抱えて扉に向う。ホルストの目が、リンを振り返る。ガクに支えられ、扉が閉ざされるその時まで、じっとリンを見据えていた。
* *
そしてリンはメイコに向き直った。
あまりの出来事に、動けずにいたメイコは、リンに呼ばれて我に返った。
「メイコ。あなたにもお礼を言うわね。今まで育ててくれて、感謝しています」
メイコの喉がこくりと動いた。乾燥にはりついて、喉から言葉が上がってこなかった。
「レン。メイコに退職金を」
「はい、リン様」
リンが命令し、レンが用意されていた盆をメイコに差し出した。上質な皮の袋に、貨幣が詰まっている。数袋に分けられたそれは、どれもずっしりと重みのあることが、レンの手つきから見て取れた。
「メイコ。見ての通り、おかげさまでわたくしは立派な女王になりました。前王が保証した退職金のほかに、わずかですが、報酬を上乗せしてあります」
お納めください、とレンがメイコに差し出した。
メイコはとっさに金の袋に手を伸ばし、次の瞬間勢いよく叩き落した。
「リン! ……あなた、あんた……なんて事を! 」
メイコが一歩踏み出した。その足がぐっしょりとぬれたホルストの血を踏み、一瞬彼女は凍りついた。それでも、ひとつ呼吸をしたのち、メイコはまっすぐに声を通した。
「確かに、ホルスト様のしたことも、シャグナ様のしたことも人としては許されないこと……でも! 彼らは、間違いなく、この国の領地を支えた者です! ……教育係として申し上げます。意見は言葉によって語るものであって、剣によって語られるものではない!」
「おだまりなさい!」
しゅっと風が切られ、次の瞬間メイコの喉元に切っ先があった。
いつのまに、抜かれたのか。そして、この子、リンは、いつのまに……人に刃を向ける覚悟が、ついたのか。メイコの思考にリンの言葉が静かに浸みこむ。
「見なさい。そう言った舌の根も乾かないうちに黙ったわね、メイコ? 言葉など、凶器の前には無力でしょう? ……今なら、選ばせてあげるわ。クビになるか、本当の、首だけになるか」
リン王女。なぜ。
震えたようにメイコの乾いた唇が動くが、音を発することはなかった。メイコの瞳が、リンの静かな青の瞳を焼き尽くさんばかりににらんだ。しかし、リンの静かな水面は、ついに変わることは無かった。
「……前王との、約束ですから」
やっと声を発したメイコが、リンの表情を見据えたまま、よろめきながら床にかがむ。メイコの手が、床に落ちた金の袋を掴んだ。かたかたと、その手が震えていた。
「……前王との契約分だけ、頂いてゆきます」
メイコが、くるりと背を向けた。
「クビということで、よろしいですわ。リン、女王陛下」
真っ赤な足跡が、湿った音を立てて扉に向かい、やがて閉ざされた。
後には、おびえきった兵士たちと諸侯たち、立ち尽くす幾人かの召使、そして、レンが残された。リンは剣を再び鞘に収めると、ゆっくりと壇上の玉座に向った。
「さて、諸侯たち」
リンはふわりとドレスを捌いて、玉座についた。
「今後のことを話し合いましょう」
残る諸侯はあと十人。皆、税率や前王への関わりでは、シャグナやホルストと同じような経歴や思いを持っている。だからこそ、従順にリンに従った。
……リン女王陛下は、狂王だ。逆らえば即、粛清される。
「現在、情報が入ったところによると、青の皇子カイトを擁した船団が、緑の国へ向っているそうね」
リンは、ぐるりと玉座の間を見渡し、諸侯らにぐいとその視線を照準した。
「たとえどんな形でも、緑の国を青の国に渡してはなりません。
それは黄の国のふところに、宿敵青が入り込むということ。
青自身の豊かな資源、緑の国の技術に力を得て、あっと言う間にその影響は黄の全土を喰らいつくすわ。青の皇子はもてなし上手の外交上手。緑のミクは音にきこえた賢王。
わたくし達が国として生き残るには、絶対に、緑を青に渡してはいけないのよ。たとえどんな手を使ったとしても」
と、リンの唇がくいと持ち上がった。
「さすがミク様。黄の国が不作で、身近な取引相手だが油断ならない黄の国力が弱った隙に、青に乗じて自らの利を確保する。……みごとだわ。さすがね。……さすが、わたくしの憧れたミクさま。」
そのままリンはくすくすと笑い声をもらした。
「小さな国なのに、わたくしとそう変わらない歳なのに、こんなに魅力的で……脅威だわ」
玉座に座っていなければ、まるで恋人との待ち合わせに向う少女の笑顔だ。リンの瞳がきらきらときらめく。たった十四の女王の、幼さと冷静さが同居した異様なまでの美しさに、その場に居るものたちは圧倒されるばかりだ。
ぱん、とひとつ手を打ち合わせて、リンはドレスを捌き玉座から立ち上がった。
「緑の国を、落とすわ。青の国が、緑の国に到着するまでに。……わたくしは、青の皇子を、緑の国の玉座で迎えたいと思います」
リンの視線が、ぐるりと見回した。みな、その表情に釘付けだった。
「緑の女王、ミクの命を、この手に。……返事は」
全員の返事がはじかれたように響いた。
玉座の間の空気が一転した。緊張と戦への興奮が、血の匂いにあおられてさらに張り詰めた。
続く!
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