※鏡音が双子じゃないです。駄目な方はバックプリーズ。
―空に刹那の光を散らし、漆黒に浮かぶは夏花火。
「え? 夏祭り?」
春雨を和えていた手を止めて、リンが隣りの幼馴染へと視線を移すと、パチパチと油が跳ねる音に紛れて、ああ、と聞き慣れた声が返事をよこした。
「そう。毎年やってる」
「ああ、あれ」
主語を排したやり取りは馴染みの者同士に特有の、この相手なら分かってくれるという信頼。幼少からの幼馴染や長年連れ添った夫婦に、会話が少ないのはそういった理由からだ。勿論高校生であるこの二人は前者であるが、彼らの友人たちがもしこの場に居たなら、からかい半分感心半分でこう評していただろう。
―流石おしどり夫婦、と。
「で、それがどうしたの?」
そんなことは露にも考えず、リンは言葉を続けて問いかける。ただし視線はもう手元のボウルに戻っていたが。
茹でた春雨と細切りにしたキュウリとハムを三杯酢で和えゴマを振りかける、この料理は二人の定番だ。理由は簡単、手軽で美味しく材料費が安いから。少しでも生活費を節約したい身にとって、また誰が作ってもさほど味の変わらない料理として、この二人はその恩恵に与っている。
家が隣同士、さらに幼小中高揃って一緒な彼らはよく夕食の一時を共にしている。レンの両親は長期海外出張中、リンの両親は共働きで毎日帰りは遅く、泊りがけも頻繁な多忙の身。物心ついた頃から互いの家を行き来していたが、高校に上がってからは、家を交互にして夕食を食べるというルールがいつの間にか出来ていた。レンにとっては食費軽減になり、リンにとっては防犯になるという、利害の一致からである。
「いや、それがさ…あ、トレイ」
「はい、どぞ」
隣りからの声にすかさず反応して近くにあったトレイを手渡す。勿論底にクッキングペーパーを敷くのも忘れない。
サンキュ、と呟いてレンは手際よく油の中から、唐揚げを次々トレイの中に並べていく。細かな油の気泡が跳ねる表面はこんがり綺麗な狐色。一目だけでも空腹にはたまらない。
「うっわー!美味しそー!」
現に目を輝かせて一心に唐揚げを見つめるリンの脳内には、その魅惑の狐色を噛み締めている映像が無限ループしている…ことなど、顔を一瞥しただけでレンにはすぐに分かった。
「ほら、リン。手止まってる」
「…え、あ」
指摘されてようやく正気に戻ったリンは、もう充分に混ざった春雨を慌てて小鉢に移していく。レンも唐揚げを盛りつけつつ、味噌汁を再度温め直す。
二人分の料理をテーブルに運び終え、油の処理と調理台の整理をして、着席。そして手を合わせて礼儀正しく。
「「いただきます!」」
今日もいつも通り、二人だけの夕食が始まった。
「…で、さっきの続きなんだけど」
味噌汁を片手にレンがそう切り出したのは、リンが最後の唐揚げを掴んだところだった。
「え? …あ、うん。どうぞ」
一瞬考え、すぐに夏祭りの話が途中だったことを思い出し、リンは唐揚げに齧り付いた。途端肉汁が口一杯に広がり、リンの顔にも笑みがこぼれんばかりに広がった。
「…幸せそうで何より」
その反応に半ば呆れた表情をしつつ、レンはお椀をテーブルに置いた。
「今年の夏祭りが明日あるってことは知ってるよな?」
「うん、それはいくらなんでも」
だって色んなとこにポスター貼ってるし、とリンは続ける。市が主催する街の夏祭りは毎年の恒例行事だ。商店街には提灯が飾られ、屋台が所狭しと立ち並び、人と歓声で溢れる日。ラストは夜空を埋め尽くさん限りの大輪花火。そんな全国各地どこにでもあるようなありふれたものだが、近づくとやっぱりわくわくしてしまうのは日本人の本能なのだろう。
現に今のリンもその鮮やかさを思い出し、次第に心が浮き立つような気分になってくる。
「それで昨日買い物行った時、こんなん貰ったんだよ」
その声にはっと現実へ戻ったリンの前に、レンは一枚の紙切れを差し出した。手の平サイズの長方形型。色画用紙を切り取ったそれは、表に印刷文字で『屋台無料(ただ)券』と書かれていた。
「へー、ただ券かー…て、え!ただ ?! 」
思わず驚きが口から飛び出した。屋台の商品といえば、普段より割高と相場が決まっている。それが無料になるというのは非常に嬉しい。小学生のリンなら間違いなくこの場で掻っ攫っていただろう。勿論高校生のリンはその欲求をぐっと抑え込むが。
「ああ、ただ条件付きでな」
そんな彼女の葛藤などこれっぽっちも気づかず、レンは言葉を続ける。それに首を傾げたリンは、券の裏を見るように勧められ、手に取り引っくり返す。そこには券を使う上での注意書きが細かい文字でびっしりと並んでいた。曰くこの券は一回限りの使用になります。曰くこの券で引き換えられるのは千円以下までとします。云々。
「…何か、気前がいいのか、けちくさいのか、よく分からないね…」
「まあな。で、重要なのは一番下」
見てみろ、と促され、リンは再度手の中の券に視線を戻す。何かの模様のように並ぶ文字の羅列、その一番最後に付け加えのような文章でこう書かれていた。
『なお、この券の使用は浴衣着用の方のみとさせていただきます』
その一文で、リンは全てを理解した。
「…つまり、浴衣を着てお祭りに行こうってこと?」
「その通り」
リンの言葉にレンが大きく頷いた。
傍から見ればこれは立派なデートのお誘いであるが、当の本人たちにそういった甘い空気が無いのは、その下にある魂胆がすっかり伝わってしまっているからだ。
元々レン自身は夏祭りに行く気などなかった。行くにしても辺りをぶらぶらするくらいで留めておこうと、それくらいにしか考えてないだろうとリンは思っていた。しかしその本人がリンまで誘って行こうとするなんて異常事態、理由は一つしか考えられない。
―こいつ、明日の食費を浮かす気だ。
「明日は部活も休みなんだろ?」
「…うん、まあ」
「ならいいじゃん」
「…はあ」
「…何でそんな歯切れ悪いんだ?」
首を傾げてかけてくる言葉には心配の色が見える。しかしその訝しむような声音にリンは溜息が止まらない。両肩が重く感じるのもきっと気のせいじゃない。
「(…いや、分かってるけど。分かってますけどね!)」
レンの一番の関心事がいかに食費を削りつつ満腹感を得るかということも、レンの目的が屋台の食べ物だということも、目的のためには自分の周りのものをも利用する性格だということも、全部分かっている。分かっているからこそリンは落ち込む。
―そこに少しでも、『あたしと行きたいから』っていう理由は無い…んだろうね。
レンの言動に他意は見つからない。いっそ無邪気ともとれるその顔に、リンは悲しいやら切ないやらどういう表情をすればいいのか分からなかった。
そしてそんな複雑な乙女心など分かるはずがなく、レンはリンの反応を不思議に思いつつ、しびれを切らしたのか少し拗ねたように口を尖らした。
「…まあ、嫌なら無理にとは言わないけど」
その言葉が耳に入った瞬間リンは慌てて顔を上げた。
「え、ちょ!違う違う違う!嫌なんて言ってな…っ!」
手を振り必死の表情での全力否定。しかし途中で、ぽかんと口を開いた間抜けな顔のレンを見、リンはあることに気づきそれ以上言えなくなってしまった。
―しまった。これじゃ自分から一緒に行きたいと言ってるのと同じじゃないか。
途端、火照る頬に手を当てて俯いたリンの顔は、林檎もかくやというほど赤く染まっていた。
しばらく何とも言えない沈黙が続き、それに耐えかねたようにぼそり、とレンが話し始める。
「…まあ、それならありがたいんだけど…」
「…うん…」
「…た、たまにはいいんじゃないか?リン、浴衣似合いそうだし…胸無いから」
「…ちょっと待て。今なんつった?」
微かな呟きだったが、聞き逃すはずがない。決して長くないリンの堪忍袋の緒を勢いよくちょん切る、その発言を。
地獄の底から響くような低音を聞いて、げ、とレンが呻くが、一度出てしまった言葉はもう戻らない。言葉を返す代わりにリンは手を伸ばしレンの皿の上、唐揚げの最後の一個に箸を突き刺し、口に放り込む。ぱく、もぐもぐ、ごっくん。
「あー!俺の唐揚げー!てめ、人がせっかく残してたやつ!」
「何よ!乙女の繊細な心を傷つけたのはそっちじゃない!」
「はっ!乙女は人の唐揚げに箸突き刺さねーよ…て痛っ!」
「うっさい!馬鹿レン!」
「そっちこそ唐揚げ返せ…痛たたた!リン、お前一体何コンボするつもりだよ!」
「そっちが悪いんじゃない!馬鹿あほレン!」
「痛い痛い!ちょ、暴力反対!」
どかんどすんどかん。そんな擬音語が大音量でしばらくの間続き、ようやく静かになったリビングには、テーブルに突っ伏し、ぜーはーぜーはーと荒い呼吸を繰り返す二人。
「…もう止めよ」
「…ああ」
少しの間へたりこみ、むくりと起き上がると、黙々と残っていた分を平らげて片づけを始める。喧嘩の後だろうが疲れていようが、習慣となった作業を自然と身体はこなしていく。
「…ねえ、レン。さっき気づいたんだけどさ」
そしてリンがためらいがちにそうレンに話しかけたのは、すっかり食器も調理道具も綺麗に片付いた後だった。
「…何だ?」
その声にレンは眉を顰めて答える。何か嫌な予感がする。
しばしの逡巡の後、リンはそっと口を開いた。
「…あたしの持ってる浴衣、子供用だから…その、着れない…かも」
「………」
本日三度目、また二人に重い沈黙が訪れた。
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