「ルカさん?」
黙りこんでしまったルカに、鳥海が怪訝そうに声をかけてきた。
「ルカさん、大丈夫?」
その言葉に、大丈夫です。と反射的に言いかけて、しかしその言葉は心の奥底で響く弱い音に遮られた。
大丈夫じゃ、ない。とルカは言ってしまっていた。
「私、いま淋しいです。遠くに来すぎてしまって。ひとりぼっちみたいで。そんなことないのに。なんでだか、凄く、淋しいです。」
弱い音が途切れ途切れにルカの口から零れ落ちる。響いてしまった弱音を消すことなくルカが鳴らしてしまったら、今度は、電話の向こう側が黙り込んだ。
途絶えてしまった相手からの音に、心細さで涙が落ちそうになりながらも、それはそうだよね。とルカはどこか冷静に思った。久しぶりに話をする知人に弱音を吐かれたら、誰だって戸惑うよね。
分かってはいるのに、なんでこの人に私は寄りかかってしまっているのか。こんなの、ただの甘えでしかない。こんなことではいけないのに。
自己嫌悪から、ルカの口から謝罪の言葉が出てしまう少し前、鳥海からの言葉が柔らかく耳に届いた。
「ルカさん、そこから空が見える?」
脈絡のない鳥海の言葉に、ルカは意表をつかれながらも、周囲を見回した。
今いる場所は、両側がスタジオになっているので窓がない。見回した視線の先に、非常階段の表示を見つけて、ちょっと待ってください。と言ってルカは廊下の端へと小走りで向かった。
非常扉の施錠を外し、重たい鉄製のドアをぎぎぃ、と音を立ててゆっくりと開けた。冷たい硬質な空気がルカの頬を撫でる。まだ春には手が届かない冬の気配にルカが首をすくめていると、受話器から空が見える?と鳥海の声が聞こえてきた。
「あ、はい。外に出ました。」
「夕焼け、見える?」
鳥海の言葉に、ルカは顔を上げた。
視線の先、見上げた空は一面のオレンジ色に染まっていた。朱と黄を混ぜた柔らかくも温かな色の太陽が、乱立するビルの影に沈もうとしている。
「はい。とても綺麗。」
夕焼けなんて、久しぶりにちゃんと見る。その綺麗な光景にルカが明るい色のついた声で言うと、鳥海も浮き立つような声で、こっちでも見えるよ。と言った。
「ここから、この店のテラスから見える夕焼けも綺麗だよ。ここからだと右側に夕焼けが見えて、丁度カラスが飛んでる。左は、藍色の、もう夜の空だ。星が見えるけど、あれは何星?」
鳥海の実況中継的説明に、笑みをこぼしながらルカは、私はちょうど正面に夕焼けが見えます。と言った。
「残念ながら、東の空は見えないですね。カラスは、飛んでないけど、雲が薄くたなびいていて綺麗です。」
そうルカが言ったら、そうかちょっと違うか。と鳥海が笑う声が聞こえた。
「だけど、綺麗なのは一緒だ。俺がいるところとルカさんがいるところは、繋がっているよ。」
穏やかな鳥海の言葉に、ルカは再び視線を夕焼けに向けた。
鳥海が見ている空と自分が見ている空は一緒なのだと、そんな当たり前のことに気がついた。一緒で繋がっているんだ。そんな当たり前で簡単なことを鳥海が教えてくれた。
簡単な事だけど大事なことに気がついた。
「とても綺麗ですね。」
なんだか泣きそうになりながら、ルカがそう言うと鳥海も嬉しそうに、綺麗だね。と言った。
繋がっているんだ。遠くまで来てしまったけれど、途切れてなどいないのだ。はじまりの場所から今ここにいる場所まで、そしてこれから進んでいく場所にも。途切れることなく繋がっているから。
そう思ったら、大丈夫。って思った。
今、自分がいる場所が見知らぬ場所でも。これから向かう場所がどんな場所でも。あのカフェの前と繋がっているならば、大丈夫。やっぱり少し淋しく思うこともあるかもしれないけれど、それでも怖くない。
大丈夫。きっともっと、高いところまで飛びまわれる。
受話器の向こう側でも自分と同じように夕焼けを眺めている気配を感じながら空を見上げていると、しばらくして、遠くからルカを呼ぶ声が聞こえてきた。開け放ったままの非常扉からルカが建物の内側を振り返ると、丁度自分の名を呼ぶマネージャーと目が合った。
「ルカさん。もう直ぐボーカル録りだよ。なにやってるの?」
「はい。すぐ行きます」
マネージャーの言葉にルカは頷いて、電話に順番が来ました。と告げた。
「音録りの順番が来ちゃいました。」
「そっか。ごめんね、長々と引き止めて。」
それじゃあね。と鳥海があっさりと別れの挨拶を告げる。それじゃあ、また。とルカも応じて、電話を切った。
電話を切って携帯を畳んで、ルカは一度目を閉じた。
冷たい空気を吸い込んで吐き出す。思考がクリアになって、だけど、胸のうちでくるくるとまわる感覚は、消えていない。
ゆっくりと目を開けると、ほんの少し、世界が変わって見えた。ほんの少し、目の前に広がる世界がもっと綺麗になった。
じれたマネージャーが、ルカの名を呼んでいる。くるりとそちらに向き直って、ルカはごめんなさい。と言いながら微笑み、一歩、足を踏み出した。
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