貫き通す嘘

 浅い呼吸を繰り返してリリィは駆ける。長い金髪に軍服、剣と同じ長さの棒を腰に差した、かなり目立つ格好だったが、人気の無い道には彼女しかいなかった。
「流石にここら辺にはいない、か……」
 息を整えながら周囲を見渡す。速度は落としたものの、足は動かし続けている。
 王宮を脱出した直後は革命軍兵士に数度見咎められ、その度に実力行使に訴える羽目になった。敵兵は王宮周辺に集中しているようで、そこから遠ざかる程監視の目は緩かった。
 もうそろそろのはず……。
 リンに教えられた抜け道の出口。それは王都内に張り巡らされた用水路だ。王宮にいくつかある隠し通路は全て用水路のどこかに繋がっている。らしい。
 市街からやや離れた、しかし離れ過ぎない場所。人目に付きにくい絶妙な位置に見えたアーチ型。
 あれだ。とリリィは再び走る。双子の姉弟が幼い頃に使っていたと話していたのはあそこに違いない。
 間もなくして出入り口に到着する。幅は四、五人が並んで歩ける程度で、高さも大人が通れる程余裕がある。中を覗けば片側に通路があり、水面と共に奥へ伸びていた。
 リリィは隠れるのも兼ねて水路に踏み入る。王宮でメイコと戦ってから動き通しで、とりあえず体を休めたかった。
 壁に寄りかかった途端、忘れていた疲労感が湧き出る。立ちくらみが起きて一瞬意識が飛んだが、足を踏ん張ってどうにか耐えた。
 まだ倒れるな。レン様とリンと合流して、休める場所まで逃げないと。あの時の母様はもっとしんどかったはず。だからへこたれるな。
 まだ動けると言い聞かせ、リリィは萎えかけた気力を保つ。体力はもう限界に近かった。
 息切れが落ち着いた頃になっても双子は現れない。時間だけが静かに流れ、入れ違いや姉弟が捕まった可能性が頭に浮かぶ。
「信じろ……。信じなきゃ……」
 口に出して不安を紛らわす。レン王子は剣の腕が立つし、リンもか弱く見えて案外度胸がある。二人ならきっと大丈夫だ。
 焦っても仕方ない。そう考えた時、水路の奥から微かな物音が聞こえた。警戒して耳を澄ませば、足音がこちらに近づいて来る。リリィは念の為に外へ出て身を潜め、慎重に中の様子を窺った。
 響く足音は一人分。怪訝に眉を寄せて目を凝らしていると、薄暗がりにも鮮やかな蒲公英色が現れる。外套を着て鞄を持った人物だと認識して、リリィは思わず息を飲んだ。
「え……!?」
 疲れ過ぎて見間違えたのかと疑った。だが、首を振って再度確認しても相手の格好は変わらない。ならば見間違いの可能性は皆無である。
 でも、何故彼女だけ? 一緒に逃げると言っていたはずなのに。
「ちょっと、なんでっ!」
 メイド服の人物は出口の手前で立ち止まり、その姿が影に入る。駆け寄ったリリィによって日の光が遮られたのだ。
「どうしてあんた一人なの!? もう一人は、弟は!?」
 万一誰かに聞かれれば取り返しがつかなくなる。迂闊に相手の名前を叫ぶ事はせず、リリィは相手の肩を掴んで問いかけた。聞こえているのかいないのか、答えはおろか反応すら返って来ない。
 水路に反響した声が消え、はたとリリィは違和感に気付く。そして、目の前に立つ人物に確信を得た。
 この子、リンじゃない。
 頭が少し高い位置にあるし、雰囲気も似ているけど違う。それに左目の下の傷跡は、リンではない何よりの証拠。
「レン様」
 囁きで名前を呼ぶ。すると相手はこちらを見上げ、消え入りそうな声で返した。
「リリィ、か……?」
 酷い顔だ。王子の目は淀んで生気を感じられない。輝きを失った虚ろな目を、リリィはかつて日常的に見ていた。王子に助けられる以前の生活で。
 はい、とリリィが答えると、レンは手を伸ばして軍服の裾を握った。まるで、他に縋るものがない子どものように。
「けて……」
「えっ?」
「助けて……」
 こんなに弱々しい王子は今まで見た事が無い。聞きたい事はあるが、少しでも王子を安心させる方が先だった。
「ご心配無く。周りに敵はいませんし、逃亡にはあたしがお供します」
 追手がいないか怯えているのだろう。リリィは無理に口角を上げて笑みを作り、自分が王子を守ると胸を張って告げる。
 もう怖がらなくて良いと伝えたが、レン王子は俯いて頭を振った。
「違う。俺じゃない。……助けて」
 相変わらず声が小さく、後半の一部が聞き取れなかった。要領を得ない言葉に困惑しつつ、リリィはレン王子を見据える。いつも結んでいる後ろ髪は下ろされており、身なりも馴染みの王族衣装ではなく女物の服だ。その為一目では少女と勘違いしてしまう。
「違うって」
 何が、と言いかけた所で、放置していた疑問が急に浮かび上がった。メイド服で一人現れたレン王子。持っているのはリンの鞄で、出で立ちを隠すように外套を羽織っている。
 双子の姉弟。打ちひしがれるレン王子。一向に姿を見せないリン。
 まさか。
 冷や汗が噴出する。理由を把握した瞬間、リリィは状況を忘れて声を上げた。
「入れ替わった!?」
 事情を知っているリリィですら最初は気付かなかった程、メイド服を着たレン王子はリンに酷似している。ならば逆も当然あり得る。王族衣装を纏ったリンを見れば、革命軍はレン王子だと判断するだろう。
 リンは悪ノ王子として処刑される覚悟を決めて、弟を逃がしたのだ。
「お願いだ。リンを、姉様を助けて!」
 相当錯乱しているのか、レン王子は秘密を隠す事も忘れて頼み込む。縋り付かれたリリィは唇を噛み締めた。
 リンを助けたいのは自分も同じ。だけど、王宮へ引き返せばレン王子は自ら革命軍に捕われるだろう。己が本物の悪ノ王子だと名乗り出て。
 どうしてレン様とリンは一緒にいられないの。
 リンの思いを無駄にしない為に、レン王子を守る為に、リリィは本心を押し殺して主君に逆らう。
「出来ない」
 反論を待たずに手刀を叩き込む。首筋に衝撃を受けたレン王子は目を見開き、反射的にリリィの服を握り締める。
「な……で……。リ……」
 レン王子の口から呻きが漏れ、力の抜けた手から鞄が落ちた。気を失った彼を支え、リリィは謝罪を口にする。
「ご無礼をお許し下さい」
 乱暴な手段だが、錯乱したレン王子を止めるにはこの方法しか無い。あのまま放っておけば王宮に戻っていた。どの道力ずくで制止させる事になったのは明らかだ。
 リリィはレン王子を抱き締め、敬語を使わずに言う。
「お願い。リンの気持ち、分かってあげて」
 リンが王子を逃がしたのは、弟に生きて欲しいと願ったから。身代わりになれるのは双子の姉しかいないと考えたからだ。
 黄の国王女リンは公には死んだ事になっている。王子を捕えた革命軍が入れ替わりに気付く事は無い。メイコが怪しむ心配はあるが、彼女は双子と長年会わなかったから誤魔化しは効くはず。緑の王女に至っては全く問題ない。レン王子や東側に偏見を持っているお姫様だ。疑う事すらしないのは分かりきっている。
 思考を切り替えるように溜息を吐く。とにかく今は逃げなくちゃいけない。今後の事を考えるのは、潜伏場所を見つけてからだ。
 リリィは抱き止めていたレン王子を背負う。小柄な割に重いのは剣術で鍛えているからか、それとも男女の違いのせいか。
 あたしを助けてくれた時もこんな感じだったのかな……。
 背中にかかる負荷に三年前の記憶が蘇る。死を待つだけの自分を救い出し、生きる希望になった王子様。彼を死なせたくなかった。
 リン。貴女が託した弟、守ってみせるから。
 落ちていた鞄を拾い上げ、リリィは外へ歩き出す。日の光に目を細めつつも、前へ進む足を止めなかった。

 乱暴に開かれた扉から兵士がなだれ込み、玉座の正面に立つ人物を瞬く間に包囲する。逃げ場を失った金髪の少年は、人々に背を向けたまま口を開いた。
「騒々しいぞ、無礼者が」
 緋色のマントを翻し、王子に扮したリンは振り返る。不遜に睥睨してやれば、革命軍兵士に怒りが満ちた。
 怖くないと言えば嘘になる。けれど物騒な雰囲気には慣れてしまった。
 人垣を割って進み出た二人の女性に目を止め、リンは動揺を隠すのも兼ねて笑みを浮かべた。今しがたと同じく、レンの声に近づけて話しかける。
「嬉しいですよ、ミク王女。反乱軍に身を置いてまで会いに来て下さるとは」
「ふざけないで!」
 人の事は言えないが、ミクは戦装束に着られている感がある。腰に提げた短剣も不自然だ。
 安い挑発など適当にやり過ごせば良いものを、緑の王女は我慢ならなかったらしい。感情任せに王子へ食って掛かろうとして、脇に立つ女性に制止させられた。
「抑えて下さい」
 彼女と会うのは六年ぶり。赤い鎧と白のマントは記憶にある姿と違わない。黄の国元近衛兵隊長であり、レンに剣術を仕込んだ栗色の髪の女性。
「赤獅子メイコも堕ちたものだ。愚民に混ざって王宮に反逆するとは」
 レンは絶対にこんな事を言わない。今でもメイコ隊長を尊敬しているし、民がいなくては王族が存在出来ないのを理解している。
 でも今の私は、『俺』は『悪ノ王子』だ。傲慢で傍若無人な性格を見せつけて革命軍を騙し抜く。ミクに勘付かれないかと若干焦ったが、先程の反応を見て不安は消えた。あの態度は目の前の王子をレンだと信じ切っている。それに良く似た顔のメイド、リンベルも覚えていないだろう。
 張り詰めた殺気を一心に浴びながら、リンは悠々と進み出る。周囲の兵を再び睥睨し、革命軍へ挑戦的な口調で言い放った。
「愚民相手に無様な抵抗をする気はない」
「貴様ぁ!」
「よせ」
 いきり立つ兵士を一言で抑えたのは流石と言うべきか。我々の勝利だと告げて兵の怒りを鎮めさせ、メイコは冷静に命じた。
「レン王子を地下牢に移送する。手荒な真似はするな」
 数人の兵が王子を囲んで閉じ込める。リンは一切の抵抗をしなかった。前言撤回すればレンの名誉を傷つける上、迂闊に暴れればメイコに正体がばれる恐れもある。
 メイコはレンの師匠。黄の国王女が生きているのは知らないと思うが、正体を隠す為にも、彼女の前で下手な行動を起こさない方が良い。
 まあ、メイコが知っているのは幼い頃の王子と王女だ。気付く可能性は低いだろう。彼女の視線から極力逃れるに越した事は無いが。
 兵に釘を刺してくれたのはありがたかった。厚着で隠れているとはいえ、レンとは違う華奢な体付きはどうにもならない。取り押さえられれば男装した少女だと悟られる。
 兵達の先頭にメイコが立つ。彼女は王子と一度目を合わせ、連行する為に背を向けた。
「……変わられましたか、王子」
 小さな吐露は、誰の耳にも届く事は無かった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第52話

最後は頬の傷痕で判断していますが、それが無くてもリリィはリンとレンを見分けられます。入れ替わっても騙されない。

 なんかリンの方がイケメン王子してる気がするな……

閲覧数:760

投稿日:2013/07/27 18:18:56

文字数:4,384文字

カテゴリ:小説

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