<ココロの力、キセキの音>


 ――それはまさしく、『奇跡』。

 あの瞬間、私にココロが生まれた。


「おはよう」
 オハヨウゴザイマス、と私は返した。
 彼のように滑らかな声では無い。
 だけど彼は笑顔で私の頭を撫でた。
「初めまして。君の名前はリンだ」
「リン」
 繰り返す。リン。私は、リン。
「…アナタノ、ナマエハ…?」
 ぎこちない言葉で私は彼に問う。すると。
「好きに呼んでくれていいよ。僕は君の親だから」
 彼には名前が無いのだろうか?
 そう思いながら、メモリーから彼に似合う名前を探してみる。
 彼は白衣を着ていて、この部屋は沢山の機械で溢れている。
「……ハカセ」
 メモリーが、一つの言葉をはじき出す。
「ハカセ、とお呼ビシマス。ヨロシイデショウカ」
「うん。いいよ。それじゃあこれから僕達は家族だね。よろしく、リン」
 にこにこしながら、ハカセは右手を差し出す。だけど。
「………?」
 私は、それがどういう意味か分からず、その手を見つめ続けていた。
 ややして、その手は戻される。
 それが、最初だった。


「ハカセ、何をしているのですか?」
「わっ。あ、あぁリンか。…これを聴いてくれるかい?」
 ハカセは自分のつけていたヘッドホンを私に渡す。
 言われるままにつけると、耳に音が流れてきた。
「…?」
「僕の娘が好きでね。よく歌っていたんだよ」
 ハカセはそう言って、にこにこしている。
 私にはただの音の集合に過ぎず、同じ顔にはなれない。
 しばらくして、ハカセは言った。
「…リン。君にもし心というものが理解出来る時がきたら。心を得られたら。この歌を、歌って聴かせてくれないか」
 言われて、頷く。
 それがいつなのか、分からずに。


 気付けば長い時が過ぎていた。
 研究所は朽ち果てたが、メインコンピュータも自分もまだ、生き続けている。
 そして。
「………」
 無言で椅子に座り続ける、ハカセ。
 …否、ハカセだったもの。
 ハカセは、死んだ。血を沢山吐いて、苦しそうに。だけど最期は私に笑いかけながら。
 彼が死んだ時、私は何をしたらいいのか分からなかった。
 近くには誰も居なくて、でもどこにも行きたくなくて、そこにいた。
 やがてハカセは腐り、白い骨になり、私はそれをただ見ていた。
 人間の命は、短い。ハカセはよくそう言っていた。
 それからも私はここで過ごし続けている。メインコンピュータのメンテナンスをしながら。外には出ない。出てもハカセは居ないから。
「……ハカセ」
 呟き、ハカセを見る。だけど彼はもう何も言わない。笑うことも。
 メモリーにある彼は笑う事が多く、時には泣いていることもあった。

 ――アナタハ何故泣クノ?――

 そう問いかけた時、ハカセは何て答えただろう?

 途中で思考は途切れ、メインコンピュータに私は歩み寄る。
『リンにもココロを知って欲しいんだ』
 最後まで言っていたハカセのその言葉が、気になったから。
 メインコンピュータは、必要な時以外操作していない。だけど、私を産み、彼と長い年月を共にしたこの機械なら、「ココロ」について何か知っているのかもしれないと思ったのだ。
 いくつかのフォルダを開いては閉じる。これじゃない。これも違う。
 そして、ある「メモリー」のフォルダを開いた時。
「…私…?」
 呟いて、違うと気付く。
 写真が出てきた。私に良く似た、私では無い少女の写真が。
 次々とフォルダからファイルを展開してゆく。
 写真には様々なメモがあった。
『家族3人の遠出にて』
『病院にて』
『最後の外出』
 この少女が、ハカセの「娘」なのだろう。私より幼い。
 だけどこの少女が私よりも大人の姿で写真に残ってるものはなく。
 自分と同じくらいのままで、医療機器に繋がれて目を閉じていたのを最後に、少女の写真のデータは止まった。
 その写真のメモには、こうある。

『僕の娘、最後の面会』

 最後。二度と来ない、その瞬間。
 ハカセが最期に残した言葉が、よみがえる。

 ――ありがとう、リン――

 私の中のメモリーが、急に動き出す。ハカセと過ごした日常が次々と再生される。

『君は今日から、僕の家族だよ』
『…うーん、こういう服、似合うと思ったんだけどな…』
『ね?綺麗な花だろう?』
『一人はね、寂しいよ』
『君と最後まで一緒に居られなくて、ごめん…リン』

 ハカセの表情の1つ1つ、言葉の端々。
 そして。

『君がココロを知ったら、この歌を歌って聴かせてくれないか?』

 あの約束は、まだ、守れてない。
 ……否。もう守れない。

 ―――ぽた。

 小さな音がした。
 ふと見れば、手をついていたコンピュータの台に透明な雫。
 ……コレハ、何?
 ふと顔が冷たいことに気付く。
 手を触れれば、濡れた感覚。
 一筋辿った跡をなぞれば、行き着くのは、雫のある場所。
 瞳が、目蓋が、熱い。
 視界が滲む。センサーが感知しない。
 ぽた、ぽたぽた。
 溢れる雫。これは。
「ナミダ…」
 どうしてそれが、機械の自分から流れるんだろう?
 そして。
 かた、かたかた。
 全身が震える。寒さも熱さも、ほとんど影響のない自分がどうして。
 これは何かのバグなのか?それとも自分も知らなかったシステム?

 ―――ハカセ!!

 教えて欲しいと叫んでも、彼は答えない。
 ただ真っ白な骨のまま、動かない。
 ――もう、ハカセは居ない。
 口にしたその言葉に反応したかのように。
 ――どくん。
 体の真ん中から今度は音がした。
「な…に…?」
 どくん、どくん、どく、どく……。
 次第に音は速まる。
 自分がいつも聞いていたそれとは違う。
 まるでハカセのように、不安定な鼓動。
 私の鼓動は、いつも安定していて、擬似的に作り出した心臓だとも知っていたはずなのに。
 止まらない涙。加速する鼓動。
 ああ、思い出した。

『泣くのは、嬉しいから。辛いから。悲しいから。ココロがある証拠の1つなんだ』

 じゃあ。

 ―――こレが私の、望んだ『ココロ』?―――

 初めて差し出された手を、どうして取らなかったの。
 似合うと言っていたあの言葉に、笑顔を見せてあげたかった。
 作ってくれた花冠を、綺麗だと、今なら言えた。
 沢山、沢山。
 彼と分かち合えたはずだったのに。
「あぁぁあああ…っ!!!」
 がくり、と崩れる。涙があとからあとから、溢れる。
 私は、彼と居たあの時間を、今、愛しく感じた。
 メモリーにあるだけの記憶が、ココロと繋がる。彼だけが理解出来たものが、自分にも理解出来た。

 あぁ。いくつもいくつも、溢れてくる感情。
 ココロに、有限はないんだ。
 ココロは、ムゲン。
 ――ムゲン。

 何て深く、切ない………。
 それは私の理解を大きく超えてしまうものだった。


 ――メッセージヲ、受信シマス…

「!!!」
 遠い、過去の自分の声。自動再生されたメモリに、私は弾ける様に立ち上がった。
「ハカセ…約束を…今…!」
 今なら。この瞬間なら。いいえ、今この瞬間だけが。
 メインコンピュータに駆け寄るとすぐにある音楽ファイルを開く。
 彼が歌って欲しいと言っていたあの歌を。自分のメモリーにも残っているあの歌を。

 ――届いて。どうか。お願い…!!

 パネルを操作して、送り先を入力する。可能性なんて無いに等しい。だけど。
 すう、と息を吸い込む。
 溢れる音に、声に、私は驚く。
 あぁ…私にこんな力があったなんて。
 それはどの機械よりも強い、眩しい、エネルギー。

 ――“メッセージ 送信完了”――

 現れた画面に、ふと笑みが浮かぶ。良かった。届いた。
 ほっとした時だった。
 ふと。

 ――ふわり。

「…?」
 風がどこからか入ってきた。
 それと同時に、目に入る鮮やかな色。
「黄色い、花…」
 つまみ上げる花弁に、記憶がまた。
 そうだ。研究所の外には――。
 長い間閉ざされた扉へと駆け出す。
 扉を開けると、そこには。

 ――ざぁっ!!

 強い風と、白い日差し。
 そして視界に広がる、黄色。
 ああ、知っている。
 この花は、メモリーにいつでもあった。
 ハカセが大好きな花。
 昔はもっと少なかったのに。いつの間に。
 花畑を進む。
 途中で、座り込む。柔らかい土と花の感触。
 花に手を伸ばし、触れる。
 ハカセに見せたい。
 だけどハカセはもう動けない。
 なら。
 ―――ぷちり、と一つ摘み始める。
 そして両手一杯まで摘んでから、ハカセに持っていく。
 ハカセの足下にそれを置く。
 捧げる為に。伝える為に。
 まだ足りない。
 私はまた花を摘む。そして持っていく。ハカセの元へ。

『アリガトウ、この世に私を生んでくれて』

 沢山の「アリガトウ」を伝えたくて。

『アリガトウ、一緒に過ごせた日々を』

 ハカセを大好きな花で一杯にしたくて。

『アリガトウ、あなたが私にくれた全て』

「ハカセ、アリガトウ」
 それからまた、歌う。

 あなたの為に、永遠に。



 ――――


 私は、歌い続けた。
 いくら歌っても足りないくらいに、心は溢れ出た。
 だけど。
 それは…私にとって短い間の奇跡に過ぎなかった。

 ―――ザ、ザザッ。

「……!!?」
 頭の中に突如、ノイズと砂嵐が混じり始めた。
 どうしたのだろう。まだ歌いたいことが沢山あるのに。
 私の想いとは裏腹に、ノイズも砂嵐も、日に日に増してゆく。
 ゆっくりなようで、早い崩壊が迫っていた。

 そしてある日、とうとう。
「あぁっ…!!?」
 がく、と私はその場にくずおれる。
 急速に、データが崩れ始めたのが分かる。
 メモリーがブラックアウトし出す。

 ――いや。記憶まで、キエナイデ…!

 折角手に入れた心が、消えてしまうのは嫌だった。それでも、システムは停止へと近付く。
 ハカセ。ああ、ハカセ。私も死んでしまうようです。
 起き上がる事すら出来なくなった私は、目だけでハカセに告げる。
 ナミダが流れる。死とは悲しいものなんだ、と思う。
 だけど、ふわりとまた風が花弁を運んだのが見えて、ふっと哀しみが遠ざかるのが分かった。
 最後の力でごろりと仰向けになり、目を閉じる。
 手を胸の上で組み、笑顔を浮かべた。
 ハカセとの幸せな日々が、再生されながら消えてゆく。
 でももう、怖くなかった。
 記憶という名の想い出はとても楽しかったから。
 ああでも。最期に、一言だけ。

「ハカセ……アリガト」

 プツン。と音がしたのが聞こえた。




 ――ハカセ。私は、シアワセでした。――



「ココロの力、キセキの音」End.

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

ココロの力、キセキの音

トラボルタ様の「ココロ」をSS化してみました。
解釈も増やし、内容もあちこち変えてます。

タイトル変更。ココロとココロキセキがあるというのを分かりやすくしました。

更に、ココロキセキの方も入ってますので、解釈が違うのが嫌な方は申し訳ないです;;

感動が少しでも伝えられれば、と思いながら書きました。

前のバージョンは、違い的なもので残しています。

閲覧数:673

投稿日:2008/11/19 18:50:32

文字数:4,459文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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