今まで意味もなく貯めてきたお年玉や小遣いを全て崩した。後悔はない。きっと、このために残しておいたのだと確信できる。
俺は毎晩のように十音と町へ繰り出した。ゲーセン、パチンコ、ネットカフェ、ボウリング、サイクリング、ビリヤード、ライブハウス、コンサート、美術館、ブティック、ファーストフード……。
全てが十音にとって初めての経験で、どこへ行っても子供のように目を輝かせた。そんな彼女の笑顔を見ることが俺の楽しみになっていた。
これは夢を探す旅でもある。様々な経験をして、その中から楽しいことを見つけて、打ち込めるように。
そしていつしか俺たちはカラオケボックスへ行くことが多くなっていた。
十音は歌が上手かった。流行りの歌は全く知らなかったが、童謡と外国の歌はなぜか知っていた。
日本で普通に暮らしていては聞けないマイナーな洋楽と、十音の透き通った歌声が俺を魅了した。
ごく自然と、二人の方向は定まっていった。
夜の空地で曲を作り、俺は空いた時間にギターを練習し、休日には駅前でストリートミュージシャンの真似事をした。まるで翼の生えたようにのびのびと歌う十音が人々の視線を独り占めにした。
やがてPCを使った打ち込み音楽へ移行し、ネットでの活動も始める。自分たちの歌に感想をくれる人が増えていくことが楽しかった。十音となら何でもできる気がした。
十音の歌は瞬く間に話題となり、週末には多くの道行く人の足を止めるまでになった。ギターケースに投げ込まれる小銭も聴衆の拍手も、数週間前とは比べ物にならないほどになった。
そんなタイミングを見計らって、俺は十音に切り出した。
「俺はさ……」
空地のあばら家の前。星空の下、夜風が駆け抜ける。
「ずっと音楽やっていきたいと思ってる」
「そう……」
「十音はどうだ?」
きっと乗ってくれる。そんな根拠のない確信があった。それなのに、彼女は沈黙を続けた。
「歌、楽しくないのか?」
あんなにも楽しそうに歌うのに。
「十音なら大丈夫だよ、きっと有名になれる。こんな生活から抜け出せる」
ただ一言、「うん」と言ってほしくて、俺は力説していた。
「でも……私は汚れすぎてる」
そう呟き、ぎゅっと自分の体を抱きしめた。
その痩躯は本来知るはずのない数々の刺激を受けている。いくら反省しても、時間が経っても、許されないものもある。彼女は、そういう世界の住人だ。そして今も、昼間に例の露店を開いている。
「これ以上、一緒にいると初にも迷惑がかかる」
話は期待と逆の方向へ流れ始める。
「本当に楽しかった。今まで生きてた中で一番」
「これからもっと楽しくなる」
「私は陽の当たる世界にいてはいけない。初なら、必ず有名なミュージシャンになれる。応援してる」
「俺は十音と音楽やりたいんだ」
それでも彼女は首を横に振る。
「初はプロになって、もっとたくさんの人たちを照らす太陽にならないといけない。私は初の経歴に傷を付ける存在でしかないから」
それに、と彼女は続ける。
「私よりも上手な歌手はたくさんいる」
確かに俺は他の歌手と組んだことがない。この広い世界には、十音よりも上手い人がいるかもしれない。その人に歌ってもらった方が売れるためにはいいだろう。一方で十音に幸せになってほしい気持ちもある。だけど、十音でなければいけない合理的な理由がない。
俺たちは別々の道を歩まなければならないのだろうか。
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