こちらは
「月ニ降ル歌」-壱ノ唄-
の、続きです。
ちょっとだけ長すぎた。惜しかった。
ご注意事項などは、前項をご覧戴ければ幸いです。
最後に用語解説のオマケ付き。
では、どうぞ
-壱ノ唄- (続き)
岳斗は自分の生まれを、格別に不幸だと思ったことはない。母は傾く家柄の世間知らずの姫君で、所々朽ちた屋敷の中でなかなか来ない夫を待ちながら、それでも自分を愛してくれていた。おまえの父上は立派な方なのよ、という言葉と微笑しか遺さないまま、母は彼が五歳の冬に帰らぬ人となった。ちょうどその時、都は新たな勢力の台頭が活発化しており、神威の血を引く男児など疫病神以外の何者でもない、と幼かった岳斗は山寺へと預けられた。その山寺は生家と同じくらい、年月に食い散らかされていたが岳斗は気にはならなかった。寡黙だが温厚な住職と数人の修行僧に囲まれて暮らす日々は、母亡き都に留まるより余程穏やかだった。
その後政の場において落ち着いた父に引き取られたのだが、都で彼を待っていたのは肩身の狭い生活だった。母の面影を色濃く残す彼を父は愛してくれたが、他の妻たちや異母兄弟たちが良い顔をするはずがない。目立たないように振舞おうとすれども、彼の容姿は否が応にも人の目を惹いた。その才気は、父の寵愛を買った。
岳斗の生活を支え、そしてぐらつかせた父はもういない。父亡き今だからこそ、自分はこのような辺境の地にいるわけだが、そんな岳斗から見ても、レンの境遇は理不尽なものだった。
屋形に仕え始めて少しした頃、岳斗は下男の手を通して前任者の少納言からの覚書を受け取った。昔は宮中に上がる姫君たちを教育していたという少納言の筆 (て)は、流れすぎて多少読みにくいところもあったが、それを上回る優美さを兼ね備えていた。だがその内容は、その字面とはかけ離れたものだった。
少納言の覚書には、こうあった。鏡音の家に生まれし番(つがい)の赤子は、一方が吉の刻、一方が凶の刻に生れ落ちる。星の告げし言の葉は、番の子らは、凶となる。一方を捨て置き、一方を育てよ。されど、人々は臆する。凶の刻生まれの者を、手にかけていいものか。手を下した者は末代まで祟られ、その魂の流転する成れの果ては、鬼か夜叉か――。
ため息とともに、岳斗はその覚書を閉じる。高貴な家柄であればあるほど、吉凶にこだわる。それが卜占の家であれば、尚更だろう。少納言の覚書は、こう締め括られていた。「始めから無かったもの」とされた凶の刻生まれの赤子とともに、私はこの遥かなる地まで来た。すべての秘密をひとしずくたりとも、洩らさぬために。そして。
(秘密を抱えたまま、死んでいった、か・・・・・・)
それがこの任務の、最終到達地点なのだろう。そう考えれば、自分にこの任務が回ってきたのは、至極当然のことと思えた。存在しない方がよい者という点では、自分も大差ない。
遥かなる里に、のどかな春が降りそそぐ。ひっそりとした屋形には人形のように座るレンと新たな岳斗、そして下男夫婦とその息子しかいない。下男夫婦の息子は寡黙な男で、老いた両親に代わって力仕事を一手に引き受けていた。
ほころびた間垣をそれでも修繕しようと、下男の息子と垣根を組み直していると、男が重い口を開いた。
「あんたはお公家さんか」
「いや、武家の者だ。まぁ確かに、こういった作業は慣れていないが・・・・・・。何だ」
黙々と手を動かしながら男はいや、と目も合わさぬままに云う。
「俺のような者が、口をきくのは許されんことだとはわかっている。こんな所にいては、公家と武家の区別も付かんしな。ただ、あの方は――よく、筝(こと) などを奏でていらした」
岳斗は見るからに卑しいこの男が、箏などという言葉を知っていた事に少なからず驚いた。朴訥と、男は続ける。
「死んだ婆さんが、いろいろと手ほどきをしていたようだ。俺にはわからんような、雅・・・とかいうものらしい。あんたなら」
つと、男は力強い目を上げた。
「あんたなら、そういうこともわかるんじゃないのか? それくらいもないと、あの方は本当に何もすることがなさそうだ」
普段この者たちは、なるべく主の目に触れないようにしている。以前から少納言に固く云い付けられていたからだと聞かされていたが、レンの生活に直接関わる彼らが、もっともよく主を知る者である事は間違いなかった。
部屋の隅に置かれていた筝を試しに奏でさせてみると、その音色は都で高評のどの娘たちよりも美しく、合わせて歌い上げられた声は、澄んで心地よく春の空気を震わせた。
「暇だけは、たくさんありましたから」
褒められ、少し恥じるようにレンは手元の爪に視線を落とす。何を恥じる必要があるか、と口にしようとしたところで、岳斗はふと思い当たった。レンの身に着けている風雅はどれも姫たちのそればかりで、本来なら少年の頃に教えられていそうな武芸については、皆無だった。学問も、漢詩などは少し後手に回っているようだ。それも、自分の身を守る術を奪うという意味合いがあるのかもしれない。性の曖昧な服装をし、その存在まであやふやなままに風雅のみを身に着けて育った少年は、さしも老獪(ろうかい)な大人の愉しみとされた感すらある。目の前の美しい主の哀れさに、岳斗は静かな怒りを感じた。
「レン様、屋形の外に出てみましょうか」
そんな提案は、ささやかな抵抗だったのかもしれない。主を屋外に連れ出す事は、この任務を拝命したときに固く禁じられていたが、このような人里離れた土地ではどちらにいても同じことだろう。閉じられた世界に、新たな風を吹き込ませてやる――と云えば聞こえはいいが、実際の出所は、岳斗自身による密やかな独占欲である。それは本人も気づかないような、僅かなひび割れから覗いた新たな芽、今はまだ成長していない、名もない感情である。
亡き少納言の持ち物を探ると、小さな沓が出てきた。レンには小さすぎるかとも思ったが、意外にも白い足は漆塗りの沓の中にぴったりと収まった。きれいな襪(しとうず)までは、さすがに見つからなかった。
初めての外出にはしゃぐレンを、下男は見ない代わりに馬を差し出した。盛りは疾に過ぎた馬だが、外遊びくらいは事足りる。
「屋形、あんなふうになってたんだ・・・・・・」
鞍の上から屋形を見遣り、ふと呟かれた言葉に岳斗は改めてこの少年の世界の狭さに寒気する。彼は自分の住まいを、外から見たことすらなかったのだ。愕然と見下ろしていた金髪がねぇ、と岳斗を振り返った。
「早く行きましょう?」
いつもは青白くすらある頬は、外への期待に紅潮している。陽の下では碧い瞳もより一層きらめき、溢れんばかりの笑顔で岳斗を見上げる。屋内で茫洋とどこかを眺めているより、よほどこの年頃の少年らしい。そうですね、と微笑を返し、岳斗は馬を歩かせた。
朝に夕に、ここの景色は美しかった。風はやさしく季節を運び、空は幾重にも色を変え稜線を彩った。外に連れ出すたび道端に咲く花に、空に架かる虹にレンは喜んだ。新たな発見を指差し、笑顔で振り仰ぐ主を見ている時間が、自分でも信じられないくらい穏やかで心地よいものとなっていた。
いつしか、都のことなど思い出さなくなっていた。レンを命懸けで守る。その任務だけが、岳斗のすべての中心となっていた。
-壱ノ唄-
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オマケの用語解説 (ご参考程度に)
-壱ノ唄ー
・水干 すいかん
男子の平安装束のひとつ。
・几帳 きちょう
室内で使われた、可動式の仕切りのようなもの。
・脇息 きょうそく
和室で座るとき、脇に置いて寄りかかるためのもの。
・筝 こと
琴、とはまた少し違って、音程の調節は可動式の支柱で行う。
・襪 しとうず
足袋の指が割れていないバージョン。
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