一
いずれの帝の御代であったか
一人の帝に女御更衣(おおくのきさき)が
お仕えしていた頃のこと
まことの后は未だ決まらず
身分の高い女御もいれば
身分の低い更衣もいたが
帝に誰より愛されたのは
父を亡くした一人の更衣
内裏に数ある御殿のうちの
帝がおいでの御殿から
遠く離れた桐壺に
父亡き更衣は住んでいた
あまりに偏る帝の愛に
女御更衣(おきさきがた)から嫉妬を向けられ
重臣たちにも非難され
積もりに積もった苦しみの末
桐壺さまは病に伏して
明日をも知れぬ体となった
短い別れも辛い帝は
祈祷のための里下がりさえ
なかなかお許しできずにいたが
とうとう諦め下がらせた
その日 更衣は息絶えて
帝は大層嘆かれた
二
深きお嘆きをわずかに癒やす
お忘れ形見がお一方あった
清らな玉の皇子(みこ)であった
お美しい子で 愛らしい子で
誰もが笑みを誘われるうえ
聡く賢く才能豊か
数いる女御更衣(きさき)を訪ねるときも
子供だからとお連れになるが
更衣をそしった人々さえも
皇子(みこ)の魅力には抗えず
光り輝くような子を
光る君——とお呼び申した
帝の最初の女御(おきさき)さまは
弘徽殿に住まう右大臣の姫
帝の最初の皇子(みこ)さまも
弘徽殿さまの息子であられた
押しも押されもせぬ世継ぎぞと
疑いもせず信じていたが
あまりに偏る帝の愛に
安らかならぬ女御の心
憎き桐壺の残した皇子(みこ)に
我が子が押しのけられぬかと
大臣さまと張り合える
後ろ盾など持たぬけれど
三
もしや気の晴れることもあるかと
新たな女御更衣(きさき)を召し入れてみても
帝はただただ思い知る
心の底から愛した人に
忘れられない桐壺さまに
叶う人などいるはずもない
時が流れても悲しみ癒えぬ
帝にある日女官が奏(もう)す
かつての更衣によく似た方が
おいでになりますお一方
先帝さまの皇女(ひめみこ)が
驚くばかりに生き写し
帝にとっての先帝さまは
叔父君それとも従兄であろうか
詳しい記録は残らぬが
父君ではないことは確かで
やがてお若き皇女(ひめみこ)さまは
帝のもとへお上がりになる
藤壺御殿にお住まいになり
桐壺さまとまことそっくり
けれども身分ははるかに高く
どなたも悪くは申せない
光り輝くような方
輝く日の宮——と呼ばれた
四
帝の心も癒え始めたか
日々藤壺へとお渡り遊ばし
あの光る君もお連れする
帝は言われる 涙ながらに
失礼ながらあなたは何故か
この子の母に似ているのだと
あまりに偏る帝の愛と
非難の声も聞かれないのは
身分に釣り合うご寵愛よと
認めるお方が多いのか
桐壺さまは忘れぬが
ようやく帝は立ち直る
亡きお母上に似ておいでです
典侍(にょかん)が語ってお聞かせするゆえ
あの光る君も懐かれる
覚えておられぬ母上のよう
母亡き皇子(みこ)に藤壺さまも
よそよそしくはなさらなかった
きれいなお花をご覧になれば
藤壺さまに差し上げたいと
きれいな紅葉をご覧になれば
あの方はお好きだろうかと
子供心に思われて
幼い好意を寄せられる
五
帝はこっそり愛する皇子(みこ)を
ある相人(うらないし)のもとへと遣わす
驚かされたは相人(うらないし)
帝王の相をお持ちであるが
もしも位に即かれたならば
乱れと憂いを招くだろう
朝廷支える重臣となる
臣下の相だとも言えないが
帝は頷く やはりそうかと
愛する優れた息子だが
次の帝に据えるには
身内があまりにいなかった
帝の子として生まれた身でも
大事になるのは母方の身内
皇族のままで生きるには
あの光る君はお弱い立場
いっそ臣下となられた方が
きっと平和に生きていけよう
源の姓をお与えになり
皇子(みこ)の列から外れさせると
帝はとうとう心を決めた
生母の身分が低ければ
珍しくないことなれど
哀れなことよと嘆きつつ
六
帝の妹 妻になさった
ご信任篤い大臣さまには
秘蔵の姫君おいでだが
東宮(こうたいし)様の妃にという
申し入れには頷かないで
光る君をば婿に迎えた
元服なさって大人になって
源氏の君と今は呼ばれる
少し年上の姫君よりも
舅の大臣 熱心な
下へも置かぬもてなしに
すまなく思って通われた
けれどもまことに心の中で
お慕いするのはただお一方よ
母に似ていると聞かされた
藤壺さまこそ恋しいお人
もう子供ではなくなったから
もはやお顔も見られぬけれど
叶わぬ想いと 実らぬ恋と
わかっていても忘れられずに
秘めた切なさをいったい誰が
今の時代へと伝えたか
遠い昔の皇子(みこ)さまの
こうして始まる物語
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