第六章 遊覧会 パート4

 遊覧会は例年一週間の日程で開催される。その前日、事前に遊覧会の準備の全てを滞りなく完了させたミクはようやく公務から解放され、私室に戻るとソファーに座りこんで思いっきり身体を伸ばした。両方の掌を組んで、真上に伸ばしてそのまま背中を反らせる。いつの間にか凝り固まっていたのだろう。背中や肩の筋が伸び、心地よい痛みと刺激がミクの身体を包んだ。ここはパール湖湖畔から数百メートル離れた、緑の国の王侯貴族の別荘が乱立している場所である。夏場の避暑地としてしか使用しない場所だから、防寒性よりも通気性を重視して造られているその建物はミルドガルド大陸では珍しい木造で、風を通し易いように窓や扉も通常のサイズよりも一回り大きなものが使用されていた。それはミクの私室でも同様であり、その王族専用の別荘として建てられた木造建築の三階部分の一室をミクの私室として使用していた。今回は二階部分を黄の国のリン女王が、一階部分を青の国のカイト王が使用するという手筈となっている。どの部屋も造りは基本的に同じで、ミクは部屋の中央、扉を背にして右側に用意されているソファーに腰を落としたまま、少し暑いな、と考えた。立ち上がることが少しばかり億劫ではあったが、夜風に当たりたいと考えたミクは思い切って立ち上がると窓際に向かい、そして大型の硝子扉状になっている扉を開放した。窓を開けた瞬間、パール湖の水気をふんだんに含んだ心地の良い夜風がミクの長いツインテールを撫でて、僅かに浮かび上がらせた。香り立つ木々の香りが妙に心を落ち着かせてゆく。その窓の外にはテラスと、テーブルとイスが一式用意されていた。テラスに出るかどうかを僅かに悩んだが、せっかくだから暫く夜風と星空を堪能しようと考え、ミクはテラスに出ると闇夜に浮かび上がる白のペンキで塗られた木造の椅子に腰かけた。そして空を見上げる。
 雲ひとつない、満天の夜空だった。月の位置はまだ低く、ミクの真上は煌々と輝く星達で埋め尽くされている。何となく北極星を眺めたミクはその周りから星座を読んで行くことにした。他愛もない活動ではあったけれど、始めてみるとこれがなかなかおもしろく、ミクが二十個目の星座を読んだ時、私室の扉が丁寧に二度、ノックされた。
 「入って!」
 テラスにいたままでは気が付かないかもしれない、と考え、少し大きめの声でミクは入室を促す。その声に急かされるように入室してきた人物はハクであった。
 「ミクさま?」
 入室したはいいが、一瞬ミクがどこにいるか気が付かなかったらしい。戸惑ったような声をハクは上げた。
 「こっちよ。テラス。」
 部屋の照明は点灯したままであったから、完全な闇夜に紛れているテラスにいるミクの姿を見つけることは難しいだろう、と考えながらミクはハクに向かってそう言った。その言葉にようやく納得したように、ハクはテラスに近付き、そして窓から顔をのぞかせる様にしてミクの姿を見た。
 「どうしたの、ハク。」
 「明日のお召し物のご相談に参りました。」
 そう言えば忘れていたわ。ハクの言葉に対してそう考えながら、ミクはこう答えた。
 「薄緑のドレスでいいわ。細かいところはハクに任せていい?」
 ミクはそう言って、一番のお気に入りのドレスを指定した。
 「畏まりました。胸元の飾りはいかが致しましょうか。」
 「王家のクリスタルを。」
 王家のクリスタルとは、緑の国に古くから伝わる秘宝の内の一つである。魔力が込められていると言われているクリスタルをペンダントとしたネックレスであり、ミクも外交儀礼など公式の場でしか使用しないものである。
 「分かりました。」
 ハクはそう言うと、すぐにミクの私室から退出をしようと背中を向けた。その背中に向かって、ミクはこう声をかけた。
 「ハク、せっかくだから一緒に星を見ない?」
 その声に立ち止り、首だけで振り返ったハクは、嬉しそうな笑顔を見せると、喜んで、と小さく述べてから、再びミクに向き直ってテラスへとその身体を向かわせた。ハクの白い髪が月光に照らされて淡く輝く。
 「綺麗ね、ハク。」
 その髪を眺めながら、ミクはハクに向かってそう言った。
 「え?」
 戸惑った様に頬を染めるハクを見つめながら、ミクはハクに正面の椅子へ着席を促した。いつの間に身につけたのか優雅な物腰で着席したハクの姿を見つめながら、ミクは再び言葉を紡いだ。
 「その髪。月明かりが反射して、まるで宝石みたい。」
 「ありがとうございます。」
 ハクはそう答えながら、嬉しさで身体が火照るような感覚を覚えた。ミクさまは出会った時から変わらず、ずっとあたしの髪を美しいと言ってくれている。もしミクさまに出会わなければ今もなおビレッジでみじめな生活をしていたのだろうと考えると、まるで今の生活が夢の様に思えて仕方がない。幸せだと感じることはこれまでの人生で一度たりともなかったが、間違いなく今は自分が幸せだと言える。そのことが嬉しくて仕方なかった。
 「ハク、星座は詳しい?」
 再び視線を夜空に戻したミクがそう訊ねて来た。
 「人並みには。」
 娯楽の少ないこの時代の人間は良く星を見ていた。星座を知っていることは生活の上で必要と言うこと以上に、一つの娯楽であったのである。
 「不思議ね。」
 ミクは星空を眺めたままそう言った。その言葉につられる様にハクも満天の星空を眺める。ちりばめられた砂金の様な星空がハクの目に何故か新鮮に映った。ミクさまからお褒めの言葉を頂いた直後だからかも知れない。
 「不思議と仰いますと?」
 「少し変な話だけど、私この星空の向こうに私たちと同じように生活している人間がいるような気がしてならないの。」
 「この星空に、ですか?」
 そんなことは今まで想像もしたことが無かったハクは、驚いた様にそう聞き返した。その言葉に対して、ミクは落ち着いた声でこう答える。
 「ええ。数年前にコペルレイと言う人物が地動説を提唱したことは知っている?」
 「申し訳ありません、不勉強で・・。」
 一体何の話をするつもりだろう、と考えながらハクはミクに向かってそう言った。
 「そうよね。少し聴きなれない言葉だもの。今まで私たちは空が地球の周りをまわっていると考えていたでしょう?」
 「はい。大婆様からもそう教わりました。」
 「でも、コペルレイは地球が太陽の周りを回っていると主張したの。余りに突拍子もない説だったから、今のコペルレイは異端説の提唱者として不遇の生活を送っているけれど、私はコペルレイが間違ったことを言ったとは思えないの。」
 「ミクさまは、地球が回っている、とお考えなのですか?」
 「うん。多分、そんな気がするの。そう考えたら、私たちみたいな存在は神様から与えられた特別な存在ではなくて、どこにでもいる普遍的な存在なのかも知れないと思って。」
 その言葉に対して、ハクは僅かに頷いた。その気配を感じたのか、ミクは視線を空に置いたままで、更に言葉を続けた。
 「だから、この星空のどこかに私たちと同じように星を眺めている人間がきっといて。そしていつか私たちがその見ず知らずの人達と交流できたらどれだけ素敵な話だろうと思うの。」
 ミクの言葉が、優しく空を舞う。ミクと同じように夜空を見上げながら、ハクはこの夜空のどこかに今の私と少し違うけれど、良く似た人間が存在するのだろうか、と考えた。それがどんな世界かを想像することは今のハクには出来なかったけれど。
 「ふふ、ごめんね。変な話をして。」
 つい空想に耽った二人の沈黙を破ったのはミクの温かい声だった。
 「いいえ、ミクさまが仰るなら、きっと正しいことなのだと思います。」
 少し慌てて、ハクはそう言った。楽しげな空想から突然解放されたような気分を感じたからだった。その空想をハクが再び思い出すのは、この時点から数年後、とある港町での出来事であった。その時、ハクと、そしてもう一人の少女は歴史を動かす事態に巻き込まれることになるのだが、それはまだ先の出来事である。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン⑲ 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第十九弾です!」
満「お、おい、今日の投稿は第十八弾で終わりじゃなかったのかよ!」
みのり「レイジさん、帰宅後速攻で執筆をしはじめたの。おかげでもう一本間に合ったの。」
満「そいつは良かったな。」
みのり「うん。で、今回の話なんだけど、コペルレイって人が出てきたよね?」
満「ああ。コペルニクスとガリレオ・ガリレイを合わせただけの簡単な設定だ。」
みのり「どうして出したの?」
満「次回作の伏線もあるが、それ以上に時代背景について確認しておきたくてな。」
みのり「前々回くらいにそんな話が出たね。」
満「うん。作中にもある通り、実はレイジが想定している時代は中世後期、欧州で言うならルネッサンスが全盛期を迎えている頃になる。コペルニクスが地動説を唱えた頃の話だ。」
みのり「それだと何が問題なの?」
満「状況的に、楽曲で想定しているだろう市民革命が起こり得ない。」
みのり「そうなの?」
満「ああ。市民革命が発生するには実は二つ条件があるんだ。」
みのり「条件?」
満「うん。一つは市民の権利を主張する啓蒙思想の発展。もう一つは市民革命の資金面を支えたブルジョワジーの登場。」
みのり「じゃあ登場させればいいんじゃない?」
満「そうもいかない。まず啓蒙思想はルネッサンスが発展し、宗教革命が起こって科学の発展が起こらない限り登場してこない発想だ。何しろ神様が一番なのではなく、人間が一番と主張するのだから、神と、神の代行者である教皇(あるいは国王)が絶対という思考を持つ中世的発想では登場しえない考えだからだ。」
みのり「なら、ブルジョワジーは?」
満「産業革命の勃発が必須だ。強力な生産力を元手とした資本家が生まれない限り、王侯貴族以上の資金力を持つ平民は誕生しえない。」
みのり「じゃあどうなるの?」
満「一応レイジは相当このあたりを考えているが、複雑すぎてな。次回作も含めてそのあたりが解明されてゆく予定なんだが、まだ決定稿は出ていない。」
みのり「じゃあレイジさん次第ってことね。とりあえず次の投稿は今度こそ来週になります☆宜しくお願いします!」

閲覧数:339

投稿日:2010/03/14 22:37:45

文字数:3,329文字

カテゴリ:小説

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  • やくると

    やくると

    ご意見・ご感想

    おおっと。
    これはもう一度落とさなくては!!
    恥ずかしながら、PCの画面を見て文章を読むことが苦手でして。
    寮のある学校という特性上、長期休みしか殆ど見ることが出来ないので
    全然読めていないのですが、(現在コンビニ⑤)
    のんびりと読ませていただきます。

    2010/03/17 13:40:12

    • レイジ

      レイジ

      お読み頂いてありがとうございます!

      長い文章なので、ゆっくりお読み頂いて構いません。
      学業の気分転換程度にお読みいただければ幸いです♪

      宜しくお願いしします☆

      2010/03/17 20:40:05

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