進路希望調査。
黒板に書かれたその単語にハッとした。人生で全く見聞きしないその言葉は、見ないようにしてきた現実を突き付けた。
もちろん、それは同級生たちも同じで、教室内が不穏にざわめいた。
配られたプリントは淡白なもので、氏名と進路の候補を3つ書くだけ。この学校に通う生徒のほぼ全ては進学するはずなので、志望校を書くことになる。
とはいえ、単に偏差値やネームバリューだけで選ばず、将来の人生設計を踏まえた上で書くように、と担任は言った。
俺は将来、どうしたいんだろう。ただ勉強して、普通に遊んできて、これからもずっとそんな生活が続くと思い込んでいた。でも、いずれ就職して仕事をしていかなければならない。そのとき、俺は何をやりたいんだろう。
左隣の桜井は野球部のエースで、テレビにも出たことのある有望なピッチャーだ。プロ野球選手になれるかもしれない。
窓際で居眠りしている工藤はクラスに馴染めずに浮いている存在だが、親の金で株をやって大金を手にしたらしい。投資家になるのかもしれない。
後ろで爪を噛んでいる太った田山はゲームオタクで、他校の仲間たちと同人ゲームを作って売っているようだ。本人もそっちの業界へ行くと公言している。
右隣の西村さんはアイドル志望で、何度かオーディションに応募していい所まで進んだことがある。学年でも一番人気の美少女だ。
みんな、俺よりもテストの点数は低い。具体的には半分以下だ。
それでも夢を持って、そこへ向かって一直線に走っている。夢中になれることがあって、他人に負けない特技があって、将来それで生活していこうと自分を磨き続けている。
そんな中で、紙っぺらの赤丸が多いからといって何の役に立つだろう?
いい大学を出て大きな会社に勤めて将来安泰なんて、20世紀の思想だ。親たちはそれを強いるけど、本当にそれで幸せになれるだろうか。なれなかったとき、きっと親は「自分で選んだ道だから」と責任を逃れるだろう。
だったら、俺は今の生活から抜け出さないといけない。それは、自由な今しかないのかもしれない。
その日の放課後、俺は初めて塾をサボった。小心者だから連絡は入れた。それでも、自分の中では大きな進歩だと思う。
まだ陽が出ているうちから十音(とおん)に会うのは、平日では初めてだ。だから、いつも待ち合わせている公園に彼女はいなかった。昼間、彼女がどこで何をしているのかはわからない。ただ、まともにアルバイトをして稼いでいるとも思えなかった。
しばらく街中を歩き回ると、駅前のゲームセンターとカラオケボックスの間の裏路地で彼女を見つけた。
「何やってるんだ?」
十音はさほど驚いた様子もなく、普段通りの表情だ。
「露店」
「商品がないけど」
「普通に並べたらまずいから」
ホームレスの少女が生きていくには、きれいごとだけでは不可能だ。
「俺も買えるのか?」
興味があるわけじゃない。ただ、十音のことをもっと知りたいと思っただけ。
すると彼女は目を逸らして、うつむいた。
「……やめておいた方がいいと思う」
そんな危険な商売をしていることに憤りを覚えた。それ以上に、俺を特別に見ていてくれると思うと、嬉しさもあった。
「それよりさ」
路地に流れる濁った空気を振り払うように、俺は努めて明るく言った。
「遊びに行こう」
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