一
源氏の君の異腹の兄が
ご即位あそばし しばらく経った
その母君は皇太后よ
ご譲位なさった父君は
中宮さまこと藤壺さまとは
臣下のように水入らず
二人の御子の若宮は
新たな東宮(こうたいし)となって
内裏で暮らしていらっしゃる
お支えせよと命じられ
源氏の君は冷や汗ものよ
実は自分の子であった
帝に代わり神に仕える
伊勢の斎宮も代替わりした
伊勢へ行くのはまだ少し先
潔斎なさって準備中
今は亡き前(さき)の東宮(こうたいし)さまの
忘れ形見の姫君よ
斎宮さまの母君は
源氏の恋人でもあった
住まいは六条京極に
皇族の子の母君を
御息所(みやすどころ)としばしば申す
この方もまたそう呼んだ
二
帝に代わり神に仕える
賀茂の斎院も代替わりした
帝と同じ母の皇女(ひめみこ)
様々儀式がある中で
禊をなさって神社に詣でる
賀茂の祭がやってくる
源氏の君の奥方は
懐妊なさってしんどくて
見に行くつもりもなかったが
斎院さまの行列を
女房(おつき)に見せておあげなさいと
母の勧めでお出かけに
源氏の君もいる行列を
見物しようと人が大勢
場所がないので譲らせる中
どこうとなさらぬ者がある
斎宮の母の御息所さま
お忍びで来ていなさった
「源氏の君がご自分を
守ってくれると思うのか」
従者はすっかり酔っていて
力任せに押し退ける
御息所の牛車(くるま)は壊れ
帰ることすらままならぬ
三
御息所は源氏の君に
飽くまで愛人扱いされて
妻と同格には至らない
薄情な人を嘆くより
娘の斎宮さまに付き添って
伊勢へ行こうか悩まれる
そんな心を慰めに
賀茂の祭へと出かければ
牛車(くるま)争いの屈辱よ
愛人として正妻を
妬む気持ちはなかったはずが
今や怨みが根を下ろす
懐妊中の奥方の身に
物の怪様々取りつき始め
特に手強い一つがあって
何も喋らぬが離れない
世間の噂がしばしば聞こえる
御息所の生き霊だ
我が身を嘆くばかりゆえ
呪おうなどとは思わぬが
ふとした折々 見る夢は
あの人らしき姫君を
引きずり回し殴りつけては
荒れる自分の夢だった
四
突然産気づかれたもので
父の大殿に 母の大宮
源氏も無論 案じていると
例の物の怪が口を利き
「話があります 大将さまに」と
呼ぶのでそばへ近づいた
「緩めておくれ 苦しくて
物の怪退治のご祈祷が」
そう言う姿に見覚えが
「思い悩むと 魂が
まこと抜け出るものなのですね」
御息所に相違ない
呆然としておいでのうちに
静かになったが落ち着いたかと
大宮さまが指示を出されて
ほどなく若君 ご誕生
皆々喜び お祝いなさって
日々の儀式も行った
御息所のお心は
騒いでばかりで鎮まらぬ
物の怪退治の芥子の香が
衣に染みて立ち上り
髪を洗って衣を替えて
何度やっても消え去らぬ
五
源氏の君は失いかけた
奥方を今や愛しく感じ
しばらくそばにおいでになった
しかし若君を見ていると
東宮(こうたいし)さまによく似ているので
恋しくなって会いに行く
源氏の君は宮中へ
父の大殿も兄弟も
大事な司召(かいぎ)の日であった
人の少ないお邸で
胸が詰まって容態悪化
あわれ奥方 亡くなった
物の怪なのか 呪詛やもしれぬ
祈祷してみても効果はなくて
やがては荼毘に付さねばならず
父 母 源氏も 悲しんだ
生きているうちにこうしていればと
後悔しても甲斐はない
御息所のこともあり
世の中すっかり嫌になる
出家しようかと思ったが
忘れ形見の若君が
ほだしとなって源氏を止める
見捨てるわけにいかぬゆえ
六
御息所が見舞いの文を
送ってきたので源氏の君は
複雑ながら返事をなさる
執着するなどむなしいと
奥方のことを言っているようで
怨霊のことほのめかす
やはり自分のせいなのだ
源氏の君までお気づきだ
御息所とて辛かった
悩み苦しみ思いつめ
自覚もなしに怨霊となり
こうした罪を犯すとは
四十九日を迎えるまでは
左大臣さまの邸で過ごし
しばしば話し相手になるは
三位の中将 妻の兄
女房(おつき)の者らとお話しになって
名残を惜しむ日もあった
恋人たちに会うことも
ふっつりなくなる珍しさ
哀れが身に沁む夕暮れに
かつて朝顔差し上げた
恋に応じぬ従姉を選び
文を交わした その程度
七
源氏の君は妻の邸に
生まれたばかりの我が子を預け
ようやく帰る 二条の我が家
源氏を迎える姫君は
源氏が恋する藤壺の宮の
兄の娘に当たる姫
母を亡くした姫君を
育てていらした祖母君に
後を託されて引き取った
娘のように育てたが
今や大人になったと知って
源氏は姫を妻とする
二条の姫は後悔なさり
こんな魂胆だとも知らないで
懐いていたと情けながって
口も利かぬほど嫌われる
けれども源氏はやっと妻にした
姫が愛しく首ったけ
恋人たちが寂しがり
文をよこしてももう会わぬ
ただ正月には亡き妻の
忘れ形見に会いに行き
悲しみ癒えぬ妻の親らと
お話ししたということだ
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