「私は、先ほど、引いた、この“桔梗”で歌おう」
「うん……あ! 楽歩って、桔梗みたい」
楽歩の言葉に頷いて、そのまま、楽歩を見つめてから、鈴はそう言った。
「そう思うか?」
「うん。髪の色と同じだし、衣の色とも同じ。物静かで、品のある感じも、楽歩と同じ」
「そう。同じだな」
ニコニコと微笑んだ鈴に、楽歩は、少し、切なげに微笑んだ。
そして、鈴が何かをいう前に、楽歩は、扇を翳して、歌い出した。
朝 顔を見るごとに
白かった この心
紫に 染まる
忍ぶ苦しさ 恋心
紫に 咲き誇る
永久(とわ)に 変わらぬ愛を誓うから
どうか 微笑んでいて
曲調も舞も、最初は、ゆっくりだったのに、白い桔梗が咲いて、紫に染まるごとに、紫の桔梗で、埋め尽くされるごとに、どんどんと激しく、切なくなっていった。そして、その胸が締め付けられるような切なさは、蓮の心に、自然と馴染んで、紫に染まってしまうかのようだった。
「すごく、かっこいい! そんな感じの歌、初めて、聴いた。でも、楽歩。“恋”って、なぁに?」
「ああ。そうか………お前たちは、知らないのだな………何だか、知っている気になっていた」
そう言って、楽歩は、少し、考え込むように、遠くを見た。
「………でも……何か………その感じ、俺も、わかる気がする」
「……そうか………恋とは、切なくて……でも……生まれ変わるような心地のするものだ……」
そう言って、楽歩は、穏やかに、微笑んだ。でも、その微笑には、紫の陰がかかっているように、どこか、切なかった。
そして、三人は、歌い出した。蓮も鈴も、聴いたことがないような感じの歌や舞を、自分たちらしく、変えるのを楽しんだ。
「えぇっ!? 蓮ってば、そんなに、低い声出るの!?」
桔梗に埋もれるように、鈴が、驚いたように、叫んだ。金色の髪に、髪飾りのように、桔梗がささっている。きっと、舞いだした桔梗がささったのだろう。いつもよりも、大人っぽく見える。蓮の花を飾っている時よりも……
「ああ。出せるよ」
金と紫の色合いを見ながら、蓮は言った。
「蓮って、私と同じくらいまでしか、低い声、出せないんだと思っていた」
そう言って、少し、俯いた鈴に、鈴の髪の中で、揺れる桔梗に、何だか、身体の奥が、ザワザワと燃え立ちそうになった。
「鈴より、もっと、低い声、出せるに決まってるじゃん。他の奴らは、もっと、低い声、出せるんだからな」
燃え立つものを抑えながら、蓮は言った。でも、抑えても、声は、いつもよりも、とがっていて、ざらついていた。
「そうなんだぁ。びっくり」
「びっくりって何だよ?」
目を丸くして、どこか、無機質な声で、そう言った鈴の言葉に、今度は、胸の奥が、ちくちく、ざわざわして、蓮は、そう聴いた。
「え? びっくりしたから、びっくり」
「そうじゃ……なくて………何か、鈴。いつもと違う」
「………うん。ちょっと、微妙だから」
鈴の目を、まっすぐに見て、そう言った蓮に、鈴は、俯くように、頷いて、それから、今にも、風に吹かれていきそうに、微笑って、言った。その鈴の髪で、桔梗が泣いたように、光っていた。
「微妙って?」
「蓮と鈴が、違うのが」
鈴は、さらに、笑みを深くした。でも、それは、今にも、涙を零れ落ちそうな笑みだった。そして、その笑みを見たとたんに、蓮の脳裏に、“私たち、本当に、住む世界が違うみたいね”と囁いた鈴の言葉が浮かんだ。
「違うけど、違う部分にも、鈴をうつしている。俺の鈴と違うところは、俺のためでもあるけど、それ以上に、鈴のためだから」
蓮は、いつもより、冷たい感じのする鈴の手を、両手で包み込むと、いつかの鈴のように、自分の胸に、触れさせて、そう言った。今、鈴の手が、感じているのだ。きっと、同じ拍子を打つ鼓動と、違う感触を。
「私のため?」
「鈴。低い声、出せないだろ? でも、俺がいるから、いいんだ」
そう言って、微笑んだ。そして、ゆっくりと、手を離すと、鈴の髪から、桔梗をとった。
「そっか」
「うん。そうだよ」
桔梗の花びらの露を口付けでもするように、すくいとって、蓮は、鈴に差し出した。
「私たち、対だもんね」
桔梗を受け取って、鈴は、さらに、嬉しそうに微笑んだ。
「ああ。対のように、同一で、対のように、対極」
歌術でも、歌うように、蓮は言った。
「……双子の月の引力か」
ふいに、低い声が、歌うように、響いた。
「え?」
「双子の月の……引力?」
「対になるものと、なるものが、引き合う力だ」
「じゃあ、俺たちのことだな」
嬉しそうに、蓮が言うと、やっぱり、同じ、嬉しそうな顔で、鈴も頷いた。
「さよう。双子の月は、双子神であると同時に、夫婦(めおと)の神でもある」
「めおと? それって……どんな音?」
「音ではない。つがいのことだ」
「つがい? それなら、私たちのことだね。私たち、満月のつがいだもん」
嬉しそうに、鈴が言うと、やっぱり、同じ、嬉しそうな顔で、蓮も頷いた。
「そうだな」
そして、楽歩も、そんな二人を眺めてから、ゆっくりと、頷いた。
「今度は、私が、引く番だね」
嬉しそうに、鈴が言った。早く、自分も引いてみたかったのだろう。鈴はいそいそと、影鏡の前に、立った。そして、うきうきと、手を伸ばした。
欠片をとって、ぱっと見て、振り返った鈴の顔は、満足そうな微笑みに彩られていた。そして、鈴は、大事そうに、欠片を掲げた。そこには、“朔”と書かれていた。
闇の絹を かけてあげる
だから 安心してお眠りよ
ほら あの月も 闇の絹 被っているだけ
また 明日の夜に会えるように
睡りの糸 安らか おやすみ
鈴は、つま先立ちで、囁くように、歌いながら、闇の絹を、両手で、まるで、生きているように、なびかせて、舞い踊った。その表情は穏やかで、きっと、睡糸安(スイート・アン)のことを考えているのだろう。蓮も、すぐに、最後の、彼女の幸せそうな微笑みを思いだしたのだから。
「睡糸闇に逢ったんだな」
睡糸安のことを考えたのは、蓮と鈴だけじゃなかったようで、お辞儀をした鈴に、楽歩も、そう聴いた。
「違うよ。闇(アン)じゃなくて、安(アン)。安お姉ちゃん」
「そうか。わかった。これからは、そう呼ぼう」
鈴が、ちょっと、目を尖らせて言うと、楽歩は、一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに、柔らかく微笑んで、そう言った。
「楽歩は、安お姉ちゃんと仲良いの?」
「仲が良いというわけではないが、知ってはいたし、案じてもいた。でも、お前たちが逢って来たのなら、お前が、そう歌ってくれるのなら、安心だ」
楽歩は、目を細めて、そう言った。
「うん♪ 安お姉ちゃんといると、心が安らぐよ」
鈴の明るい声が、風に乗った。此処は、あそこから隔たった場所ではあるけれど、きっと、睡糸安に届くだろうと、蓮は、そう思った。
双子の月鏡 ~蓮の夢~ 二十四
前回、今回と、予想外に、いちゃついている感じがします。すみません。砂吐きませんでしたか? 正直、自分で、読んでいて、楽歩に、謝りに行きたくなりました。
楽歩は、大人なんです。文武を鍛えるほかに、精神も鍛えているわけでありまして……
えっと、楽歩のイメージは、桔梗と菖蒲(あやめ)と藤で悩みました。桔梗の凛とした感じ(最も、少々、地味)。菖蒲の、いかにも、武士といった感じと、優美な感じ(季節が違う)。藤は、結構、がくぽと一緒に描いている人が居たんですよね。不死にも繋がります(季節が違う)。他にも、竜胆とか松虫草とか、悩んだのですが、独断と偏見で、桔梗にしました。ちなみに、楽歩の歌っていた、“変わらぬ愛”は、桔梗の花言葉です。
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