本日の目的である「ミク」の歌は、華やかなピアノの音を摘んで花束を作っていくような、素朴な可愛らしい曲だった。そして無邪気に花を手折るのは甘い女の子の声。心底楽しげに歌を歌う「ミク」の曲を記憶しながら、私の頬は自然とほころんでいた。
この「ミク」も、自分の思う通りの音をマスターから与えられている。そう思うとまるで自分の事のように嬉しくなる。
その幸せ。自分が与えられた音に対して同じ感覚をマスターと共有できた時の喜び。それはこの身に染みついて消えないもので、その音は、何があっても手放したくない宝物だから。
伴奏がピアノだけのこの曲のアレンジについて、画面の向こうでマスターとマスターの友人が話をしている間。ねえ、と歌い終えて一息ついた「ミク」が何か思いついた様子で私の腕を引いた。
「今のうちに服をダウンロードして、ミクさんもおしゃれしようよ」
女の子らしい無邪気さで「ミク」がそう言った。その言葉に、そんなの別にいいよ。と慌てて私は首を横に振った。
「さっきの、可愛くなりたい。とかは本気じゃなかったの。ちょっとマスターをからかいたかっただけだし。別に私にはそんな、必要ない、っていうか」
「でも、自分がお洒落したところをマスターさんに見せたくない?」
その言葉に思わずぴくりと私は反応してしまった。
そりゃあ女の子ですから。と頷きそうになって。けれど、いやいやいや、と顔の前で否定するように手を振って、だって気がつかないだろうし。と身の内に生じたきらきらするものを笑い飛ばそうとした。
「言ったでしょう?うちのマスターはあまり気がつかないひとなのよ」
「気がつくくらい変身すればいいのよ」
そうあっけらかんと言って。「ミク」は、ぐいぐいと私の腕を引いて、服などがダウンロードできる場所へアクセスしようとし始める。
いやあの可愛い恰好は似合わないし。とか。そんな着替えてもたいして変わんないから。と慌てて言葉を連ねた私に、「ミク」は大丈夫だって、と笑った。
「似合わないわけがないよ。だってそもそもの話、私たち同じ顔なんだから」
「だけど、うちのマスターのパソコンって狭いのよ。だから服とかをダウンロードして場所を取りたくないの」
「そんな服の一枚や二枚、置けるくらいの甲斐性をマスターに求めても良いとおもうよ」
しかし、さすがに人の家のパソコン内で色々と強引だったかな、と思ったのだろう。「ミク」はそれじゃあ、と私を引っ張る手を離して、自分の服の裾をつまんだ。
「この服を着てみようよ。それをマスターに見せて、似合っているって言われたら、服をダウンロードする。どう?」
一瞬の間の後、それならば。と私は頷いた。
そっとデスクトップから離れて奥に引っ込み、いつもの着慣れているノースリーブのシャツを私は脱いだ。そして自分の着ていた服と「ミク」の服とを交換した。もふ、と頭からワンピースをかぶって。背中のファスナーを上げてもらい、靴も交換して。そしてお互いに変な所がないかチェックするように袖の辺りとか襟とかを整えあった。
ふわふわのワンピースは空気をはらんでいて、そのまま裾がめくれ上がってしまいそうで心もとない。上に羽織っているボレロの肩の辺りとか、髪の花飾りの位置とか、なんだか気になってしまう。所在なくもじもじとサンダルの爪先で床をつついてみたりしている私に、よく似合っている。と先ほどまで私が着ていた衣装を身に付けた「ミク」が嬉しそうに言った。
「さっすが元は同じ」
「そっかな、大丈夫?変な所ない?」
しっくりきていないのではないかと心配で裾を引っ張ってみたりしている私に、「ミク」はとんでもない、と首を横に振った。
「変な所なんてないよ。というか、なんだか鏡を見ているような気分。これってもしかして、タロ君たち服を交換したことに気が付かないかも」
そう言いながら、す、と手を伸ばして前髪を直してくれる。その指先の優しさに、思わず笑みをこぼして、私も手を伸ばし「ミク」のタイをきちんと直した。
「気が付かない、かな?」
「うん気が付かないよ、きっと」
くすくすと私たちは顔を見合わせて笑って。マスターたちを騙せるかなぁ。なんて小声で言い合いながら悪戯な視線を交わして、ディスプレイへ戻った。
「どこに行ってたんだ」
マスターが戻ってきた私たちにそう声をかけた。その言葉に私たちは顔を見合わせて、ちょっとね。と笑い合った。
「ちょっと奥でお喋りしていただけですよ」
私になり済ました「ミク」がマスターにそう言う。私は黙ったままその横に立っていた。そんな私たちに、ふうん。とマスターは呟いて、横に座っているマスターの友人に声をかけた。
「ほら見ろ。俺のミクだって可愛い格好すれば、可愛いんだ」
「は?」
マスターの友人はその言葉に、読んでいたメモから画面に視線を向けて首を傾げた。
「さっきと変わって無いじゃん」
怪訝そうにそう言う友人に、マスターは、鈍感。と笑った。
「お前んとこのミクと家のミクの服、交換してるんだよ」
「えっ?」
「え、」
「えぇっ」
はは、と当然のことのように笑うマスターに、マスターの友人だけでなく私も「ミク」も驚きの声を上げた。
「なんでそんなすぐに気が付いちゃうんですか」
と悪戯が失敗した子供みたいにむくれた「ミク」に、だって全然違うじゃん。とマスターは苦笑しながら言った。
「君と、うちのミクとじゃ全然違うよ」
あれ、もしかして騙されたふりをしていた方がよかった?と、不機嫌そうな「ミク」の様子にマスターが慌ててそう言った。
その言葉に、本当に騙されていないと意味が無いんです。と「ミク」は更にむくれて。画面の向こう側、俺は気が付かなかったよ。とマスターの友人は目を丸くしていた。
「いやこれ、気が付く方がおかしいよ。ていうか、普通は気が付かないって」
おまえすっげえな。と感嘆の声を上げるマスターの友人に、そうかな。とマスターは照れた様子で笑っていて。
私は。
「ミク?どうした?」
心配そうに画面を覗き込んできたマスターに、なんでもないです。と返事をした。けれど何でもない事は無いだろう。と困った様子でマスターは私を見つめてきた。
「だって泣いてる」
「…ちょっと感動しただけですよ」
「俺がミクを見分けられたから?」
そう言って嬉しそうなマスターの笑顔に、胸の内で花が咲くのを感じながら私は返事の代わりに微かに笑んだ。
すぐにワタシを私だと気が付いてくれた。
たったそれだけの事が至上の喜びになる事を、あなたは知らない。
たったそれだけの事で胸の内に芽吹く感情の名を、私は知っていた。
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藍流
ご意見・ご感想
締め方が好きだ……!
これは最初に「消失」を提示した勝利かなぁ。ときめく感じと同時に切なさというか、『終わり』の予感もあって、胸が締め付けられる感じがします。
おしゃれをして可愛い姿をマスターに見てほしくて、でも気付かれなくてがっかりしたくない臆病さもあって……ミクさんが凄く恋する乙女ですねー。
可愛い、けど切ない……!
2011/07/04 14:22:01
sunny_m
このあたりは、本当に、「消失二次」という前提に助けられている気がします^_^;
というか、逆に、その前提なしで読んでもらったらどんなふうに感じるのか。とかも気になるけれど。
でもそれもまた、二次創作作家としてはなんか違うよなぁ。とも思ったりします。
恋する乙女は書いてて楽しかったです^^
2011/07/04 20:33:52