6.
「柳君、私が君のことを許すよ」
あのとき、柳君の背中に告げられなかった言葉。
それをつぶやいて、私はかぶりを振るしかなかった。
学校からはかなり離れたところにある、海沿いの自然公園。そんなところに、私はやってきていた。
入り江になったところには、小さいけれど砂浜がある。海に入れる時期でもないのに、結構な数の人々が思い思いに遊んでいた。
砂浜からは少し離れた、ごつごつした岩場の上には高台がある。整備されてるとはいえ、高台までの道のりは階段がきつくて、登りきった私は息が上がってしまっていた。
「……綺麗」
潮風に舞い踊る黒髪をなんとか押さえつけながら、誰もいない高台からの風景に、私はそうこぼす。
そこからは青い海と遠くの島々や船が見渡せた。
今日は嫌になるくらいの快晴で、日の光に反射して海面がきらきらと輝いている。遠くの島々もこんもりとした緑の木々におおわれ、なんとも得体のしれない深淵さをかもし出しているように見えた。
とても綺麗な光景だって、改めてそう思う。
まるで、世界は彼のことなんてまったく気にしてませんって、そう言ってるみたいで、なんだか物悲しい気持ちになる。
高台には、ちょっとした屋根とベンチがあるだけの簡素な展望台があった。そこには誰が持ってきたのか、いくつかの花束が手向けてある。
私もまた、たずさえた花束を同じように置いて、両手を合わせる。
「……」
警察の捜査によれば、柳隆弘君は放課後になって、学校で妹の切恵さんと会話をし、その後正門前で私と話をしてから、まっすぐにここに来たらしい。
最期に会話をしたのが自分だったということが、こんなにも重くのしかかってくるとは思わなかった。
あのときすでに、彼は覚悟を決めていたのだろう。
なにかができたはずと思う反面、私の言葉じゃどうにもならなかったという思いもある。
……だからって割り切れるほど、私は大人になんかなっていない。
私は唇をかむ。
きっとあれから、彼の家族は誰一人としてここにやって来てはいないんだろう。ここにある花束の中に、彼らの持ってきたものがあるとは思えなかった。
両親に見捨てられた柳君。
両親に嫌われた私。
クラスに居場所がなかった柳君。
クラスで居場所をなくした私。
妹がいるとか、成績がどうとか違いはあるかもしれないけれど、それでも、私は自分の姿が彼と重なるのを感じる。
けれど、そう。彼の妹、柳切恵の言ったとおりだ。
――先輩だってクラスでの無視ごっこに加担したようなもんじゃん。先輩の態度が偽善だってことの、なによりの証明でしょ――。
口の中に、血の味が広がった。
唇をかみ切ってしまったらしい。
少し遅れて痛みがやってきたけど、そんなの気にするほどのことじゃなかった。
なにも、否定できなかった。
それが、ものすごく悔しかった。
けれど、実際そのとおりでしかない。私がなにかをしたのは、この場所で、すべての決着がついてしまってからのことだ。
私は彼に手を差し伸べることもできず、彼の味方だと言うにも中途半端で、クラスメイトの仕打ちを止めるなんてできなかった。
彼がいなくなってしまうまで、私はクラスメイトを敵に回して彼と同じ立場になる度胸がなかったのだ。
綺麗事を言って、その実、口だけでなにも成し遂げられない、そんなあやまちばかりの弱い人間だった。
そんな私が、彼を救えたはずだなんて、さも上から彼を見下した思いを抱くなど、おこがましいとしか言いようがない。
「ごめんなさい……」
涙があふれそうになって、必死に我慢する。
泣いちゃダメだと思った。
それは、彼を冒とくする行為だ。彼をダシにして悲劇のヒロインぶって涙を流すなんて、彼自身のためにしてはならない。
彼がいなくなった世界で、彼のことに思いを巡らせているなんて、すでに自己満足でしかないのかもしれない。
それでもこれは、私なりの彼に対する最低限の礼儀だと思った。
――例えば、誰一人君を許さなくても、ただ一人私が、君のこと許そう。
……彼に言ってあげればよかったのか、なんて考えていたその言葉。こうして考え直してみれば、彼を許すという行為によって、私は私自身に価値を見出したかったのだ。
今となっては、その言葉を誰よりも欲しがっているのは自分自身にほかならない。
誰かに、彼を見捨ててしまった臆病な私を、許してほしくて。
誰よりも許しを乞うべき人は、もういなくなってしまったというのに。
私はひとときだけ瞳を閉じ、彼に深い哀悼の意をしめす。
彼のいない、私が許されることのない、そんな世界で。
◇◇◇◇
『柳君、私が……』
ついさっき、僕の背中に投げかけられた彼女の言葉。
一体なにを言おうとしたんだろう……なんて、今さらそんなことを考えたって、かぶりを振るほかにできることなんてなかった。
学校からはかなり離れたところにある、海沿いの自然公園。そんなところに、僕はやってきていた。
入り江になったところには、小さいながらも砂浜がある。けれど、海に入れる時期でもないからか、人の姿はちらほらとしか見えなかった。
砂浜からは少し離れた、ごつごつした岩場の上には高台がある。整備されてるとはいえ、高台までの道のりは階段がきつくて、登りきった僕は息が上がってしまっていた。
「……」
生臭い潮風に顔をしかめ、僕は高台からの風景にさえうんざりしてしまう。
そこからは青い海と遠くの島々や船が見渡せた。
今日は今にも雨の振りそうな曇天で、眼下に広がる海も鬱屈とした暗い色合いだった。遠くの島々も、天気がよければ鮮やかな色をしていたのかもしれないけれど、色彩の失われたそこは、なんとも得体のしれない不気味さをかもし出しているようにしか見えなかった。
なにか目的があってこんなところまでやってきたわけじゃない。
ただどこにもいられなくなって自分の知っているところから逃げ出したら、こんなことろに来てしまっただけだ。
高台には、ちょっとした屋根とベンチがあるだけの簡素な展望台があった。そこのベンチに座って、海を眺めることもできずにうつむいて地面を見つめる。
「……」
僕なんかいないほうがいい。
そうしたほうが、よっぽど皆幸せだ。
そんな思いが、頭から離れなかった。
両親は僕のことなんかどうでもいい。クラスメイトは僕のことを常に笑っている。たった一人だけ味方だと思ってた妹は……僕のことを嫌ってた。
このまま生き続けて、それがよくなるなんて思えない。なにをやってもダメでしかない僕のことを、君は君のままでいい、なんて言ってくれる人なんて現れやしない。
初音さんは……どんな風に思ってたんだろう。
もしかしたら、僕をこのどん底のどん底から救い出してくれる人だったかもしれない。
けれど。
それに期待してまた無理に生き続けるなんて、それこそつらいだけだ。初音さんだって、結局最後には僕を見捨てるかもしれない。そう考えるだけで恐ろしい。
だから、さっきも彼女を拒絶してこんなところまで逃げ出してきたんじゃないか。
最後の最後でハッピーエンドになるなんて、フィクションだけに許された幻想だ。
……なら、僕にとれる行動なんて、やっぱりこれしかない。
僕はのろのろとベンチから立ち上がり、海へ近寄る。
柵を乗り越え、身を乗り出して下をのぞき込むと、高台なだけあって結構高い。
「ひっ……」
吹き上がってくる風にバランスを崩し、必死に柵にしがみつく。のどの奥からそんな声がもれ、恐ろしさにつばを飲み込んだ。
……でも、そんな恐ろしさよりも、こんな世界で生き続けることのほうがよっぽど恐ろしい。
改めてそんなことを思うと、びっくりするくらいに心が冷める。
初音さん、ごめんね。
ああ、やっぱり僕は、こうしたほうがいいって自分でもわかってるんだ。
それ以上は、なにも必要なかった。
こんな世界に、僕なんて必要ない。
僕には、こんな世界なんて必要ない。
意を決して、僕は一歩踏み出す。
一瞬の浮遊感に任せて、僕は――。
Alone 6 ※2次創作
第六話
実質的な最終話。次回がエピローグになります。
「ACUTE」や「ReAct」の時もそうでしたが、わりと「同じシーンで視点を変えて書く」という手法が好きです。
今回は時間軸が違うのでちょっと変則的ですが、前半と後半は、初音嬢と柳君がそれぞれ同じ状況になるようリンクさせているつもりです。
でもそもそも、人によっては「また同じシーンかよ、しつこい!」って思う方もいらっしゃることかと思います。この六話みたいに冒頭の文章を同じにしたりするとなおさら。
こういったことをやるにしても、書き手側の自己満足になってしまわないクオリティで書けるようになりたいと願ってやみません。
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