ある日、彼の友達がお見舞いに来た。
 五人。
 男の子も女の子もいた。
 彼の学校の友達のようだった。
 私は黙って本を読むフリをして、盗み見ていた。
 みんな笑っていた。
 明るい笑い声が響くたび、私は耳を塞ぎたかった。
 うるさい。
 聞きたくない。
 そんな顔は見たくなかった。
 そんな、楽しそうにしている顔は、見たくない。
「ちょっと外に出てくる」と彼が言った時、心底ほっとした。
 外出は私も彼も許されてはいない。
「センセーには内緒にしておいてよ」
「わかったわ」と頷く。これは彼のためなんかじゃないと気付きながら「気をつけてね」と言った。
「おう」
 嬉しそうにする彼をなるべく見ないように、
「いってらっしゃい」
 と手を振った。
 ちゃんと笑えていた自信は全く無い。
 外に出るのをとがめなかったのは、彼のためじゃない。
 私がこれ以上、騒がしさに耐えられなかったからだ。
  


 誠に狭量なことだとは思うけれど、時折、気まぐれに顔を見せる彼の友達が私は嫌いだった。
 友達が来ている時、私はひとりになってしまうから、というのも勿論あった。
 何より彼が本当に楽しそうにしているのを見るのが嫌で嫌で仕方なかったのだ。



 入院生活が長くなるにつれ、彼の友達が訪れる回数は減っていた。
 一週間おきが十日おきになり、一ヶ月おきになった。
 友達がお見舞いに来ても、彼はだんだんと笑わなくなっていった。
 そんな彼を見ながら、私は内心で悦んでいた。
 彼も私と同じになった、と。
 私には彼しかいない。
 彼にも私しかいないのだ。
 それが嬉しかった。
 そして、それでいいのだと、思った。



 ずっとふたりでいられるなら、それもよかったのかもしれない。
 いや。
 いいわけはない。
 ずっと、なんてありはしないのだから。



 別れは唐突にやってきた。
 私の退院が決まったのだ。
「私、退院するんだって」
 半ば他人事のように彼に伝えた。
 実感がなかったのだ。
 ずっと、この白くて暗い、狭くて広い部屋で生きてきたのだ。
 今更ここから出られると、出て行けと言われても、困る。
「そっか」
 彼は少しだけつまらなそうな顔をした。
 寂しかったのだろうか。
 怖かったのだろうか。
 でも最後は笑顔で送り出してくれた。
「元気でな」



 彼をひとり残して病室を出ることに胸が痛んだ。
 彼と離れるのが嫌だったし、彼が一人になってしまうのはもっと嫌だった。
 あの病室にひとりきり。
 もはや友達も来ず、私もいない。
 彼はどうして最後まで笑っていたのだろうか。



 彼からは定期的に手紙が届いた。
 元気にやっているか。
 学校は面白いか。
 友達はできたか。
 私は返事を書いた。
 元気だと。
 学校は楽しいと。
 友達は沢山できたと。



 嘘で塗り固められた手紙を沢山書いた。



 私が退院したのは病気が治ったからではなかった。
 手の施しようがなくなったからだ。
 最後は家で一緒に過ごしたいという両親の希望をお医者様が認めたのだ。
 彼はそのことを知らない。
 私が元気でいると思っている。
 私は手紙を書かなくなった。
 彼からの手紙は絶えることがない。
 でも、もうこれ以上は、書けない。

 彼にこれ以上嘘をつきたくなかったから。
 彼に死ぬことを悟られたくなかったから。

 腰かけた縁側から見上げる空はどこまでも蒼かった。
 あの病室の窓から見える空と同じはずなのに、違う色に見えるのは何故だろうか。
 傍らに置いた一冊のハードカバー。
 詩集だ。
 適当に開いたページが汚れていた。
 不意に泣きそうになって、本を閉じた。
 慌てて閉じた本の起こした小さな風が頬を撫でる。
 微かに鼻腔をくすぐるのは蜜柑の香りだった。
 彼が好きな。
 蜜柑の。
 香りだ。
 また泣きそうになって、本を傍らに置いた。
 空を見上げると、蒼く滲んだ空にぽっかりと、白銀色の雲がひとつ重く、軽く、流れていた。
 私の溜息も白く重く、庭に落ちた。

 間もなく、縁側にも出られなくなった。
 あれほど好きだった本を読む気にもならない。
 終わりが近づいていることを自覚して。
 みっともなくも最後に望むのは。

 彼にもう一度、会いたい。
 
 手紙を書きかけて、やめた。
 嘘で塗り固めた手紙を書いて。
 その嘘も途中でやめにして。
 最後の最後で何を調子のいいことを。

 会いたい。
 でも会えない。
 
 偶然の邂逅すらないこの部屋で私は後悔を抱いて眠る覚悟をした。
 目を閉じて、両親には申し訳ないけれどもう二度と目覚めないでいいとさえ、思った。

 蜜柑の香りがする。
 枕元に置いた本からだろうか。
 違う。
 もっと鮮明な、蜜柑の。
 気がつくと、襖が開いていた。
「久しぶり」
 蜜柑を親指に突き刺して、
「浮いてるみたいに見えるだろ」
 滲んだ視界の真ん中で、彼が笑っていた。
「濡れた手で本、持たないでね」


(了)






超蛇足:

作中の登場人物に関しては、
私=ルカ
彼=レン
のイメエジで書いています一応。ただしどっちも子供です。特にルカ。
普通の人は曲を聴いたら、PV作ったり歌ってみたりするんだろうなあ、と思うのですが、歌詞と曲の雰囲気を膨らませて(拡大解釈とも言う)、短編を書いてみたりしました。こういう話を書いたことがないので短編なのにえらいこと時間がかかってしまいましたですよ。
自分以外の創作物に影響やら刺激やらを受けること大なり、な自分としてはこういうモノの作り方もありかなあ、と。


超蛇足の蛇足:

曲に合わせて時代は昭和なつもりです。雰囲気出てればいいけど。……多分出てない。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

SS小説「蜜柑(後編)」

うちの処女作を聞いた江田K氏がSS小説を書いてくれました!!
そのままですが前編からの続きです。

前編は上の「←」ボタンを押してくださいまし。


■筆者HP「江田系・改」
 http://www.geocities.jp/codekouda/

閲覧数:124

投稿日:2010/01/31 01:03:28

文字数:2,396文字

カテゴリ:小説

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