プロローグ
赤ん坊が、火がついたように泣いていた。
薄暗い地下室はお世辞にも清潔とは言い難く、鉄臭く饐えたような匂いが胸を焼く。十畳ほどの空間の真ん中には古びた診察台があって、ちょうど対角を成すように二人の男たちが向かい合っていた。
男たちは微動だにせず、お互いの眼差しの色を読んでいる。一人は歴戦の勇者と言われた男、そしてもう一人は希代の天才医学者と言われた男だ。それぞれ軍服と白衣を身纏った二人は学生時分からの親友同士で、こうして袂を分かとうとしている瞬間でさえお互いの考えていることが手に取るように分かる。それが皮肉だった。
「そろそろ、決着をつけよう」
先に声を上げたのは彼の方だった。悲壮な決意を滲ませた声音に、白衣の男が意地悪く唇を歪ませる。
「決着?」
そう言うと、男は診察台から赤ん坊を抱き上げる。
「そんなものはつかないさ。今からするのは痛み分けだよ」
躊躇いなくこめかみに押し当てられる銃口。冷たい感触に驚いたのか、赤ん坊は更に大きな声で泣き始める。
「やめろ、なにを」
「私は政府と心中する気はない。だが、このまま残って処刑を待つのもごめんだ」
「……」
「それとも、温情措置を取ってくれるか?」
「……それは」
「出来ないだろうな。おまえはそういう奴だ」
だから、取引だ。
唇の端を歪めただけの笑みを浮かべたまま、男は静かに撃鉄を起こした。
「やめろ」
「さしもの『鬼』も、我が子の命は惜しいか」
「……やめてくれ、頼む」
「他ならぬ友人の頼みだ。聞いてやらなくもない」
だが、と男は目を眇める。
「それはおまえの心がけ次第、ということだよ」
男が言わんとしていることを察し、彼は唇を噛みしめる。突き立てた歯で血が滲んだ。
残された猶予はない。体力もない。差し違える得物もない。しかし、彼は守らなくてはならない。創り上げなくてはいけない。それが使命だと、彼自身が定めた。
「……命は、助けてくれるんだな」
「嘘は吐かない」
どこか遠くで衝撃音が響きわたり、パラパラと天井の破片が落ちてくる。双方の戦闘は激化しているようだ。直にここも爆風に飲み込まれるだろう。
言葉はない。けれど、お互いの思考は分かる。
これが、今生の別れになる。
彼は泣き叫ぶ赤ん坊の顔を見つめた。
大きな目に小さな口、白い肌、耳たぶの小さな黒子。腕に抱くことすら叶わなかった小さな命。胸の中で祈るように名を呼び、姿形を直接脳に刻みつけるように記憶する。
やがて遠くから崩落の音が聞こえると、彼は『もう一人』を抱いて、弾丸のように地下室を飛び出した。
「―」
一瞬だけ、声が耳に届いた気がした。が、それもすぐに爆音に呑み込まれ聞こえなくなった。
駆け抜けた後から天井の崩落が始まり、もうもうと土煙が立ちこめる。最後の力を振り絞って地上へ続く階段へとひた走った。噛みしめた奥歯は今にも砕けてしまいそうだった。
すまない。すまない。
一度でいい、おまえをこの手に抱いてあやしてやりたかった。
おまえを助けられなかった俺を恨んでくれ。
恨んでくれて構わないから、どうか。
どうか、生きて―。
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【A1】
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私の声が届くなら
私の歌が響くなら
この広い世界できっと
それが私の生まれた意味になる
辛いことがあったら
私の歌を聴いてよ
そして少しでも笑えたら
こんな嬉しいことはないよ
上手くいかないことばかり
それでも諦めたくない...アイの歌
sis
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