〔―――い、おい。しっかりしろ、アリス〕
そう、この声。あの人が私を呼んでる。答えないと。
「…あれ、私、何で?」
〔良かった、気づいて。気、失ってたよ〕
気を失ったことで逆立ち張りつめていた神経が落ち着いたらしく、自分が見た生々しい映像は頭の中に刷り込まれたらしい。
「私、あなたと付き合ってたんだね。でも、名前がどうしても出てこないの。あと最後に、私、部屋にいたんだ。一人で。多分、十字架があったから教会。此処じゃない別の。」
〔そこまで思い出せたか。行き方は分かるか?〕
「ううん」
〔んじゃあ、俺が道案内してやろう。って言っても、此処から真っ直ぐ戻って10軒目の建物。多分、記憶はそこの二階だ。俺はその教会には入れない。〕
「入れないのも“決まり事”なの?」
〔そうだ、“決まり事”〕
しばらくの間、二人を包むのは沈黙。今まで私を包んでいたほんのりと暖かい空気はそっと離れた。
〔ほら、早く。教会に行こう〕
「うん」
声に促され、歩き出す私。だが、歩くのが遅い事に焦りを感じ、走り始める。
息を切らせながら走っている瞬間、視界が下がり、鈍い音と痛みが全身を走る。
〔大丈夫か、アリス?〕
「うん、少し擦りむいただけ」
膝の傷口からは、少しばかり血が滲んでいる。立ち上がろうと地面に投げ出された手に力を籠めようとしたが、その手の近くに黄色い花びらが落ちていることに気づき、それを拾い上げる。見掛けこそ普通だが、どこかに違和感を感じた。
何があるんだろう。この花びらに。
〔おい、本当に大丈夫か?〕
手の平の上で何かを訴えるように居続ける黄色いそれに見入っていたらしく、ぼんやりとしていた自分を不審に思ったらしい彼から声をかけられる。
「あぁ、うん。大丈夫だよ、本当に」
〔そうか。それなら良いんだけど…まぁいいか。ほれ、急ぐぞ〕
私は最後の記憶の場所である教会へ走り出していた。
走っているから、息が上がる。でも、自分の記憶が戻ることにもドキドキしているっていうのもあるんだろうな、なんて呑気に考えながら走っていた。
〔お~い、アリスさ―ん。もうそろそろ、教会を通り過ぎま―すよ―〕
「考え事に夢中で何軒目か数えるの忘れてた。あんがと。」
〔じゃあ、記憶思い出すの頑張って♪〕
「そういえば、もう此処でさよならか…」
〔寂しいか?〕
如何にも『笑いを堪えられないんです、僕』というような言い方がやっぱり癪に障る。だから、思いっ切り言ってやった。
「全然寂しくも何ともないけど」
〔非道い!俺は本当に寂しいのに!〕
自分でも信じられない事に本当に寂しさを感じない。実際再開は不可能なのだろうが、“また会えるから問題無い”という矛盾が自分を占拠していた。
「ともかく、私は記憶を取り戻す。全部思い出せたときにあんたとまた会えそうだからさよならなんて言わない。」
〔俺には未来なんか分かんないけど、その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。また会おうな、アリス!完全な状態で、な。〕
「分かってるって!じゃあ、行ってくる」
やはりここも最初の教会と同じ様に瓦礫が入口を隠している。それをかき分け中に入ると、ベンチが何列も並んでいた。だが、決定的に違うのは最前列のベンチの向こう側。そこがとても気になるが、記憶を取り戻すのが先決と考えたアリスは二階に繋がるすぐ近くの階段を駆け上がる。その階段は、最初とは打って変わり、直ぐに登り終わった。
二階に着いて最初に視界に入った部屋に入ると、映像として流れ込んだ記憶と全く変わらない部屋が其処にはあった。アリスはなんの躊躇いもなく、壁に掛けてある十字架に背を向ける形で席に着き、テーブルに手を置く。息をこぼしたと同時に、誰かが階段をゆっくりと登ってくる。最初は気にしなかったが、近づいてくる足音に段々と恐怖を覚える。近づいてくる足音が大きくなっていくに従って、アリスの恐怖も増幅し最終的には恐怖に体を支配され身動きすらとれない。
「どうしよう…」
弱音を零した瞬間、ガチャっと扉が開いた。扉を開けた相手にアリスは驚きを隠せなかった。
「何で…私が…目の前に…?」
〈これを見れば、多分記憶が全て戻る。あなたは、それを見ることに対して覚悟は出来てる?ま、ここにいるって事は覚悟は出来てるって強制的に見なすけど♪〉
妖しい笑みを浮かべ、目の前にいる私はそんな事を言った。
「えぇ、そう見なしてもらって結構。覚悟云々は置いといて、早く見せて」
〈相変わらず私ってせっかちなのね。分かったわよ、ほら〉
そう言って私に見せたのは、さっき拾った花びらと全く同じと思える一輪の花。躊躇なくその一輪の花に手を伸ばす。少し触れただけだが、さっきとは段違いに強いセピア色の記憶が流れ込む。
《あのお嬢さんも可哀想にねぇ…》
―私の何が可哀想なの?誰かが一言二言言うと直ぐに場面が変わる。
《あの娘、フレデリックと結婚するつもりだったのにねぇ~》
―そうか…私に聞こえてた声は婚約者…フレデリックの声だったんだ…
《何でよ…何で一人にしちゃうの!一人にしないで!私を置いていかないで!》
「もういい…もう沢山!止めて…止めて――!」
叫んでも、一回流れ込んだ記憶は途切れる事無く。逆に、その速度は速まっていく。朧気な意識の中、アリスにとっての最後の記憶の正体は、フレデリックと結婚するためのウェディングドレスを着て、四季が始まるのを今か今かとこの部屋で待っている最中の物だった。そして映像は切り替わり、色とりどりの花が咲き乱れている場所が広がった。そこは花畑であることがすぐに分かる。
「あはは、とうとう私も死んじゃったのかな…」
人は死ぬと、枯れる事のない花畑に辿り着く。そんな昔話をふと思い出した。そんな事を言いながら、当たり前のように花を摘んでいる。そうしながら周りを見ると、最後にいた教会が見えた。今まで摘んでいた花は、記憶を取り戻す為に見せられた花と同じだった。また、少しずつ映像が私に流れ込んできた。緩やかに。映像の私は、花を持って泣いていた。只それだけ。それだけなのに、一番最初に感じた消化不良な部分を補完させるようなピースに感じられた。その情報が消えてしまわない内に、摘んだ花を抱え教会に向かって走る。
走る速度と切る風に絶えることができなかった花束は、目的地へ着いた時にはたった一輪になっていた。他の花はそのまま落ちたり、花びらになって自分の跡を彩った。
教会の入口をくぐり抜け左右に並べられたベンチの中央に出来た通路を走り抜け、黄色い花が置いてある場所へ。少し息を整え、床に座る。一輪の花を供えようとした床には"フレデリック・ベルンカステル 蒼穹へ昇り安らかに眠れ"そう書いてある薄い墓石がはめ込まれていた。
花を供えた後に教会の裏の墓地に行くんだったんだろうな。そんな予測が、頭を過ぎると視界が霞んできた。
「…完全な状態になったよ、フレデリック。私と貴方は結婚しようとした。だから、私を支えてくれたんだね。今ならその願い叶えられるよ。」
涙声で、あの声の主・フレデリックに聞こえるわけでもないのに言った。
〔ありがとう、アリス。もう僕はこの世にはいないけどそれでもいい?〕
自分の矛盾が現実になった、愛しい人の声をまた聞くことができた。嬉しさに涙がはらはらと頬を伝う。
「うん。だってね、私の中にあなたがいるから。」
〔そう。〕
「ねぇ、気付いてる?今私が言ったことには二つ意味があるの」
〔どういうこと?〕
「一つはそのまま。あなたは私の中生きてるって事。もう一つは…」
〔勿体ぶらずに教えてよ!〕
「もう一つの意味は、貴方はいなくても、貴方の遺伝子を受け継いではいるの。だから…つまり…」
〔俺とアリスの…子供が…いる…ってこと?〕
「…そう」
〔少し安心したよ。その子には、俺が言っとくよ。母さんを大切にな、って〕
「ありがとう、フレデリック」
〔…もう時間みたいだな〕
もうこうして言葉を交すことはできないのか。そう零すと、さっき自分で言っていただろうと笑われる。ああ、そうだったっけ。
「〔また会おう〕」
重なった言葉に少し驚く。
〔それに、ずーっとずーっと、アリスとアリスの子供を見守ってるからな。なんかあったら俺が守ってやるいだな〕
なんとなく、私が言葉を発したら終わりを迎える気がした。直感的に。最後になるなら、ありったけの笑顔で、そう思ったから最高の笑顔で言った。
「ずっと見ててね。約束だからね!」
〔やっぱりアリスは笑顔が一番だ。どんなに辛くても笑顔で、な〕
「うん!」
この不思議な出来事の後、フレデリックと言葉を交わせる機会はもう二度と来なかった。だが、生まれてきた子どもと過ごしていると、ふと後ろから抱きしめられているように温かい空気に包まれることがある。だから、きっと、彼はまだ居るのだ。
見えなくても、存在を感じ取ることはできるのだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい
  • オリジナルライセンス

時空を超えて・後半

ラヴリーPの『VOiCE』を基に書いた話。

閲覧数:138

投稿日:2013/12/27 06:16:26

文字数:3,654文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました