内なる敵
騎士団が出立した黄の国の王宮。剣の稽古帰りにリリィを見かけ、レンは通りがけに尋ねた。
昨日からリンベルの姿が見えないが、何か聞いたりしていないか。
リリィは首を横に振る。行方を知っているかもしれないとなけなしの期待をかけていたが、彼女も事情が分からないらしい。
「一昨日の……確か夕方辺りに見たきりです」
足りない物があるから買って来ると言って出掛けた後、王宮に戻った様子が無い。良い返事を貰えなかったレンは肩を落とす。
「……そっか」
先程訓練場で近衛兵隊や一般兵にも尋ねたものの、そういえば昨日から見ていない、もしくは何も聞いていないと彼らは答えていた。つまり誰もリンの行方を知らない事になる。
王子が望む情報を提供できず、リリィは頭を下げる。
「申し訳ありません。ただ、リンベルは無断で仕事を休むような人じゃないです」
きっとやむにやまれぬ理由がある。そうせざるを得ない状況になって本人も困っているはずだと後輩を庇う。リンを信じてくれるリリィに心を温められ、レンは一つ頷いて返す。
「ああ。分かってる。帰ってきたら俺の所へ来るよう伝えておいてよ」
大丈夫だとリリィの肩に手を置いて安心させ、リンベルが戻るまでは一人で仕事をこなして欲しいと頼む。レンが自分の不安を落ち着かせる為に口にした言葉だったが、リリィは笑って引き受けてくれた。
「首根っこ掴んででも連れて行きますよ」
「いや、そこまでしなくて良い」
冗談なのは承知だがやりかねない。レンは即座に言い返し、リリィに釣られて笑みを浮かべる。一時の大きな不安は静まったが、心配は燻ぶったまま消えそうになかった。
どこ行ったんだよ、リン……。
侍女が一人いなくなったからと言って仕事が減る訳ではない。それに取り乱した姿を宰相達に晒せば付け込まれる。平静を装って一通りの業務を片付けたレンは、気分転換に屋上に出た。夕陽に変わりつつある日を眺め、伸びをしながら外の空気を吸い込む。
母上の見舞い後だっただろうか。落ち込んでいるリンを元気付けたくてここへ連れ出したのは。一緒に景色を見ていたら父上がやって来て、この場所が好きだと笑っていた。
ふっと力を抜いて腕を下ろす。屋上を移動して欄干に手を置き、レンは王都を一望する。
父上。母上。俺は貴方達が愛し、守って来た黄の国を壊そうとしています。王子として出来る事を考えた結果、他の方法を見出せませんでした。貴方達はそんな息子を恥じているでしょうか。それとも嘆いていますか。
俺がする事は人々から悪と呼ばれる行為です。それでも俺は決めました。自分が出来る事をやるのだと。
扉が開く音。物思いにふけっていたレンは反射的に振り返り、出入り口に現れた人物を視界に納めた。同時に身構えていた体を楽にする。
「レン様」
リンが帰ってきたのかと少々期待したが、落ち着いた態度で階段小部屋の扉を閉めているリリィを見ると、別の用件である方が濃厚だろう。
その場で待っているよう手振りでリリィに伝え、レンは出入り口へ歩く。王宮内に戻るのに丁度良かった。
「ジェネセル大臣がレン様に話があると」
会議室で待ってもらっていると言うリリィの連絡に、戦争の件だろうかとレンは推測する。ジェネセルは上層部の中では珍しく良識を備えた人物だ。青の国への侵攻をもう一度考え直すよう忠言するつもりなのかもしれない。あるいは騎士団だけでは戦力不足だと考え、一般兵も侵攻に参加させるべきと進言をしに来たか。
「分かった。すぐ行く」
何にしろ、会わない訳にはいかない。リリィが開けてくれた扉を通り、レンは侍女を伴って屋上を後にした。
「ご足労お掛けして申し訳ありません」
会議室に入室したレンに対し、ジェネセルは開口一番に謝罪する。おそらく重要な話があると判断していたレンは短く返事で済ませ、単刀直入に問いかける。
「話とは何だ」
「はっ。ですが……」
ジェネセルはレンの傍らに控えたリリィに視線を送る。どうやら王子以外には知られたくない話のようだ。
「リリィ、ご苦労だった。仕事に戻れ」
「はい。失礼致します」
人払いであるのを察し、リリィはレンの傍を離れて部屋を出て行く。扉が閉まるのを見届けてしばらく、レンはジェネセルに顔を向けた。
「何かあったのか」
密談の環境は整っている。しかし念の為に扉が閉まっているかを確認し、ジェネセルは口を開く。
「三年前の大火災。あれは意図的に引き起こされたものです」
寝耳に水の話にレンは目を見開く。貧民街を焼き尽くしたあの火事を忘れる訳が無い。夜を失わせんばかりに踊り狂った炎はほとんどの住人を飲み込み、生存者はリリィも含めて一桁止まりだった。
自分が誰かを助けられた喜びと、己の半身を失った絶望。自信と喪失感を同時に味わった。そして、今日までの三年間が幕を開けた出来事でもある。
「意図的……。反吐が出るな」
火を放ったのは一体誰だとレンは拳を固める。どんな目的か知らないが、聞いた所で納得など出来るはずが無い。
ジェネセルが内密に伝えに来たと言うことは、おそらく犯人は王宮の人間。上の地位にいる人間か、王子に近しい間柄の者だと見ていいだろう。
顔に出さずに憤るレンに油を注ぐ言葉が告げられる。
「焼き討ちを命じたのはスティーブ殿です。憶測ですが、他の貴族も加担していたのではないかと」
「……あいつらか」
驚きよりも得心が強い。連中なら事故に見せかけて焼き討ちをしてもおかしくない。思い返してみれば、最初から生存者はいないと決め付けていたり、貧民街に住む人達を助ける必要が無いと言ったりしていた。あれは調査をされないようにする為だったか。
奴らの言動には散々苛つかされ裏切れ続けた。それでも耐えていたのは、連中がいなければ黄の国が立ち行かなかったからに他ならない。王も王妃は亡くなり、残された幼い王子には政治は執れず、頼れるのは彼らしかいなかった。
「情報、感謝する」
だけどもう我慢の限界だ。この国を滅ぼすと決めた以上連中を野放しにする理由は無く、早めに処分しなければ未来に余計な禍根を残す事になる。元より腐った貴族共、特にスティーブを許す道理は無い。
扉へ向き直って歩き出す。背中に含みのある目を向けられているなど知る由も無く、レンは会議室を去った。
中央に緋色の絨毯が敷かれた大広間は玉座の間であり謁見室でもある。リリィに指示してスティーブを呼び出し、レンは玉座に腰を下ろして宰相を待っていた。護衛を置かず、一人でスティーブと相対する心積もりで正面を睨む。覚悟は既に決めている。実行が遅いか早いかの違いだけだ。
右手で剣を触って感触を確かめた時、大広間の扉がこちらへ向かって開かれた。レンは手を離して姿勢を整え、玉座へ近付くスティーブに鋭い眼光を向ける。
謁見室の扉が閉まり外部と遮断された途端、穏やかでない雰囲気が玉座の間を支配した。第三者が居合わせていたら我関せずと退散する空気の中、沈黙を破ったのは太鼓腹を揺らす宰相だった。
「何事ですかな。王子殿下」
「なーんか嫌な予感がするんだよね……」
レンの元へスティーブを連れて行った直後、リリィは兵士の詰所へ足を運んでトニオとアルに不安を打ち明けていた。近衛兵隊の面々も周りに集まって耳を傾けている。赤い鎧の兵士達に交じったメイド。若干異様な光景である。
「それで、殿下は何か言っていたのか?」
トニオが疑問を露わにする近衛隊を代表して尋ね、リリィは気がかりを払拭しないまま答えた。
「特に何も言って無かったし、普段と変わらない感じだった。それが余計に変な気がして」
だからこうして話しに来たと返し、宰相を呼ぶよう言われた時から胸騒ぎがすると付け加える。
「最近おかしな事ばっかりだからな。今の騎士団がこけおどしなのはレン王子が一番分かってるだろ」
同意したのはアル。腕を組み、どうして騎士団を丸ごと侵攻させるんだと訝る。不穏当な発言だが咎める者はいない。むしろその通りだと頷く者が数人いた。王子に直に接している者達は青の国へ戦争を命じたレンの言動が奇妙に映り、誰もが戸惑いを感じている。
「……レン様本当は青の国滅ぼそうなんて思って無いんじゃないの?」
リリィが諦めの入った表情で軽口を叩き、近衛兵達が苦笑する。昔ならいざ知らず、現在の黄の国騎士団は雑魚しかいない。それを言葉にしない代わりに溜息を吐いて、リリィは深刻な口調で別の話題を上げる。
「リンベルはどこ行ったか分かんないし。何で心配事って重なるかな……」
これ以上増えませんようにと呟いて神頼みをしたリリィに、腕を下ろしたアルが場を和ませるように明るく言う。
「その内ひょっこり帰って来るさ。それに悪い事もそう立て続けに」
起こらないと言いかけた所で、人の絶叫にしか聞こえない声が詰所に届いた。ともれば聞き逃しそうな悲鳴は金髪の侍女と赤い鎧の兵士達の耳に入り、両者に緊張が走る。
「……起こったな」
アルは瞬時に真顔になり、由々しき事態だと判断済みのトニオがメイドに確認する。
「リリィ、殿下は宰相殿と話をしていると言っていたな」
珍しく焦りの色を見せた近衛兵隊長に動揺を覚え、リリィは一瞬驚いて返答した。
「あっ、はい。レン様は一人、で……」
自分で言っている内に王子の置かれた状況を思い出し、衝動に駆られて詰所を飛び出す。置き去りにされる形になった近衛兵達は呆気に取られ、既に動いていたトニオとアルから号令が飛ぶ。
「全員玉座の間へ急げ!」
「ぼさっとするな! リリィを追いかけるぞ!」
我に返った兵達が隊長と副隊長の後に続く。慌ただしい足音が響き渡り、詰所から瞬く間に人の姿が消えた。
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