ルカは自室の真ん中にペタンと座り込み、携帯をじっと見つめていた。
時刻は深夜。壁にかかった時計の長針と短針がまもなく重なろうとしている。明日が今日になるその瞬間を待ちながら、ルカはただ無言で携帯を見つめていた。
そのうち、カチ、と味気ない音を立てて、二つの針が重なる。
ルカは表情一つ変えず、その時を迎えた。何が起こるわけでもない。今日という日が昨日になり明日という日が今日になった。ただそれだけだ。何も起こらない。知ってる。
―――何も期待してたわけじゃない。
ずっと開いたままの携帯画面は、とっくに灯りを落として真っ暗だ。
知ってる。
ルカは、チッ、チッ、チッ…と進んでいく秒針の音を10まで数えてから、携帯の電源をOFFにした。
今日の私は特別忙しいの。だからもう寝るわ。タイムアップよ。
誰にともなく呟いて。
布団に潜り込み、ばか、と呟いた。
*
たくさんの収録と、撮影と、お祝いの言葉と、プレゼント。
そのどれもに丁寧に対応し、心から感謝して、ルカはなんて自分は幸せ者なんだろうと強く実感していた。
大切に造られ、愛され、生み出されて、4年。もう4年。たった4年だ。なんて濃密な、満たされた4年間だったことだろう。歌うソフトとして存在して、これ以上など望むべくもない恵まれた毎日だった。そしてこれからも慢心せず、邁進してゆくことを自分自身に誓った。
貰ったプレゼントの山に囲まれ、ルカは控え室の椅子に座った。
目についた小さな花束を手に取る。懇意の女性スタッフがくれたものだ。ルカをイメージした華やかなピンクのブーケは手頃な大きさで、持って帰ればメイコがぴったりの花瓶を用意して玄関にでも飾ってくれるだろう。
昨夜は早めに就寝した。誕生日になった瞬間におめでとうを言いたいと駄々をこねたリンとミクに、仕事のために早寝をするから、お祝いは今日の夜でも明日でも明後日でもいつだってかまわないのだと、謝りつつ礼を言った。
メイコは今夜特大のケーキを焼いてくれるという。カイトは早朝から築地でマグロを競り落としてくるらしいし(ホントか嘘かは知らないが)、最近料理に目覚めたレンはそれをしっぽの先まで余すことなく調理してくれるらしい。
ルカは自然と口元に笑みを浮かべた。
なんてありがたいことだろう。こんな自分を問答無用で大切にしてくれる家族まで与えられて、私は世界一の果報者だ。
文句なんて、何一つない。不満なんて、何一つ。
あるわけない。
ため息が、一つ零れた。どうしようもない自己嫌悪ゆえに。
ルカは山と積まれたプレゼントにチラリと目をやる。
…この中にはない。代理で渡された覚えもない。たくさんの人が私の趣味嗜好を考えて、吟味して用意してくれたであろうこれだけの贈り物に埋もれても、私はまだ欲しいものがある。
それはこの中には絶対にない。正確に言えば、AM12:00、今日が始まったあの瞬間に手に入らなければ、もう二度と手に入らない代物だったのだ。
「…贅沢者」
ルカはボソリと呟いた。
さらに、最低、と呟いた。
募る後ろめたさに心が苦しくなる。あぁごめんなさい、こんなに幸せなのに、尚欲しいものがあるなんて、本当にバカです、私。
机に突っ伏して一人嘆いた。自分で自分が許せない、でもどうしようもない、悔しい、悔しい、悔しい。
本当は、本当は。
その一つさえ手に入れば、他にはなんにもいらないとさえ思っている。
積まれたたくさんのプレゼントを眺めながら、ルカはまた、最低、と呟いた。
*
誕生日当日になるべく仕事を詰め込まないようにと配慮してくれた『マスター』やスタッフのおかげで(本当に自分は甘やかされているとルカは思う)、今日の仕事は夕方になる手前で完了した。
今日はこれで家に帰って、大好きな家族のお祝いを思う存分享受できるのだ。
不満なんてあるわけない。ルカはよし、と気合いを入れて思考を切り替え、立ち上がった。
冷凍や冷蔵ものの魚介類はクール便で、それ以外はしっかりと梱包し自宅に送ってもらう。とても持って帰れない大量のプレゼントの処置をスタッフにお願いして、ルカは控え室を出た。
帰る道すがらにも、たくさんの人に祝いの言葉を投げかけられる。これからおうちでパーティ?楽しんでね、という暖かい言葉にルカは頬を染めて頷いた。
ひとけのない廊下を歩いているとバタバタと慌ただしい足音が聞こえ、なにげなく振り向いたと同時にルカは一瞬で表情を強張らせた。
「―――ルカ殿」
若干息を切らせ、焦った様子で、追いついたルカを見下ろしてふぅ、と安堵する。
紫の長い髪と複雑な着物様式の衣装を身につけた、ボーカロイド界きっての殿様、神威がくぽである。
がくぽはいつも通りの落ち着いた様子で、硬直しているルカに声を掛けた。
「ルカ殿、引き留めて済まぬ。間に合うて良かった」
ルカは目を見開き、胸元で片手をぎゅっと握ったまま微動だにしない。がくぽにとってはいつものことで、気にせず彼はおおらかに笑った。
「仕事は終えられたのか。我も隣のスタジオにおったのだがなかなか抜け出せずじまいでな」
「……となり?」
「うむ」
大きな収録施設には、複数の収録ブースが入っている。今日は一日ルカが2スタ、がくぽは3スタで仕事をしていた、という意味だ。
隣、という単語に反応したルカに、がくぽは頬を緩めた。
「昨夜から機会を窺ってはおったのだが。しかしすれ違わずに済んで良かった」
「……ずっと、いたんですか」
「うむ。ルカ殿、本日は佳き日。ルカ殿がこの世界に生誕された日だ。このめでたき日に、及ばずながら拙者からも言祝ぎを」
「じゃあ、どうして」
祝い事と高揚しているがくぽに、ルカの震えるような囁きは聞こえなかった。
がくぽは懐に手を入れ、中から縦長の小箱をとりだし彼女に差し出した。
「誕生日おめでとう、ルカ殿。これは心ばかりの」
「―――結構です」
贈り物だ、と少し気恥ずかしげに笑ったがくぽは、だから彼女の言葉を理解するのにワンテンポの時間を要した。けっこうです?
徐々にその違和感に気付き、眉を顰める。
「…ルカ殿?」
「…………」
「今なんと」
ルカは俯き、がくぽから視線を逸らす。それを見つめ、がくぽはじっと思案を巡らせた。
彼女がつれないのは知っている。むしろつれないのが巡音ルカである、だからどんなに邪険にされようと、がくぽにとってそれは苦でも何でもない。
だが、これは少々予想外だった。
素直に受け取りはしないだろうと覚悟はしていたが、よもや贈り物を顔も見ずに突っ返されるとは。
また自分は何かをしでかしただろうか。焦らずじっくりと考えるが、いくらこじつけてみても彼女が臍を曲げている理由が思いつかなかった。
「…ルカ殿」
「……」
「どうした、また我は何かしたのか?」
「……」
「何かあれば申せといつも言うておるであろう」
がくぽは辛抱強く問いかける。ルカの自分の肘を掴んでいる指に、きゅっと力がこもった。
「……何も」
噛み締めた口唇から、ようやくといった風にか細い声が漏れる。
「何も、してないじゃないですか」
それを聞き、がくぽはひょいと片眉を上げた。
「ならばその態度は何だ」
責めたわけではなかったが、少々語気が強くなったのは仕方ない。明確な理由もないのに人からの厚意を拒絶するというのはあまりに礼儀に欠ける。
ルカはがくぽの声音に気付かせぬほどビクリと身を震わせ、さらに小さく言い募った。
「…何もしてないからです」
「我に非は無いということであろう」
「違います」
「…ルカ殿、我は謎かけをしているわけではないのだ。おぬしの所行が無礼でないと言うなら、意地を張らずにこれを受け取られよ」
「嫌です」
「ルカ」
「嫌です」
これほど頑なに拒否して見せても、ルカはあくまで彼の顔を見ない。これまでの根気強い付き合いから、がくぽは理解していた。視線を合わせないのは、自分が間違っているとルカ本人が知っているから。そして本当は、それを正して欲しいと思っているからだ。
「…ルカ、拙者は怒ってはいない。これはお主の為に選んだ品故、お主に快く受け取って欲しいだけだ」
だから上手くいなして彼女のやりやすいように導いてやれば大抵は、不器用ながら本当の気持ちを伝えてくれる。
はず、なのに。
「………いや」
にべもなく拒絶された。さすがのがくぽもムッと眉間に皺を寄せる。
「嫌とはどうい意味だ」
「っ…いや、なんです」
「訳も無く人の厚意を無碍にするとは非礼にも程があろう」
「…っ、あ、貴方が悪いんじゃないですか!」
「そのように理由も言わずに責め立てるのは卑怯と思わぬのか!」
がくぽの珍しい激昂に、ルカは身を竦ませ、息を呑み、そしてまた、黙り込んだ。
がくぽはいよいよ苛立ちまぎれのため息をついた。
今回の強情さは、彼の海のように広い許容量をもってしても譲歩しきれないものだった。手に負えない我が儘や理不尽に対する怒りより、何よりも彼女の無礼に対する呆れが勝った。
がくぽは儀礼と節度と、何より人情を重んじる。それを蔑ろにするなら例え相手がルカといえど、―――いや、ルカだからこそ余計に許せないと感じた。
彼女にそんな態度を取らせている未熟な己自身に、また腹が立つのだ。
がくぽの怒りはさざ波のように静かだ。それは怒りというよりは、情けなく無様である、とお互いを嘆く諦観を多く含んでいるからだった。
「―――いらぬと言うことか」
「……」
「いらぬのならそう申せ」
「……」
これが最後だと、がくぽはルカの返事を黙して待つ。じり、じり、とのしかかるような重苦しい時が流れた。
ほんの数十秒、体感的には気が遠くなるほどの沈黙の末。
がくぽの低い声が、廊下に響いた。
「―――承知した」
「…っ」
「ならばこんな物不要だ」
ルカがハッと顔を上げたと同時に、がくぽは廊下の窓を開いた。
「やっ」
思わずルカが飛びつく。その腕を振り切って、がくぽは持っていた小箱を外に放り投げてしまった。
あまりのことに制止の姿勢のまま固まっているルカを一瞥して、がくぽは静かに吐き捨てる。
「…いらぬのだろう」
「……ッ!!」
目を見張る。今彼は、何をした?私の目の前で。私の目の前で。あれは私の。私のなのに。
この人が私にくれたものなのに。
見据えてくる彼の表情。
その、冷えた視線に、拗ねた視線に。
ルカの怒声は、腹の底から沸き上がった。
「―――バカァッッ!!!!」
思い切り振りかぶった平手で彼の頬を見事に張り倒して。
「な、なん、なん…っ」
「…ッ」
「なんてことするんですか!!!!」
「ルカ」
見る間に彼女の目に涙が溜まる。がくぽは夢から覚めた心地で、頬に手を当てたまま目を丸くした。
痺れた頬は痛くない。あっという間にあふれ出し白い頬をポロポロと伝ってゆく彼女の涙の方が、圧倒的にがくぽの胸を突き刺した。
「……返してください」
ルカもまた打った手の平をジンジンと痛ませながら、泣いて、睨み上げた。不条理な抗議だと言われなくともわかっている。だけど。
「返してくださいッッ!!」
なりふり構わず叫んだ。子供の我が儘みたいに。その通りだ、だけど冷静なフリなんてできない。
だって私は大人じゃない。ルカは心の中で叫ぶ。だって今日4歳になったばかりなのに。
「―――あなたなんか大嫌い!!」
がくぽの目がさらに大きく見開かれるのを、ルカは見た。そして彼が踵を返そうとするのを察し、咄嗟に自分も走り出した。彼が行こうとしたのとは反対の方向へ。
怒らせた、呆れられた、傷付けた。当たり前だ、当たり前だ。でも、自分に見切りをつけて去って行かれるその姿を、目の当たりにはしたくなかったから逃げた。
嫌われた。自分は無神経に大嫌いだと言っておいて、勝手に一人で悲しくなるなんて。
どれだけ子供なの。
もういやだ、私。
―――最低
泣いて、走りながら、ルカはまたそう呟いた。
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リュエル
ご意見・ご感想
殿ーーーーッ!!(うわあああ
こ、こんにちは初めまして(´▽`;
すみません、あまりに素敵ぽルカにたぎって
取り乱してしまいました(汗
ねこかんさんのお話、全部大好きです!
カイメイ、ぽルカ、好物過ぎて幸せです(*´ω`*)
これからも応援してます!
2013/02/24 13:02:39
ねこかん
きゃあ…!はじめまして!
こ、こちらこそリュエルさんの作品ずっと追わせて頂いてて…!!
光栄です!ありがとうございますー!!><嬉しいです!!///
私もリュエルさんのイラスト大好きなんです!こちらこそ、これからも応援させてください!
一歩進んで二歩下がる2人ですが、これからもよろしくお願いします!
メッセージ本当にありがとうございました!
2013/02/25 23:22:12