UVーWARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」
その7「UTAU学園入学案内」
わたしは、UTAU学園の話をしようと母の夕食の後片付けを手伝った。
母が洗った食器を布巾で拭いて食器棚に戻しながら、「進路の話」風に始めた。
「学費とか、下宿費用とか、食費とか、全部無料だったら、私立高校でもいいよね?」
母は少し驚いたようにわたしを見つめた。
「あら」
母は洗い物の手を止めて、わたしの方に向き直った。
「進路相談の日はまだ先なのに。もう行きたい高校を見つけたの?」
「ううん、特別に行きたい、って訳じゃないけど、面白そうな高校があるの」
「どこなの?」
「UTAU学園、っていうの」
「聞いたこと、ないわね」
「ちょっと待って」
わたしは布巾と茶碗を置くと廊下に置いた鞄から、入学案内を取り出し、母に見せた。
母はさっと目を通してから、入学案内をわたしに返した。そのまま背を向けて、母は黙々と洗い物を続けた。
沈黙が三十秒続いた。
その間、わたしは母の背中を見つめ続けた。
初めてだった、母との会話が途切れるのは。
母は言葉を探しているようだった。ため息を吐いたり、天を仰いだり。
UTAU学園の何がいけなかったのだろう。
「あの、お母さん?」
返事はなかったが、構わずわたしは続けた。
「わたし、どうしても行きたい訳じゃないから」
わたしは拭いた茶碗とお皿をそそくさと片付け、廊下に出た。
「宿題があるから、部屋、行くね」
今のは明らかに嘘だ。始業式から宿題を出す教育熱心な先生なんて、わたしの中学校にはいない。
わたしは階段を上がって二階の自分の部屋に入った。わたしの部屋にはロフトというより屋根裏部屋が付いている。ちなみに兄は四畳半の部屋を二つ使っている。両親の部屋は一階にある。
入って右手にベッド、まん中に窓とその下にサイドテーブルがあり、左手に机と本棚があった。
机の前の椅子に腰を下ろし、鞄の中から新しい教科書を取り出した。
わたしは真新しい教科書をパラパラと捲っては本棚に並べる作業を始めた。
無言の母の背中が怖かった。知らない母見た気がして、早く忘れたかった。
だから、国語の教科書の中の「アンドロイド・アキコ」というタイトルに惹かれ、ページを捲る手が止まった。
その内容は、科学者が死んだ娘とそっくりのロボットを作って、そのロボットが月面にできた町で恋をして、恋人を庇って死ぬというファンタジーだった。
「愛って、胸が痛むことなのね…」
ロボットが死ぬシーンは少しジーンとしたが、その後の科学者のモノローグは少し考えさせられた。
ドアがノックされて、わたしは国語の教科書を閉じ本棚に並べた。
「はい」
返事をするとドアの外から母の声が聞こえた。
「ヨワ、いい?」
「はい」
ドアを開け、母が入ってきた。手にコーヒーカップの載ったトレイを持って。
「あら、始業式の日から勉強?」
母はいつもの笑顔で話しかけてきた。
〔やっぱり、バレてる…〕
内心冷や汗をかきながら、作り笑いで誤魔化してみた。
「う、うん。新しい教科書に目を通してたの」
母はサイドテーブルの上にトレイを置いた。
「さっきの入学案内、見せて」
一瞬、怒られる、 と思った。
「はい」
わたしは鞄から入学案内をもう一度取り出した。
母はそれを受け取るとじっくりと眺めてからわたしを見た。真剣な目をしていた。
「この案内には、芸能界にデビューできるみたいなことがかいてあるけど、本当なの?」
「たぶん」
「この『重音テト』という人のサインは、どうしたの?」
「さっき、お兄ちゃんが言ってたゲリラライブ、わたしとネルちゃんも、見てたの。それで、私たちが中学三年生だから、このパンフを渡されたの」
「そう、重音テト、ね。お母さんも名前は聞いたことがあるわ」
「へー、そうなんだ」
意外だった。いつも、テレビを点けずに本ばかり読んでいるはずの母が、芸能界のことを話した。
「あなたは、芸能界に入りたいの?」
いつになく真剣な目の母が怖かった。
「いえ、そこまでは…。ただ、…」
「なあに?」
「重音さんと話してて、アイドルはもう少し身近な存在でもいいんじゃないかなあ、と思ったの。別に、わたしはアイドルになりたいわけじゃないけど、重音さんのお手伝いができればいいかなあ、って」
母が軽く頷いた。
物分かりのいい母親を持てて、わたしは幸せだなあ、と思いかけていたら、母の顔が曇った。
「でも、あなたはまだ十五なのよ。そんなに早々と人生を決めないで欲しいわね」
〔怒ってるのかなあ、やっぱり…〕
私の思いが顔に出たのだろうか、母の表情が明るくなった。
「まあ、いいわ。それだけあなたも大人になったということでしょうから」
母は椅子から立ち上がった。
「大事なことなんだから、必ずお母さんには相談してね」
「はーい」
出ていく時、母はわたしを見なかった。それがちょっと寂しかった。
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