「下弦の月の夜に、守り手の海渡と二人で、出立することになっている。そのまま、鈴を迎えに行くから」
朝まで、まだ、時間があると言われて、床についた蓮は、再び、夢の中で、鈴に会い、先ほどの、海渡との話をして、力強く、そう言った。
しかし、鈴の表情は、どこか、暗く、儚い。
「蓮は良いね」
蓮が、鈴の名を呼ぶ前に、鈴は、淡く、微笑んで、そう言った。
「天鳩(ミク)お姉ちゃんは、空の国を、ものすごく、愛しているの」
ここにないものを見るように、どこか、淋しそうに、どこか、誇らしそうに、そう言った。
「だから、あんまり、水の国に、良い感情を持っていないの」
ふっと、風が止まったみたいな、張り詰めた顔で、鈴が、そう囁いた。
「……私……どうしたら、いいのかな……」
風が、ゆらゆらと、不安そうに、渦巻く。鈴が、鈴のかわりに、リンと、泣くように、鳴った。
「心配しなくても、大丈夫だ! 俺が、迎えに行く。絶対、鈴は、俺が守るから」
力強く、蓮は言った。辛そうな鈴を、守りたかった。でも、風は、揺らいでいて、酷く、張り詰めていて、これ以上、無理に、距離を詰めようとしたら、逆に、鈴を傷つけそうで、それが、蓮には歯がゆかった。
「天鳩お姉ちゃんも、そう言うの。“絶対、鈴は、私が守るから”って」
静かに揺らぐ声が、浮力を失ったように、零れ落ちた。
それは、鈴の心が傷ついて、剥がれ落ちたようだった。
「私は、蓮のことも、天鳩お姉ちゃんのことも、こんなに、大好きなのに………私、二人の足ばっかり、引っ張っているみたい」
鈴の空色の瞳から、ハラハラと、花のように、涙が零れ落ちた。それは、あんまりにも、綺麗で、蓮の胸も痛くなった。
「そんなことない! 俺が、勝手に、鈴のこと、守りたいだけだ!」
手を広げて、叫んだ。感情のままに、広がってしまった手だったけど、その手は、何よりも、鈴を受け止めたがっていた。
「ありがとう。私も、頑張る。私も、蓮のこと、守りたいから」
涙を頬に浮かべたまま、鈴は微笑んだ。でも、距離を縮めようとはしなかった。蓮が、鈴を、受け止めようとしていることなんて、鈴には、それこそ、自分の心のことのように、伝わるだろうに、鈴は、手を伸ばしても、触れ合えない距離に、佇む蓮に、微笑むだけだった。
鈴の薄紅色の唇が、開いて、何かを囁いた、そのとき、天から、強い光が差し込んできた。
目を細めて、そちらを見た。
光が弱まった時、それは、見慣れた、自分の部屋の天窓となっていた。
天窓には、普段は、薄布を一枚、張っているのだが、今は、それがない。そのせいで、射し込んで来た朝日に、目が覚めたのだろうか。
蓮は、窓を見た。そちらには、今度は、暗い深海が映っていた。その真ん中には、昨日よりも、柔らかい十六夜月が浮かんでいた。
その十六夜月が、夢の中の、鈴の顔に変わって、蓮は、ため息をついた。
俺は、海渡のことも、そりゃ、好きだけど、鈴のほうが、ずっと、大事で、好きなんだけど……鈴は……“天鳩”と同じくらいなんだろうな……
ちぇっ
「おや、どうしたの? 蓮君。物憂げに、舌打ちなんか、付いちゃって」
ふいに、飛び込んできた声に、蓮は、声の聞こえてきたほうから、顔を背けた。
「何でもない」
「そんな顔で、そんなこと言っても、僕に通用するわけないじゃない」
そっぽを向いた蓮を、ちょっと、見守ってから、海渡は、ずずいっと、蓮の正面に、回りこんだ。
「悩みは口に出しちゃったほうがいいよ。さぁ、この運命共同体のお兄さんに、話してごらんよ」
芝居がかった動作で、自分の胸を、ドンと叩いて見せた海渡を、蓮は、軽く睨んだ。でも、確かに、この守り手は、自分なんかのために、この国を裏切ってもいいと言ったのだ。
海渡は、軽く、引き受けたけど、そんな簡単にできることではない。そこに、蓮も、もっと、誠意を見せないといけないような気がして、ぼそぼそと話し出した。
「ふむふむ。蓮君は、鈴ちゃんを守りたいと」
「だって! 鈴は、俺より、小さいんだぜ」
あごに手を当てて、ふむふむと頷いた海渡に、蓮は、むきになったように、声を上げて、それから、また、俯いて、低い声で、そう続けた。
「悔しいけど、俺は、海渡たちより、ずっと、小さいし、腕だって、細い。いくら、鍛錬積んでも、このまんまだ」
自分の腕を睨みながら、さらに、小さい声で、蓮はぼやいた。
「でも、鈴は、その俺よりも、腕だって、細いし、背丈だって、小さいし、羽根みたいに軽いんだ。当然、俺が、守ってあげなくちゃ」
それから、すっと、顔を上げて、蓮は、そう言った。自分よりも、小柄で、すぐに、泣いて……その癖、結構、無鉄砲で、頑張り屋で………鈴。誰よりも、大切で、愛しい存在。
「分かっているよ。そのために、限界まで、頑張って、鍛錬してきたんだもんね」
微笑んで、そう言って、海渡は、蓮の肩に手をおいた。その手は、蓮の肩よりも、ずっと、ずっと、大きくて、蓮は、そっぽを向いた。
でも、その手は、温かくて、いつものように、蓮の心を、優しく撫でる。
「でも、それと同じで、僕だって、蓮君を守るために、頑張ってきたし、鈴ちゃんの守り手の子だって、鈴ちゃんを守るために、頑張ってきたんだよ」
「でもっ! 俺のはっ!」
「うん。わかっているよ。蓮君は、鈴ちゃんの守り手に、なりたいわけじゃないもんね。蓮君は、鈴ちゃんと、夢から、覚めても、一緒にいられる未来を守りたいわけだ」
「ああ。俺、夢から、覚めても、鈴と一緒にいたい。一番、近くで、鈴のこと、守りたい。一緒に、存在していたい」
知らず、知らず、蓮は、拳を握った。身体を、力がかけめぐってゆく。この感覚が、心地よかった。
「うん。その未来を、蓮君と鈴ちゃんの現在(いま)にするためにも、過去をおっていかないといけない。それは、とっても、大変なことだよ。特に、蓮君たちは、君たちの十四年間以上のものを、背負わないといけないからね」
蓮は、はっと、窓を見た。十六夜の月も、こちらを見ているような気がした。
「でも、大丈夫だよ。蓮君。鈴ちゃんも、蓮君を、守りたいといってくれるのなら、お互いが、お互いを大切に、想うのなら、ちゃんと、過去をおって、未来に、手を伸ばして、現在と向き合えるよ」
蓮は、十六夜月を見据えて、力強く、頷いた。
下弦の月まで、あと、六夜。
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