それは、たそがれた豊かな国に起きたお話。
「もし、この命と引き換えに、運命を変えられるなら、神様。お願い。ありえた筈の結末、いつか約束した夢の彼方に、私達を導いて!」
「私が馬鹿だった。失ってから気付いた。幸せなんかじゃなくてもいい。恵まれてなんかなくてもいい。どんな目に遭っても、何が起きても、本当に愛したあの人と結ばれたい!いや、結ばれなくても良いから!せめて、もう一度だけ!あの人を!あの人に!......会いたい!」
「どんなに恵まれても、何を贈られても、ずっと心は空っぽのままなら、そんなのないのと同じだから。」
「お前は、神様を本当に信じるのか?自分の都合、生活、事情、何もかも捨て去って。」
......もし、神様を信じたら、永遠の愛だって、夢じゃないかな?
あなたにとって、真実って何?
下らない理屈とか、余計な説明とか、どうでもいい言い訳とか、ご都合主義的な一般論、そんなもの抜きにして、答えられるのは一体、今の世の中に、どれだけいるんだろう?
半分は真実。半分は偽り。それって神様が人間をそうゆう風につくったから、なのかな?
どんなに矛盾しても自分自身が今、ここにいるのは。それが存在の証明なら、それもまた、悪くはないよな。
誰もが生まれながらに善と悪を、まるでコインの裏表のように、心に与えられたのかな?
現実に目をつむって恭しく崇拝する為の偶像に勝手に期待しながら屁理屈だの意味だのを押しつけるのは、いつだって、自分の人生を心から本当に望むままに生きようとしなかった連中じゃないかな?
もし、あなたさえ、ずっと傍にいてくれれば、どんな過ちにも目をつむって、心から愛を与えたい。
運命は二度と選び直せない。そんなの分かってる。けど。
あなたは、もしもありえたかもしれない自分の人生って、考えた事、ある?
やり直せるなら、やり直したい。でも、たった一回だけしか自分の人生を生きられないのも、事実だから。傍から見たら間違えだらけのこの生き方からだって、色んな事を教わった。簡単には捨てたくないさ。
過去を過去として葬るのが本当に大人の役目なのかなって、自分自身すら疑う時はあるんだよ。少なくとも自分には。
大人の社会の裏切り者として言わせてもらえば、な。
本当に大事な事ばかり、見て見ぬふりするのが大人になる事なら、そんなのは本当は間違い以外、何でもないのさ。
ずっと生きて行かないと分からない事だってあるさ。だから、いつか分かるって信じてる。だから、生きて行ける。違うか?
ろくに歳を取ると、何かと人生にくたびれちまうな。そんな風に、後悔ばかり重ねたような虚しい生き方だけはするなよ?
人は誰もが変わる。心だって、何だって。ずっとそのままで良い訳がないって、思ってた。
それでも、君と一緒に、ずっと、生きて行きたいって、心から思うんだ。
誰に何を言われて、例え何が起きても。それだけは絶対なんだ。
自分の事なんか知ったこっちゃない。そんな自分すら嫌われても。
交錯する色んな人生の交差点。行き交う人々。
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