「ちょっと寝不足かもね」
苦笑しながらの少年の台詞に、少女は小さく首をかしげた。恐らく、その言葉に含まれた別の事情があることに気付いていたのだろう。
けれど少女はただ従順に頷き、微笑む。
その瞳を少年への気遣いで翳らせながら、それでもいつものように、言葉にすることはしないままで。
<魔法の鏡の物語.9>
実感はなかった。
それは当然なのかもしれない。だって、僕が駆けつけた先で見た父さんの姿は、普段とそう変わらなかったから。
ただ―――そう、ただ、額につくりものみたいな穴が開いていただけで。
「…射殺?」
僕は、耳から入ってきた言葉をそのまま口にした。
どういう意味だかよくわからない。
分かるけど、わからない。だってそんなの、テレビや本の中でしか知らない。それはあくまでメディアの中だけの話のはずだ。
こんな僕の、ましてやあの父さんの身に現実にそんな事が起きるなんて…有り得ない。
そうとしかこの感覚は表せない。
だけど、さっき父さんの体に触れた時に指先に伝わったぞっとするような冷たさと弾力は、不気味な現実感として僕の体に残っていた。
僕の「面会」に立ち会っている妙に小綺麗な男性が、淡々とした声で僕に告げる。
警察関係者なのか、それとも父さんの仕事の関係者なのか。格好からすると後者のような気がするけれど、そんなの正直どうでもいい。
「犯人は捜索中です」
「そうですか」
自分でも驚く程に無感動な返事が口から投げ出される。
そんな僕を気にするでもなく、男性はやっぱり淡々と言葉を繋いだ。
「御遺体をお返しするのにはまだ掛かるかと思います。心中お察ししますが、ご容赦ください」
長く続く彼の事務的な話に、はい、とか、そうですか、とか、上の空で返事をする。正直、どんな話をされているんだかさっぱり分からなかった。聞く気にならないことを差し引いても、専門的な言葉が所々に挟まれていたりして単純に難しい。
この人は僕を何歳だと思っているんだろう、なんて思いがふと心をよぎった。それもまた、ぼんやりと。そしてそれは、まるで薄膜を一枚隔てているようなよそよそしさで頭の中をすり抜け、消える。
だから、彼がこう続けたとき、僕はすぐには反応出来なかった。
「それで、警護の事なのですが、レンさんの家の回りに5人程私服警官を張り込ませるという形で宜しいでしょうか」
その文章に含まれた、明らかな日常からの解離。
…私服警官を張り込ませる?
何だそれ。
「…えっ?」
思わず、気が抜けたような声を出してしまったのも仕方がないと思う。
「お父上だけが狙われたのではなく、レンさんも狙われている可能性も否定できません」
「俺も、ですか?」
「はい。可能性としては非常に低くはありますが、せめて犯人の目星がつくまでは警戒すべきです」
「…わかりました」
僕は大人しく首を縦に振った。
特に拒否する理由もない。そうすべきだと判断されたのなら、きっとそうなのだろうし。
それにしても、随分と厳重に警戒するものなんだな。普通、誰かが殺されたときにその遺族に護衛なんか付くのかな?まあ、単に父さんの地位が高かったからなのかもしれない。
少なくとも、僕が狙われる事なんて、まずないと思うんだけどな…。
僕が頷いた事に微かに安堵の表情を浮かべ、男性は話を続けた。
「それでは、暫くは外出はなさらぬようにお願いします。部外者の立ち入りはこちらで禁じますので、それはご安心下さい。本当は、こちらの用意した家に移って頂いた方が安全なのですが…」
「それはできません」
僕は反射的にそう答えていた。
驚いたように眉を上げる男性を見て、恥ずかしさに頬が熱くなる。
―――うわ、何言ってるんだ僕は!
言葉には使い方ってものがあるのに、それを無視して、咄嗟に考えたことをそのまま口に出してしまうなんて。
父さんが聞いたら…怒られたかもしれない。
す、と肺の辺りに冷たい風が吹き込んだような気がした。
…いや、そんな自分の感覚はどうでもいい。まずは、この人に謝らなければ。
「あ…すみませんでした!失礼しました!」
「いえ、無理にという訳ではありませんから。謝るようなことではありません」
苦笑しながらそう返され、そこで話は終わりになった。
先導されるままにふらふらと廊下を歩き、送迎用と説明された車に乗る。
家につくまでの間、僕は何も考えることはなかった。
腑抜けた話だけれど、玄関を開けて初めて意識がはっきりと現実に戻ってきたんだ。
例えて言うなら夢から覚めたかのように、不意に世界がくっきりと感じられた。
自分がそうなった理由は、すぐに分かった。
「…あ…」
静寂。
静寂。
ただ、静寂。
無人の静けさと冷たさが、酷く僕の心を冷やす。
…こんなにこの家、広かったっけ…?
なんでだろう。人が数人いなくなっただけで、どうしてこんなに寂しく感じるんだろうか。
魂が抜けたかのように階段を上り、すっかり定位置になった鏡の前に座り込む。
父さんがいなくなって、外からもやんわりと切り離されて…
…じゃあ僕の世界には、今、―――誰がいる?
鏡に触れる。
指先から伝わるのは、つめたさ。
そうまるでとうさんにふれたときのような
違う!!―――リン!
不意に襲いかかる不安にきつく拳を握り、心の中で血を吐くように名前を呼ぶ。
君に会いたい。今すぐに。
―――リン。リン…!
けれど、魔法の鏡は何の反応も示さない。
それは部屋の端に置かれた何の変てつもない鏡のままで、願いを聞き入れるそぶりは全くない。
そのことに一瞬苛立ち―――そこで僕は、不意に納得した。
そう。
つまり本当のところ、そうだったんじゃないのか?
これは結局、ただの鏡にすぎないんじゃないのか?
鏡に祈った願いは、時に叶ったり叶わなかったりする。
願って叶ったこと。願っても叶わなかったこと。
幾つも願いがあれば、そのうち幾つかは叶うだろう。
願いとして形にするもしないも関係なく。
こつん、爪先が硬質な硝子面を叩いた。
うん、鏡のこちらと向こうが差し引きゼロの関係にあるという父さんの考えは、そんなに間違ったものじゃないと思う。
でも、それは願いの代償としてそうなった訳じゃないんじゃないだろうか。
そう、例えば僕の世界とリンの世界はもとから対称的な世界なんだとしたら、見かけ上は与えたり与えられたりの関係に見えるはずだ。
ならば、僕らが辿ったのは元から決められていた運命。
ただそれをなぞっただけで、不幸に対する責任なんか誰にもない。
…でも、その考えは、安堵と一緒に疲労感も連れてきた。
つまり、嘆こうが願おうが僕個人は無力なんだ。
いくら祈ったって、二つの世界は自分たちの予定を変えることはない。知らん顔で、僕らに喜びや悲しみを与えるだけ。
そして、この魔法の鏡も僕と同じように、ただ単に二つの世界を繋ぐだけの無力な硝子に過ぎない。
まあ、物を向こうにやれるのは不思議な力だって言えそうだけど、おかしな具合に二つの世界が接しているせいで鏡の境界が不安定になっているんだ、なんて思えば納得できないこともない。かなりファンタジーな感じの考えだけどね。
―――本当はしっかりと理解したい。実際はどんな原理なのか、出来ることと出来ないことは何なのか。
だけど、前の持ち主である父さんでさえ殆ど何も知らなかった。少なくとも…もう話を聞く事はできない。
そう、どこかで納得しなければ。
「レン!」
不意に、僕の耳元で涼やかな声が弾けた。
驚いて顔を上げると、目の前に、―――
「…リン」
「…あ、ごめんなさい…寝てた?」
「え、…あ!」
まずい!今、ちょっと意識飛んでた。ぼんやりしてただけかもしれないけど、リンからはどう見えただろう。
急いで姿勢を整える。良く考えたら、服も何も外から帰ってきたときのままだ。格好に気を配る余裕なんてなかったから、それで当たり前なんだけどさ。
でも、まさかと思って髪に手をやってみると、そこまで見事にぼさぼさだった。…なんだこれ、最悪だ。
僕は慌ててリンの目線を両手で遮った。
「ごめん、リン!あんまりこっち見ないで!」
「どうして?」
「だってこんな格好だし!ちょっと着替えて来る」
「いいよ!」
え?
すぐに駆けだそうと浮かしかけた膝が、そこで止まる。
振り返ってみると、リンはぺったりと両掌を鏡にくっつけていた。
これは僕の主観だけど、まるで僕の服の裾を掴もうとしているかのように。
僕の視線に気づくと、リンは真っ赤になって俯いた。
「!…う、ううん、行ってらっしゃい」
「リン、何?」
「何でもないの」
「気になるなぁ」
「何でもないってば」
「…ほんとに?」
「…う…」
恥ずかしがるように、怒ったように眉を寄せるリンを見ていると自然と口元が綻ぶ。
さっきまでの寒々とした気持ちが消えるわけではないけれど、それに勝る柔らかい気持ちが心を満たす。
(世界って、そんなに広いものなの?)
…僕の世界には、今…
「レン…」
青い目、金の髪。びっくりするほど白くて細い手足。
不意に、その不安げな姿が堪らなく愛しく感じた。
胸の内から吹き零れるように溢れる思い。
けれど、それはけして表には出さない。
リンは何も知らないままでいい。
僕が、知らせない。
「…レン?」
「なんでもないよ。ごめんね、ぼんやりしてた」
「体調、悪いの?顔色も悪いような…」
「大丈夫、元気だよ。ああ、でもちょっと寝不足かもね」
「…」
リンは何も言わずに少しだけ首をかしげる。
僕の変化に、というか端的に言えば嘘に、気付いているのかもしれない。
でも、僕は気付かれている事に気付いていないふりをした。
気付かないふりをして、もう一度だけ魔法使いを装う。
「ねえリン。君に教えたいことがあるんだ」
「…なあに?」
「君と、君のお父さんについて」
鏡に手を当て、僕はリンに告げた。
現実になるかなんて分からない。だけど、僕はもう先がないと思うし、今すぐ叶えるなんて制約も付けない。だから叶わなくてもリンの怒りを見なくて済む…なんて余りにも酷いことも、心の隅で考えたのは確かだ。
…だけど、今の僕の状況を考えるに成功確率は結構高いと思うんだよね。
「あのね…」
僕は、君に何かしてあげられる訳じゃない。
魔法使いじゃないから、奇跡も起こしてあげられない。
僕にできるのは、かつて君が手放したものを返すことだけ。
けれどそれすらも、きっと…僕の力ではないんだ。
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目白皐月
ご意見・ご感想
こんにちは、目白皐月です。
うーん、私は難しい表現が使われてるとは感じなかったです。むしろさらっと読めましたよ。まあ、あくまで私の意見ですが……。もし「意図的に難しい表現を多用している」のでしたら、申し訳ありません。
自分の父親の死により、リンの父親が無事であることをレンは確信したようですが、そういう関係性というのも何だか悲しいですね。
それにしてもレンのお父さんですが、よほどやばいことに首を突っ込んでいたんでしょうか? CIA的な組織とか……。ちょっと飛躍しすぎですが。
あ、後すいません、前回の話引っ張ってしまうんですが、実は今、創作の中で着物に関する会話をさせていて、で、書きながら「めーちゃんの体型だと胸のさらしとウェストのタオルは必須だよな……ルカはどうだろう。補正いるかな? ていうかその場合、リンは? デフォルトの14歳なら補正はいらないだろうけど、この話だと成長しているのよね。胸どうなってるわけ?」とか考えていたら、自分でもよくわからなくなってしまって。翔破さんはどう思います?
……どうも私は、人様とは違う方向性に腐ってるみたいです。
それでは、続き待ってますので。
2011/11/20 00:44:53
翔破
こんにちは、コメントありがとうございます!
普通に読めたなら良かったです。私としては無い知恵を振り絞って出来るだけ呼んで意味が通るようにしたかったので、そう言って頂けてほっとしました。正直安堵のあまり半泣き状態です。
レンもリンも親父さん関係で苦労することになりますが、最終的にはちゃんとハッピーエンドにしたいと思っています!
そうですね、私的にはルカさんは補正必要だと思います。リンちゃんは成長の度合いが未知数なので、目白さん次第ではないでしょうか。
まあ、DIVA等を見る限り14歳リンちゃんは14歳らしく本当にまな板なので、それほど育ってもいないのかな…?なんて思ったりもします。でもどんなリンちゃんでもいいです!
2011/11/21 00:19:15
鈴歌
ご意見・ご感想
ずっと終わらないでぇぇぇ!
私は馬鹿なので途中がチンプンカンプンorz
次回楽しみにしてます
2011/11/19 00:21:10
翔破
コメントありがとうございます!
そして、すみませんでした。無駄に面倒な表現しか見つけられず…
一旦完結して、もっといい表現を見つけられたらここの説明にはちょっと訂正を入れるかもしれません。日本語難しい!
次回ものんびり投稿になると思います。ゆっくりお待ちください。
2011/11/19 07:20:26
芙蓉
ご意見・ご感想
凄いですね…
途中なんか言葉の意味がわかりませんでした←チンプンカンプン♪
まあバカなんで当たり前ですけど
レンの父親が殺されて、リンの父親が戻ってきた…ってことはやっぱりリンの父親は死んでたんですか?
レンはリンに何を教えたのか…
次が楽しみです、待ってます!
2011/11/18 22:15:54
翔破
コメントありがとうございます!
そしてすみません…出来る限り簡潔にを心がけたのですが、ここが限界でした。我ながら分かりにくくなってしまったと思います。一旦完結したら、ここの説明にはちょっと訂正を入れるかもしれません。私がより良い表現を見つけられましたら…日本語難しい!
そろそろリン側と同じシチュエーションを描写する形になってくると思います。またもやゆっくりUPしますので、気長にお待ちくださいませ。
2011/11/19 07:17:04