「ねえ、こんなトキメキは別に求めていないんだよ」
だから話し合おう、ね? 人間は何のために言葉を持っているの、そう、話し合うため。唯一ヒトだけが取ることができるコミュニケーションだもの、活用しないともったいないでしょう?
「君は私と一緒にいるのが嫌なの?」
「そうは言ってないよ、だけどかわいいきみの頼みだもの、なんでも聞いてあげたいとは言ったけどさ」
「じゃあ、どこがいけなかったの?」
「強いて言うなら、いけないのはこの状況だなあ。ねえ、何か僕に言うことあるでしょ?」
「えっと……跪きなさいご主人様! とか?」
「そこだよ! なんできみが下の立場の話になってるんだい!?」
薄暗い部屋の中、スーツのまま床に正座させられた僕は、後ろ手にネクタイで縛られている。彼女はお風呂上がりのパジャマというラフなスタイルで腕を組んで僕の前に立っている。
そもそもどうしてそんな状況になっているのかと言うと、付き合って三年目、お互い社会人になって前ほど一緒にいる時間が減ってしまったのである。同じ部屋で住んでいるから会話はしているものの、仕事が忙しく帰宅すると食事、風呂、布団への流れるようなコースが定着してしまったのである。
これではただの同居だ、だけどイチャイチャしようと何かを考えても仕事終わりでHPは残りわずかの僕の頭では何も思い付かず、「何かトキメキがほしいよね」と口走ったのが今朝の出来事。その時はきみは笑い流していたからてっきり今日もいつも通りの夜が始まるんだろうな、と思っていたら、帰ってきて早々きみが僕の首からネクタイを剥ぎ取り、今の状況に至る。
そう、これはトキメキというより、何がどうしてこうなったんだという動揺からくるドキドキだ。
「きみが女王様的なやつが好きなら何も問題はないんだよ。僕はきみの奴隷になるだけだし、文字通り愛の鞭にも耐えられる自信がちょっとはある」
「ほら、トキメキじゃない」
「うん、きみが僕の首元を掴んで『床に座りなさい』と言った時点でだいぶドキドキしたよ、そういうことかなって思ったよ。だけど肝心のきみが『ご主人様』って言っちゃったらさ、設定的な上下関係がわからなくないかな?」
「え、年下攻めがお好みでないと? チャラい先輩とちょっと生意気な後輩とか、生真面目な先生を全力で困らせたい嫉妬深い生徒とか、どちらかというと下の立場の子が頑張るお話だって世の中いっぱいあるでしょ?」
「あ、単純に僕の解釈違いだったんだね、ごめんね」
「大丈夫、人間はわかりあえる、だからご主人様は跪いて」
「ある意味ではもう跪いているんだよなあ」
どちらかといえばきみはおとなしいタイプで、誘うのはいつも僕の方からで。このシチュエーションだって、きみが頑張って考えてくれたんだろう。積極的にこういうことをするタイプじゃない。僕の手を縛るネクタイは正直緩くて、力を込めて少し振るだけで解けてしまいそうだ。
だけどせっかくここまでしてくれたんだ、僕は僕にできるフォローをしないと。
「めいこ、僕は膝が痛いんだ、許してくれないかな」
「……だ、だめ。いつもご主人様にこき使われてるから、今日は私がお灸を据えてやる……んです」
「へえ、お手柔らかに」
手が(緩いけど)縛られているので、正座から立ち上がろうとするとうまくバランスがとれず、すかさず彼女の手が僕の体を支える。彼女の先導でベッドに腰をかけると、彼女は向かい合う形で僕の膝の上に座った。
「それで、どうすれば許してくれるのかな」
「……言わなくてもわかりますよね」
「言葉で言わなきゃわからないよ?」
「う、うるさいっ」
耳まで赤いきみが、照れ隠しのように唇を押し付けてくる。ああ、最初からきみは、キスが下手くそだったっけ。こうしていると、付き合ったばかりの頃を思い出すなあ。
僕には今きみを抱き返すための腕が使えないから、一生懸命なきみの体を支えることはできず、そのままベッドに倒れ込む。
「今日は私だけを見てて」
「当然。僕は、きみに溺れるために生まれてきたんだよ ――正確には、きみだけにね」
「へ、平然とそういうこと、よく言えるわね」
「めいこ、きみの言葉を借りるなら、年下攻めの設定はどこに行ったの?」
「だめ、むり、はずかしい」
「しょうがないなあ」
少し体を起こして身をよじれば、するりとネクタイからは抜け出せる。これからすることを考えれば窮屈なジャケットを脱ぎ捨てて、彼女の耳元で囁いた。
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Kurosawa Satsuki
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