18



「いつも熱心ですね」

日の暮れた時刻に訪ねてきたセディン・アノールは、テーブルの上の資料と、顔を突き合わせて話し込んでいるレティシアとアルタイルを、ほほえましそうに見やる。

「こちらこそ、いつも資料を提供していただいて、助かります。外、冷えましたよね」

 レティシアがセディンに熱いお茶をすすめた。寒さで鼻の頭を赤くしていたセディンは、幸せそうに、熱いお茶をすすりこんだ。

「今日は、ちょっとおもしろいものを持ってきたんですよ」

 セディンの瞳がきらりと光る。
 丸めてきた大判の紙を、卓の上にゆっくりと広げていく。
「わぁ……! 」

 アルタイルとハーニィが、思わず乗り出した。
 木の質素なテーブルの上に、鮮やかな色彩の絵が広がった。

「役に立つかどうかは分からないけど、これ、六十年前の、湖の絵です」
「六十年前……!」

 レティシアが息をのんだ。

「これが、湖の全貌ですか……!」

その絵は、湖を鳥の視点で上から見下ろした図面である。

「すごいな、これは。初夏の景色か。水も緑も、光っている……きれいだな」

ルディは、湖から出現するといわれている。ルディが出始めた五十年前以前の資料は、なかなかお目にかかれない貴重な代物だった。
 セディンは、三人の好反応に気をよくしたように、にっこり笑って話し出す。

「ほら、湖の中央に、ひときわ大きな島があって、ここに建物があるでしょう? 
 これ、湖の神に感謝をささげるための神殿なんですよ。毎年秋になると、国を挙げて、湖に船を出して、それは壮大な祭りをしたようです。

 普段は入ることの出来ない神殿に入ることも出来たようですし、きれいな飾り船や灯篭流しが行われて、僕の祖母も、若いころは毎年楽しみにしていたと言っていました。

 ルディが出現してから、湖に出ることは危険として閉鎖され、神殿も廃止になってしまい、祭りも消えてしまいました。本当に、残念です」

 セディンが、やわらかな魔法の明かりの下で、思い出を味わうように微笑んだ。
 部屋を照らす魔法の明かりは、アルタイルが作ったものだ。アルタイルは、街の復興に使える、明かりや炎や、水を集める小さな魔法は得意である。

「僕が、ルディ対策課の役人を目指したのも、祖母の影響です。
 もう一度、湖の壮麗な祭りを、この目で見たいと思ったんです。
 僕が、一生懸命がんばって、アルタイルさんやレティシアさんたち、ゼルの方々を応援したら、いつしか、ルディのいない湖が帰ってくるんじゃないかと、思ったんです」

 ゆれるやわらかい明かりの下、セディンはお茶を飲みきった。
 そして再び口を開く。

「ルディの出現から、五十年たちました。それまで、湖では漁も行われていたし、運送業も、気候のことなる対岸の地域との交流も発達していたんです。この国の、この湖の、独自の文化があったのに、ルディの出現で、一切それが出来なくなってしまった。

 僕は、早く、ルディをなんとかしないといけないと思うんです。
 だって、もう、湖のその頃のことを、覚えている方は、お年寄りばかりでしょう?
 湖が平穏だった時代の昔話を知る世代も、どんどん時を重ねてきています。
 急がないと、湖の祭りは、もう二度と取り戻せなくなってしまう」

 いつになく熱く語るセディン。今度はレティシアが席を立ち、紅茶にブランデーを落として差し出した。

「あ、ありがとうございます。……なんだか、恥ずかしいな。久しぶりに、子供のころの憧れを語ってしまいました。僕も、もう、いい大人だというのに」

 われに返ったように、照れ笑いをするセディンは、二十代の半ばを過ぎた歳だ。

「僕に祭りのことを語ってくれた祖母に、もう一度、祭りをみせてあげたいですね」

 セディンは、重なっていた紙をめくった。下からあらわれたのは、暖色の色彩も鮮やかな、神殿の様子だった。

「ほら。この絵は、ルディ出現の一年前の神殿の祭の様子です」

 壮麗な祭りの飾りつけをされた神殿が、上空からみた屋根の様子、入り口、廊下、広間、大広間、大雑把な間取りが、これも上から屋根を透かしてみたように描かれていた。

「すごいな……この絵を描いた人は」
「実は、僕の祖母なんですよ。彼女の趣味が、絵を描くことなんです」

 へえっとレティシアとアルタイルが感心した。
 ハーニィが目を輝かせて絵に見入っている。

「僕の祖母は、神殿の祭りが好きでね、祭の時は、他の屋台には目もくれずに絵を描いていたんですって。おかしいですよね」

 セディンが笑う。

「絵を描くために、建物の勉強もいろいろしたそうなんですが、なんでも、神殿の建物は、歌って発動させる魔法の力を強めやすい形になっているという話でした。
きっと、きれいに歌声が響くという意味なんでしょうね。公式な文書では、この年代の神殿の地図は、極秘になっているようです」

 レティシアとアルタイルは、セディンの祖母の描いた神殿の絵の美しい色彩に、しばらく見入っていた。セディンが、そんな二人の様子をみて、ふわりと和んだように笑う。

「ルディ出現以後の湖の資料は、悲惨で暗いものばかりで、つらいでしょう。役に立つかはわかりませんが、なにか、こう、明るい祭の雰囲気で、お二人にも、息抜きがてらに、楽しんでいただけたらな、と思いまして」

 レティシアが、ふと、あることに気がついた。

「あれ?この間取り……うちと似ている」
「本当かよ! バーベナ家は剛毅な家だな! この国の神殿の間取りと似ているって?」

アルタイルは大いに笑ったが、レティシアは食い入るように図面をめくる。

「この廊下とか、中央の大広間の割合とか……うちは小さい小屋だったけど、そっくりだよ!品種改良の実験は、この、大広間でやってた。土間ってところも、似ている」

ああ、と、セディンは、ぽんと手を叩いた。

「レティシアさんの家は、魔法で果物の品種改良をしていたのですよね。それなら、魔法の力を集めやすい形にしてあったのでしょう。神殿の形と同じなのも、頷けますね。 神殿の島は、命の生まれる場所という伝説がありますから、そのあたりも、似ているかも知れませんね」

 セディンが、場を和ませるようにレティシアにうなずいたが、レティシアは、なおも図面から目をあげなかった。

「こう、大広間を、三つの部屋が囲んでいるでしょう。民家のつくりとしては、私の家は変わった造りだな、と思っていたんです。
 神殿の、火の間という部屋は、台所だった。風の間は、玄関と、寝室。水の間は、作業場と、試料の保存庫だった。
 そして、命を生み出す大地の間は、家で言うと、この大広間なんです。そこは、品種改良の実験所だった……」

 ごくり、と、セディンが息を飲む音がした。

「品種改良。命を生み出す場所、ですか」
「ええ」

 レティシアの呟きが、ゆれる魔法の明かりに溶ける。

「神殿のある湖の島は、ルディの生まれる場所とも言われている。命の生まれる、そして新しい命を生み出す神殿の機能と、みごとな一致だな? セディン?」

 問い返したアルタイルに、セディンはうなずいた。

「過去の神殿の資料は、ルディ課の中でも極秘とされているものです。
国は、湖を閉鎖した。そして、ルディ事件は続いたままだ」

 しばらく、誰も、何も言えなかった。

「春と秋、目先に襲ってくるルディには、民間で対処させているでしょう? 専門学校まで建てて、援助までして、ルディ退治を奨励させる。
 
 レティシアさん。アルタイルさん。……僕が、ルディ対策課の役人として、知っていることをお話しましょうか」

「いいのか。セディン。極秘では、ないのか」
 
セディンはうなずいた。

「復興を手伝ってくださった、優秀なゼルのかたに、情報を提供するのも、この村のルディ課の役割ですから。」


 レティシアとアルタイル、そして、ハーニィまでもがうなずくのを確認したのち、セディンはひとつ、息を吸って、語りだした。

「太古の昔、神殿は、湖の自然に感謝し、その恵みを願う場所でした。
命が湖から生まれると言う伝説も、湖からさまざまな恵みを受けてきたこの国ならではの、当然の信仰だったことでしょう……

 時代が進むにしたがって、神殿は、伝説の場所というよりも、より実用的な意味合いを帯びました。水が心置きなく使えて、人里からも遠い、中央に浮かんだ島では、高度な魔法の開発に、とても便利だったのです。
 農作物の品種改良を筆頭に、人々の暮らしをよくするための魔法が研究されていました」

失敗をしても、人里に影響が出にくい。それが、島の神殿で、魔法の研究がさかんになった理由でもある。

「研究者たちは、神官と呼ばれ、手厚い保障を受けていました。そして、生み出された生命の恵みと技術は、確実に、湖を取り巻くこの国を潤していきました。ところが」

セディンが、レティシアに目を合わせた。部屋の明かりが、ゆらめいた。

「その神殿に、五十年前、不祥事が起きました。
魔法の大きな失敗、そして、暴走。国は、ついに対処できず、湖は前面封鎖となりました。
 ……その失敗の影響は今でも続いています。ルディという、怪物が生まれつづけ、湖の恵みのかわりに、湖に接する村や町を襲いつづけています」

 まるで、湖から受けてきた生命の恩恵が、裏返しになったように。

「国は、この不祥事に対処するため、特別な制度を作りました。
 それが、ルディ退治の専門職、ゼルという職業です。子供がこの職業を目指しやすいように、養成所と、すでに活躍しているルディ退治人、ゼルとパーティを組む、サリの制度を作りました。

 そうして、民間に対しては、ルディが起こす目先の被害に、皆の目を向けさせました。

 子供の正義感をあおり、大人の義務感や復讐心をあおり、襲ってくるルディだけに目を向けさせている。その間に、問題の核心を握っている国は、その不祥事を裏でどうにか処理をしようと、動いている。しかし、力が及ばず、五十年間失敗続きだ。……これが、この国の、ルディ対策の、正体でしょうね」

レティシアも、アルタイルも、何も言えなかった。
 自分たちの職業の正体が、まるで塗料をはがされたように、むき出しの形でセディンの口から語られる。

「あはは。この話も、神話の続きみたいですよね。
実は、この話は、ルディ課すべての役人が知っているわけではないんですよ。

 ……僕の祖父がね、若い頃、神殿で、神官として働いていたんです。
 祖母は、祭で神官の祖父と知り合い、むすばれたというわけです。

 元神官の祖父と神殿に憧れた祖母の二人が、昔、僕に語ってくれた伝説と、僕が役人として知り得た情報、そして、品種改良をしていたというレティシアさんのお家の話を合わせて、今の考えに至りました」

「ということは、この流れを知る人間は、ルディ対策課の中でもセディンだけか」

 セディンは答えなかった。やがて彼が口を開くと、声が、震えた。

「まったく……これが運命というものなんでしょうかね。
まさか、こんな辺境の村の小役人である僕などが、こんな形で真実らしきものに思い当たるなんて、思いもよらなかったです」

 アルタイルが、セディンの受けた衝撃の大きさを思いやるように、セディンを見やった。そして、静かに口を開いた。

「神殿は、魔法の研究のほかにも、三つの種族の入り混じって暮らす、この国を支える要だったと習った。

 魔法の開発は、それぞれ得意とする分野のちがう、三つの種族が協力して行ったと聞いている。

 神官たちは、種族の間の外交官の役割もかねていたそうだな」

 レティシアが、目を細め、つぶやいた。

「神殿と、そこに勤める神官たちは、三つの種族がひとつの島から生まれ、ひとつの国に協力して生きる、象徴だったそうですね」

 確認するようにセディンに話を向けると、セディンは、その通りです、と、頷いた。

「だから、この国は、神殿で起きた不祥事を必死に隠そうとしたんですね。この国が、国として成り立ってゆくために

……五十年も」

 セディンが、この国を信じて働く小さな村の役人が、言葉を、落としてゆく。
 レティシアとアルタイルは、押し黙り、動けないでいた。

「三つの種族がひとつの国で暮らすために……」

 行き場のない憤りとやりきれなさが、その場に満ちた。

セディンが、やがて静かに口を開いた。

「レティシアさん……アルタイルさん。私の、お願いを、聞いていただけませんか」

 レティシアとアルタイルが、たった今受けた驚きから立ち直れずに、セディンを見た。

「私の……いや、公用の言い方はよしましょう。僕の、僕の夢を、叶えてください」
「セディンさんの、夢、ですか?」

 レティシアが、不安そうに聞き返した。

「あの、お力になりたいのは山々なのですが……」

 セディンには、村での住まいや仕事を融通してもらっている。たとえどんな理不尽な願いでも、恩のある相手の願いは断りにくい。レティシアの不安を、アルタイルが代弁した。

「今の俺たちに出来ることしか、出来ないぜ。それでもいいか」

 セディンは、はっきりと、うなずいた。その真剣なまなざしに、レティシアの喉が緊張でごくりと鳴る。

 セディンが、口を開いた。言葉が、密度を持って紡がれた。




「ルディのいない、平穏な国に、この湖の国を、戻してください」



 セディンが、静かに、年下の二人に向かって頭を下げた。





続く!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【オリジナル】夢と勇気、憧れ、希望 ~湖のほとりの物語~ 18

オリジナルの18です。

最初のページ
【オリジナル】夢と勇気、憧れ、希望 ~湖のほとりの物語~ 1
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↓ボカロ話への脱出口

☆「ココロ・キセキ」の二次小説
ココロ・キセキ ―ある孤独な科学者の話― 全9回
http://piapro.jp/content/6f4rk3t8o50e936v

☆夢みることりを挿入歌に使ってファンタジー小説を書いてみた 全5回
http://piapro.jp/content/ix5n1whrkvpqg8qz

閲覧数:49

投稿日:2010/02/27 16:21:51

文字数:5,611文字

カテゴリ:小説

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