49.イグニッション(点火)
「パンを寄こせ!」
「パーンをよーっこせ!」
群衆の叫びに節が乗り、さらに声が大きく広がっていく。
「……ふふ」
王宮広場に続く回廊を歩きながら、リンは薄く微笑んでいた。
「……こんなに困窮するまで、あたしたち王や諸侯に頼りきりだったくせに」
ドレスをひるがえして進むリンの後ろを、召使たちが完成させた、例の垂れ幕を持った諸侯たちがついてくる。
まったく、バルコニーまで召使が持てばよいのにという文句も聞こえてくるが、リンが召使は下がれと命令したのである。
数字を描いた布と円の絵を描いた布、それぞれ五人がかりで抱えて歩く諸侯らの足は遅い。
「先に行くわよ」
リンが足を速めた。
広場が近づくにつれて、リンの耳に届く人々の声が大きくなってくる。
その大きさが、今回集まった人間がどれほど多いかを物語る。聞こえてくる言葉は、はっきりと女王を非難する言葉であるのに、リンの口は、実に嬉しそうに笑っていた。
「……パンを寄こせ、か」
リンの頬が、薔薇色に輝いた。
「いつもいつも人任せで、黄の民はなんて愚かなのだろうと思っていたら……やっとものが言えるようになったのね」
回廊の出口が見えてきた。そこは、王宮広場に面した城壁につくられた、三階ほどの高さのバルコニーである。
王宮広場にあつまる人々の表情がはっきりと見える場所であり、逆に、相手からもバルコニーの人物の表情がはっきりと見える場所である。
「ふふ」
リンは微笑んだ。朝十時の鐘が高らかに鳴り響いた。
そしてつややかに微笑んだまま、女王リンは群衆の待ち受けるバルコニーに姿を現した。
* *
「……来た。」
王宮広場のバルコニーのちょうど真下、一番城壁に近い場所にメイコはいた。
「……リン」
教会の鐘とともにあらわれ、涼しい午前の風と白い太陽の中、傲然と顔を上げて微笑む姿は、メイコが去った日から数倍も美しくなったように感じられた。
リンが姿を現した瞬間、王宮広場の熱気が沸騰した。
あっという間にどこから出たかと思うほどの先ほどの数倍の大合唱となった。
正直、メイコは驚いていた。メイコが王都の小さな宿屋で演説をぶつけてからたった十日で、これだけの人が集まったことに。
王宮広場は、広い。そこに、まるでひしめき合うように人が詰めかけている。馬や荷馬車が隅に停めてあるのは、おそらく遠方から来た者たちの物だろう。
あの夜、メイコが人を集めろと金貨を渡したのは、着用していた兵装から、地方のにわか兵士だと解っていた。そのまま逃げてしまってもおかしくなかったのに、彼らは戻ってきた。それも、それぞれの地方の仲間を引き連れて。
「俺はシャグナ領のもんだ」
「おれはホルスト様の土地のもんだ」
「ユドルよりもひとつだけ王都寄りの町だ。これまた街道沿いの生まれだがな、あんたの故郷のユドルには縁がある」
そういった男たちは、かつて戦った仲間をつれて、この秋の月の第一の日に、王都に戻ってきたのである。
「あら、持ち逃げしなかったのね?」
メイコがうそぶくと、男たちはきまりの悪そうな表情で笑った。
「持ち逃げしても、あんな地方じゃ金貨はつかえん。あんたのいうとおりだ」
それにな、と男たちは言った。
「金貨を抱えて飢えて死ぬより、金貨を託して俺たちを信じた、あんたの商売に乗ってやろうとも思ったのさ」
商売、とメイコは目を丸くした。
「そうだ。この俺の人生で、俺自身が金貨で買われる日がくるとは思っちゃいなかった」
「まあ、そう悪い気分でもないものさ」
メイコは、かつて商売をしていろいろな国を回っていた父の言葉を思い出した。
まずは自分の力を示す。そして、相手に、自分の信頼を預ける態度を取る。強い相手に信頼されたと思ったら、人は良い働きをしてくれるものさ。
「……そうか。これも、商売か」
とたんに、頭上の空がはっきりと見えた気がした。
「……ここから先は、成功報酬よ。報酬は、王宮に消えたパン。……では、金貨一つ分の働き、頼むわよ!」
「了解! メイコ姐さん!」
男たちが敬礼した。ああそうかとメイコはうなずく。
「この人たちは、緑の国への侵攻で、にわか兵士として組織戦を経験している……」
それも、部隊は出身地域ごとに編成されていたと聞く。少ない時間で効率よく連携を強めるためだ。
「それに、緑の国から生きるための物資を取る戦いだもの、みな、必死で戦い方を覚えたと聞くわ……」
そして、たった一日で緑の国に勝った。
メイコは、鳥肌が止まらなかった。
「これは、もしかして、もしかしたら……」
本当に、この国がひっくり返るかもしれない。
「メイコ、寒いの?」
傍らのルカが心配そうに聞いてきたが、メイコは奥歯を噛みしめた表情のままで、首を振った。
メイコが種をまき、それが風に乗ってどんどん広がり、乾燥した空気に野火が広がるように今、たくさんの人々が王宮広場を埋め尽くしていた。
「パンを寄こせ!」
「パンを寄こせ!」
そこに、リンが現れた。そしてすっと右手を上げた。
追いついてきた諸侯たちが、息を切らしながらリンの前に進み出て、バルコニーの外に垂れ幕を垂らした。
そこには、数字が書いてあった。
1と11.
ふたつめの垂れ幕には、切り分けられたケーキのように、12ピースに分かれた円。ひとつだけ、ピースが欠けている。
群衆がどよめき、リンを見上げる。
瞬間静まった空気を切り裂いて、リンの声が凛と響いた。
「あなたたち、パンをよこせと言ったわね?」
群衆が静かに続きを待ち受ける。
「この数字が何か、わかるかしら?」
返事は、ない。
「これは、王宮に入ってくる収入よ。わたくしが、一。あなたがたが、十一。」
ひっと諸侯のひとりが青ざめてリンを振り向いた。
「このケーキがわかるかしら? わたくしの分は、これだけ。あなたがたは、こんなに」
群衆の中で、目に見えない熱が明らかに膨れ上がったのをリンは感じた。
「このケーキの一切れで、わたくしは他の国と戦い、街や道を補修し、河川をなだめて井戸を掘っている」
群衆の一部がざわめきだした。
「のこりは、みんなあなたたちの元にあるはずなのに、いったい、何を言っているの?」
ここで群衆のすべてが静まった。納得したわけではない。あまりの怒りのためにだ。
リンは王が報告を受けた税率だけを示した。諸侯たちが上げた税率は、その中にはふくまれていない。
「小麦も卵も牛も、みんな、この黄の国の特産だわ。なら」
リンがドレスの胸にさした扇を取り上げ、ふぁさりと開いた。
「パンが無いのなら、ブリオッシュを作ってお食べなさいな?」
この瞬間、群衆が爆発した。
「何を言っている!」
「バニヤから小麦をすべて持ち出したくせに!」
「シャグナの税率は半々だったぞ! 知らないとは言わせないぞ女王のくせに!」
「地域の金を返せ!」
「俺たちの物を返せ!」
垂れ幕に向かって人が押し寄せた。たちまち何人かがとびつきその布を引っ張った。手を放し損ねた諸侯の数人が巻き込まれてバルコニーの向こう側へ落ち、人の海にのまれていく。
運よく手を離すことが出来た諸侯はあっという間に元来た回廊を駆け去っていく。
リンはそのままバルコニーに立ち続けた。やがて石や物が飛んできたが、バルコニーには届かない。
そのまま、その視線は誰かを探すように広場を見渡していた。
しばらく騒ぎが続いたのち、群衆の叫びの谷間から、ひとりの女が、誰かが牽いてきた馬の鞍の上に立ち上がった。
「……メイコ……」
リンの唇がつぶやく前に、群衆から体ひとつ抜きん出たメイコの怒声があたりを打ちすえた。
「馬鹿野郎!」
その瞬間、群衆の非難の叫びは、メイコへの賞賛に変わった。
メイコがリンを指さし睨む。リンは高見から静かに微笑む。
誰かが叫んだメイコの名が、あっという間に広場中に広まった。
「メイコ! メイコ!」
「メイコ! メイコ!」
黄の国の辺境、紅き砂のユドルの生まれ。異国の響きを持つ名が、黄の王宮広場にこだまする。
メイコは、それ以上何も言わず、馬の鞍に座りなおすと、ゆっくり馬首を回してリンに背を向けた。大歓声がメイコのための道を開け、そのあとを、ビーズを押し出すように人がついていく。あっという間に、すべての人がリンに背を向けていた。
「……」
風に押されるように、リンの足が一歩、メイコを追うように動いた。
「メイコ……」
眼下には、召使たちに作らせた布にからまり、ゴミのように倒れている数人の諸侯たちがあった。
「リン様!」
レンと数名の召使が駆けてくる。広場に落ちた数名を保護するように命令したあと、リンは静かになった王宮広場に背を向けた。
つづく!
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だから、負けたらもうおしまい。
それ...イカサマ⇔カジノ【自己解釈】
ゆるりー
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ご意見・ご感想
零奈@受験生につき更新低下・・・
ご意見・ご感想
私の言いたい事をよくぞ言ってくださいました!
民衆が受動的すぎたのもこの悲劇に一役買ってる気がしますw
私が書いてる「ポーシュリカの罪人」でも、リンレンが「悪」になった一因に民衆を絡ませてます。
何気に民衆達も傲慢だと思うのですが、どうでしょう・・・?
あ、あと、これには関係ありませんが「黄昏神輿」の曲できました。1番だけですが。
レンアペンド公式デモソング応募曲なので応援してあげてください(あつかましいですね!)w
→http://piapro.jp/content/zk1hk9pf6qze9p7l
2011/01/30 08:11:39
wanita
>零奈さま
携帯から返信したら「個人あて」に行ってしまったようなので、せっかくですからこちらのページでもメッセージを書かせていただきます☆
「ポーシュリカの罪人」もじわじわと楽しみに読み進めています。悪ノシリーズを書き始め、他の方のいろんな小説を読んで思うのは……もう、傲慢でもいいじゃないかと、ふっきれそうになりまました。
人の数だけ心と思いがあるのなら、それぞれの傲慢(と言う名の強い思い)がぶつかって折衝した結果が、その世界やその社会の未来になる、それでいいじゃないかと。
だれかは自分の子供が大事だと叫び、だれかは生活が大事だと叫び、また他の人はもっと大きなことが大事だと叫び、そうしてベクトルがぶつけ合える世界が「人生に後悔しない権利」というものを持つ、ある意味幸せな世界なのかと思います。
つくづく、「もののいえる世界」である場所と時代に生まれたことを、感謝したいです☆あ?黄の国に生まれなくてよかった!なんてッ!マジレスでした♪
あ、黄昏神輿、予想外でした!今後も楽しみにしています!
2011/02/06 16:09:56