庭に咲く椿を愛しそうに眺める彼女の後ろ姿を、ただただ見つめていた。しんしんと雪が降り積もるなか、その白の世界に赤い椿はよく映えた。
雪は当然、僕や彼女にも舞い降りて、一瞬の後に溶けては消える。そしてその冷たさだけが肌に残った。彼女の服は肩が出ているからより多くの雪に触れる。見ているこちらのほうが寒くなるけれど、椿から目を離そうとしない彼女に何と声をかければ良いのかわからず、僕は動けなかった。
「カイト」
呼ばれて、僕は彼女の元へ数歩近付く。雪を踏み締めると跡がついて、それが少しだけ面白かった。ここにあの元気な双子がいたなら、走り回って沢山の足跡をつけるだろう。はしゃぐ姿が目に浮かぶ。
僕がどうしたの、と聞くと彼女は振り返り、淡く笑った。ふわりと微笑んだ彼女は普段の酒豪っぷりからは考えられないくらい女性らしく見えて、思わず見とれてしまうほど。彼女はメイコ。僕とおなじVOCALOID1シリーズの日本語製最初のボーカロイド。
「椿って綺麗ね」
彼女は両手の上に一輪椿をのせ、僕に見せた。彼女の栗色の髪が肩でさらりと流れる。僕からすれば、椿よりも彼女のほうが綺麗に思えて、なかなか彼女から椿に視線を移せなかった。しかし、いつまでもそうしている訳にもいかず、…それに、ずっと見つめていると変態だ何だと言われかねない。それは勘弁してもらいたい。
椿をよくよく見れば、それは枯れるでも散るでもなく、椿としての形を残したまま彼女の手に在った。木についたままのほかの椿と変わらない。けれど、木から離れてしまったこの椿は、死んでしまったのだろう。この椿はもう栄養も水分も得ることなく、ただ枯れるだけの一途を辿るのだろう。
「取っちゃダメだよ」
椿の花を。椿の命を。
今は枯れていなくても、萎れていなくても、もうこの椿は命を落とした。
すると彼女は頬を膨ませて、取っていないわ、と呟く。僕を上目遣いに睨み、非難の視線を浴びせてみせた。そして、もぅと拗ねたように言い、僕に背中を向けてまた椿を見る。
怒らせたかな、と少し心配したけれど次の瞬間には彼女がいつものように話し出したので、僕はほうと安堵の息をつく。
「椿の終わりはこんなものなのよ」
彼女は一つの椿を指差す。その椿は、他のものより少し大きく、花弁を大きく広げ、自らの存在を強調しているようだった。頭を垂れるかのように下を向くそれは見るからに重そうだ。
それが仇となったのか。数秒の時間が流れた後に、その椿は木から消えた。下を見れば、咲いたままの椿が、先程彼女が手にしていたものと同じような椿が、雪の上に落ちていた。
ほらね、と言いながら僕を見た彼女の顔は、笑顔であることに変わりなかったが、眉根は下がり、彼女の心情を僕に伝えてくれた。心を完璧に読むことはできないけれど、今の彼女の心に名前をつけるとすれば、それは。
「ねぇ、カイト」
彼女は手に持っていた椿を、つい今し方落ちた椿の隣に置く。
2つの椿。2つの死。それが今、彼女と僕の目の前に在る。それは少し物悲しくて。けれど死んでも咲いている椿はきっと誇らしく思っているだろう。椿に心があればの話だが。
「私、椿が好きだわ」
それはまた、何故。
椿は綺麗だ。僕も椿を嫌いはしない。けれど、彼女は雪がずっと降る中で椿を見ていて、それを不思議にも思った。しかも彼女は毎日椿を見ているわけではない。僕と彼女は、割りと長い付き合いだけれど、今日、この時が初めてだ。僕がいないときに見ていたとも考えられるが、少なくとも僕はこんな彼女を今までに見たことはない。
「そんなに好きだったっけ、椿」
えぇ、と短く答えた彼女は、僕が訊くより早く、理由を話した。真っ直ぐに前を見て、はっきりとした口調で。
「憧れるのよ。こんな死に方に」
風が、鳴いた。耳に痛い高い音をたてながら、周りのものを舞い上げる。
僕のマフラーが靡き、彼女は身体を震わせた。僕は慌ててマフラーとコートを脱ぎ、彼女に羽織らせる。もっと早くにこうすれば良かった。
風のせいか、また椿がふわりと落ちた。白の上に、また赤が一つ。
「めーちゃん。死に方なんて、縁起のないこと言わないでよ」
からかいを込めて言ったつもりだったのに、僕の笑いは酷くかわいていた。彼女が滅多に冗談を言わないことくらい知っている。冗談を言うにしてもこんな話題は選ばない。選んではいけないことを、機械と言えど僕達は十分に理解している。つまりは、彼女が椿の死に方に憧れる、と言ったことは冗談でも嘘でもなく、本心であると、そういうことだ。
そこまで考えて、焦った。メイコは何をするつもりなのだろう。まさか憧れると言った椿と同じように、死ぬつもりだろうか。いや、そんなはずはない。理由がない。自分を落ち着かせようと必死に言い聞かせ、それでも嫌な汗が背中を伝った。プログラムに異常でも出たのか、冬なのに暑いとさえ思ってしまう。
「死んだら、許さないからね。怒るよ」
許さないって何よとか、あんたが怒ったってちっとも怖くないわとか。そんな言葉を期待していた。けれど彼女は何も言わなかった。絶対に何かしらの言葉が返ってくると思っていたのに。
時間だけが雪が積もるようにゆっくりと、けれども着実に流れる中。ようやく彼女は音を発した。
「許さなくて、いいわ」
僕は、自らの血の気がひく音を聞いた。ボーカロイドの僕達に血なんて流れていないけれど、きっとこんな感じなんだろう。
人間はきっとこういう時に「目の前が真っ暗になった」と言うんだ。勿論モニターには鮮明に世界が映っている。彼女の姿も、はっきりと。ただ、彼女が舌に乗せた一言で絶望の淵に立たされた気がした。そんな言葉は、欲しくない。そんな言葉は、望んでいない。
「死にたいの? めーちゃんは」
僕の声は、先ほどよりもずっと落ち着いていた。もっと震えた声になるかと思った。僕の心には冷静さの欠片もなくて、言葉にならない願いがたまるばかりだったから。いや、こう分析できているあたり、少しは冷静でいられているのかもしれない。
否定してほしい。先と同じように、頬を膨ませて、僕を睨んで。そして違うと、死にたくないと言ってほしい。
「そうね」
ソウネ、その言葉はたった3つの音。そのたった3つの音が、痛かった。鋭い刃物で何処かを貫かれたのかと錯覚するほど。
物理的には何処も怪我なんてしていないのに、痛い。肯定を意味するその言葉が、痛い。何故。何故彼女は否定してくれないのか。
「何だかもう、疲れちゃったわ」
彼女は空を見上げる。僕もつられて見上げれば、真っ黒な雲に覆われていた。日の差し込む隙間なんてないくらいに。
この空が、僕達を表しているように思えた。神様が、もう太陽を、希望を、与えはしないと言っているようだ。
疲れたなんて、何が彼女を追い詰めたのだろうか。何が、誰が。
「もっと、唄いたかった」
過去を振り返る彼女は、もうこの先にある未来を見ていないのか。
唄いたいのなら唄えばいい。死んでしまったらもう、唄えない。そう伝えたいのに声が出ない。こんな話をしながら、それでも笑う彼女を前に、喉まで来た言葉が戻ってしまう。
「さいごに、一緒に唄ってくれる? カイト」
メイコはしゃがんでいた状態から立ち上がると、僕と向かい合うようにして立った。
断る理由はなかった。さいごに、という言葉にまた胸の痛みを覚えたけれど、唄うことは好きだ。それに彼女と一緒に唄えるのならば、それほど幸せなことはない。一つ頷くと僕と彼女は大きく息を吸い、唄い出した。曲目は聞かなくても何となくわかっていた。僕と彼女の初めてのデュエット曲。彼女のメロディと僕のメロディが和音となって響く。
雪は相変わらず止むことを知らず、空も黒に覆われたままだった。その黒が太陽の、希望の邪魔をするのなら、僕はそれを打ち払おう。声を伸びやかに天まで響かせて。彼女の心の黒をも拭い去れたなら。生きていて欲しい。彼女を愛しているものがいることを忘れないでほしい。この歌がずっと終わらなければいい。何て儚い望みだろう。その儚さは花の命のようだ。
彼女は途中で唄うことをやめてしまった。今にも泣きそうな顔で笑う彼女は、震える声で俺に話した。いつまでも笑顔を崩さないその表情が、僕の心に突き刺さる。
「マスターね、私をアンインストールするんだって。容量が足りなくて」
これが、彼女が死を望む理由か。
アンインストール。それは僕達の最期。何もかもをなくし消えていくだけの終わり。体験したことはないが実際に感じるらしい、自分が消えるその瞬間を。
ボーカロイドの「死」には2つある。一つはそのアンインストール。もう一つはプログラムの不具合などによる故障。果たしてどちらがまだマシだろう。死ぬことにマシも何もないかもしれないが。
「アンインストールされて、全部消えちゃうくらいなら」
一度言葉を切った彼女の涙の雫を、見た。僕は、その言葉の続きを酷く恐れた。聞かなくても、察しがついていたから。声も出せずに立ち尽くしていた。
時間の流れというものを、恨んだ。
「椿みたいに、枯れずに、生きたまま。死にた…」
そこまで言って、彼女の言葉は途切れた。世界の時間が止まったみたいに、彼女が倒れる姿がゆっくりと、はっきりと見えた。雪の上に彼女の色が。彼女の赤が。
雪の上に椿が落ちた。
「めーちゃん」
目を閉じた彼女は応えない。彼女に手が届くようにしゃがんで髪を撫でる。栗色の髪は柔らかく、それが指を滑る感触を気持ち良いと思った。そういえば今まで彼女の頭を撫でたことも、彼女の身体を抱き締めたことも、自分の想いを伝えたこともなかったのだと、唐突に思い出した。
彼女が何も喋らない代わりに聞こえたのは、無機質な機械の声。「MEIKO、システムエラー」こんなのは、彼女の声じゃない。彼女の声はもっと力強くて、はっきりとのびて、それでいて優しい。あの声でもう一度僕を呼んで欲しい。
「めー、ちゃん」
目を閉じた彼女は、応えない。さっきまでそこにいたのに、もう声が届かない。返事もない。横たわる彼女の髪を雪が濡らす。僕は嗚咽と涙を堪えるのに必死で、彼女の名前を呼ぶ以外に、何もできなかった。
この気持ちを、僕はどう処理すればいいんだ。悲しさと、悔しさと、怒りと、言葉では表わせないようなドロドロとした感情たち。いっそ誰に向けているのかすらもわからないこの気持ちを、どうすれば。
ぐちゃぐちゃに混ざった感情に任せて、僕は椿の花をむしり取る。椿にしてみれば理不尽な行動だろうと心の片隅で思いながら、しかし、衝動に全てを任せた。乱暴に握れば、紙を破くより容易く花弁はひらひらと舞い、雪と共に地に落ちる。
大嫌いだ。大っ嫌いだ。椿も、彼女も、マスターも、自分も。
僕がいなければ、彼女の分の容量は、居場所は、存在し続けていたのだろうか。彼女はまだ唄って、笑っていたのだろうか。生きていたのだろうか。いくら考えても、どうしようもないことだと知っている。全部、今更だ。
「…許さないよ」
何を、と尋ねられても答えようはなかった。世界中の全てが、許せない。空一面の黒い雲、ちらちらと舞う雪、死した赤い椿達。
ああ、違う。許せないのではない。彼女は許さなくても良いと言ったけれど、許さないと言えば、彼女が起きて僕を怒ってくれる気がしたのだ。
頬を水が濡らす。きっと雪が落ちたのだろう。そうだ、これは雪だ。涙なんかじゃない。涙なんかじゃ。
「…っ、ああぁあ―――っ!!」
自分の叫びと、情けない泣き声と、止まらない嗚咽と、聞こえる音はそれだけ。そして見えるのは沢山の椿と、その中でただ一つ、僕が愛していた椿。
僕は椿を許さない。僕は椿が大嫌いだ。
そう、言ったなら。彼女は。
――僕は椿を愛してた。
椿のさいごについて
こんばんは、ミプレルです。カイメイ書きたい!と思って書いた初のカイメイがこれって…orz 世界中のカイメイファンの皆様に謝りますすみません…!展開が無理矢理すぎると思う\(^0^)/ まずめーちゃんどうやって死んだし。めーちゃんの行動がわからん。いつかめーちゃん視点書きたい(いつかっていつだ。
死にネタ好きですね私。それにしても意味不m(自分で書いといて)解釈はおまかせしまs(逃げんな
赤い椿を見てめーちゃんの色だなぁ、と思って書いたものです。メイコさんはまだまだ現役だと思います、というか大好きです!そしてカイメイは大好物←
元々コラボに提出しようと思って始めましたが、疑問符と三点リーダとダッシュなしでは辛かったので…(力不足 結局はちょっと後から始めたのに先に出来上がった鏡音話のほうを提出しました。それもこれに負けず劣らず暗いです←
ちなみに椿の花言葉は『理想的な愛』『控えめの愛』『気取らない美しさ』などだそうです。本編と合いません!(泣
それでは、読んで頂いてありがとうございました! 感想、アドバイス、誤字脱字の指摘等、大歓迎です。
1月13日:最初に書いたものを投稿
1月20日:頂いたアドバイスをもとに修正
修正前は前のバージョンに一応残しています。
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ああ、音楽が流れてく!...ああ、音楽が
ニワノワニ
気が狂ってしまいそうな程に、僕らは君を愛し、君は僕らを愛した。
その全てはIMITATION,偽りだ。
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ご意見・ご感想
Hete
ご意見・ご感想
読ませていただきました。
めーちゃんが・・・・・・orz
カイトの狂い様から、めーちゃんへの愛がひしひしと伝わってきます・・・
自分もこんな作品が書けたらなぁ・・・
2010/01/18 22:24:58
ミプレル
>狂音戒様
こんばんは、ミプレルです。読んで頂きありがとうございます!感想も下さって、本当に嬉しいです。後味の悪いお話ですみません…orz
私は狂音戒様の書かれる物語、好きなのですが…。私に戦闘物は恐らく書けないので尊敬します…!は、拝見してはいるのですが、中々コメントを残せず申し訳ないです…。今はリンちゃんがとても気になります…!
何だか話がそれましたが、コメント本当にありがとうございました!またコラボでよろしくお願いいたします。
>めんつゆ様
こんばんは。コラボではお世話になっております、ミプレルです。コメントありがとうございました!丁寧なご感想とご指摘を頂けて本当に嬉しいです。
はぅ!!僕に統一していたつもりでしたのに…!ご指摘ありがとうございます。何と恥ずかしい…。自分で読み返せば防げるミスをしてしまうのが一番悔しいです…。
音読、次回から試してみたいと思います。表現の重複や誤字脱字を見つけやすそうですね。リズムを確認するにも良さそうです。教えて下さってありがとうございます…!
楽しんで頂けたのなら何よりです。後味の悪い話で申し訳ないのですが…ありがとうございました!
またコラボでもよろしくお願いいたします。
2010/01/20 22:30:35