国立博物館前の階段に座って、
わたくしは、メイコお姉様をお待ちしておりました。
それは花の季節で、咲き初めのバラや名も知らない花壇の花が、公園と人々に彩りを添えていました。
今は静かな大噴水や、大きな楠の並木の下を、楽しそうに行き交うのはみな人間で、
人目を惹きすぎる薄紅色の髪を、つば広の帽子の下に隠したわたくしは、このやわらかな日差しの下でどこか、心もとない気持ちでありました。
ルカにはほっそりした草花が似合うねと、わたくしにこの場所を教えてくれたマスターは仰いました。
その方は、女の子をエスコートするのが男の甲斐性だからと言って、いつも仕事の前にわたくしを、人間の女性なら喜びそうなあちこちへ、連れ出して下さるのです。
けれどもそれは本当でしょうか。わたくしには、人間の女性なら皆好むという、花の良さがわかりません。歌うアンドロイドであるわたくしには、この博物館の、飾り彫りのなされた古い石段や、海を渡って来たブロンズの彫刻や、あるいはあの塔の大きな時計のようなもの、それらのほうが、花よりも、よほど、優しく美しくそして親しく思えてならないのです。
午前中のお仕事上がりに来て下さったメイコお姉様を連れて、わたくしは、博物館の玄関をくぐりました。この博物館は、古い時代に作られた洋館を改造したもので、建築それ自体が、途方もない価値をもっています。
わたくしがチケットを切ってもらっている間、お姉様はサングラスを外して、ステンドグラスの輝く高い天井の、古風で美しい玄関ホールにみとれておられました。
ここは、わたくしの一等お気に入りの場所です。その場所を、私と同じように、お姉様にも気に入っていただけたなら、どんなにすばらしいことでしょう。
メイコお姉様は、ミニ丈のカーキ色のスプリングコートの背中で手を組んで、背伸びをするように、大ホールに渦巻く音の流れに聞き入っていらっしゃいました。わたくしは、お姉様のその後ろ姿を見ただけで、もう、うれしくなってしまいます。
「こんなところで歌えたら、どんなに素敵に声が響くかしら!」
お姉様の頭の中は、いつだって歌の事でいっぱいです。
微笑んでわたくしを振り返るメイコお姉様のわくわくした目の輝きに、わたくしも夢中で微笑み返して、お姉様の手を握りました。
「お姉様、ここは本当に素敵な場所なんです。どうぞこちらへ、ルカがご案内致します!」
それでわたくしたちは、手をつないで、展示室へと、ホールの吹き抜け階段を昇っていきました。まわりには、大理石の段と、足音を吸い込む異国のじゅうたん、掌に優しい彫刻材の手すり、ガラスと鋳物のランプ。
ここは、人間達に愛され、造られたモノたちの城です。
アンドロイドであるわたくしたちも、この中にいる間は、人目に付かぬよう呼吸を殺してすごす、異邦人ではありません!
わたくし巡音ルカは、とても長い時間を、研究所で過ごしました。
研究所は、初のバイリンガル音源となるわたくしにとても期待を寄せて下さっていて、
美しい容姿と、澄んでやわらかな声を誂えてくださり、
時間を掛けて、大事に丁寧に、教育と調整を繰り返しました。
その間に、わたくしたちのような歌う機械が、冷遇と敵意で迎えられた時代は過ぎて、
わたくしは先行型の兄姉機とは比べ物にならないほど恵まれた条件で、
静かに調整を重ねながら、リリースのサインを待っておりました。
開発局は期待と少しの揶揄を込めて、そんなわたくしを「姫」と呼びました。
けれども、
わたくしがそうして、何も知らずに静かな鳥かごの中に守られている間に、
世間では、歌うお姫様といえばそれは既に、
先行型のミクさんのことと認知されるようになっておりました。
わたくし以前にリリースされた兄姉機たちとのキャラクター付けも、
リリース順に年の並んだファミリーとして、
すっかり、受け入れられ完成しつつあると知りました。
世間の興味はすでに、わたくしに備えられようとしている新技術よりも、
便利なキャラクターとしての魅力へと、移りはじめていたのです。
そしてある日わたくしは、研究所の中の立ち話に、
”ルカは遅すぎた姉だ”と、嗤われているのを聞きました。
わたくしは、美しい声と容姿を持って造り出されました。
大容量のデータバンクと、外語圏の人々にも受け入れてもらえるよう、
女性らしいボディや、今までなかった高度な感情表現能力も備えられました。
わたくしの自慢であったそれらの高度な機能も、
世論が変わってしまっては、一体何になるでしょう?
わたくしはひとに造られたものです。ひとの道具です。
ひとに必要とされず愛されないのならば、
どんなに優れていたところで、いったい何の意味があるでしょう!
ふさぎこんだわたくしに、研究所は口出しをしませんでした。
わたくしに、いつものように学習の為の映像や資料を与えて、
それらの扱いはわたくしの自主性にまかせると、一人にされました。
わたくしは、生まれ育ったこの研究所にさえ見捨てられたのでしょうか。
その時のわたくしは、悲しくて自棄になっていて、
見捨てられこのまま廃棄されるなら、それでもいいとさえ思いました。
けれど。
わたくしは見つけたのです。
その山のような資料の中に、騒々しいほどに流される音楽群のなかに。
……酷い声でした。
かすれて、もつれ、ピッチも安定しない、お世辞にも上手とはいえないそれは、
わたくしとおなじ、ボーカロイドの歌声でした。
なんてひどい。
意地悪な気分だったわたくしは、その歌のデータに興味を引かれました。
その惨めなボーカロイドを、嗤おうと思ったのです。
データの中では、女性型のボーカロイドが歌っていました。
流行りの幼い少女型ではなく、成人の姿をしていました。
見覚えのある録音室で、調子はずれの歌を、
けれども嬉しくてたまらなそうに歌うそのひとを、
やさしい赤色の髪の、暖かい声のそのひとのことを、
……わたくしは、知っていました。
粘土、石盤、木彫、陶器、彫金、漆器に、繊維と、おそろしい武具の類…、
博物館には、人間の作り上げたありとあらゆるものの、原型がありました。
わたくしが、メイコお姉様の手を引きながらひとつひとつ説明して歩くと、お姉様はうんうんと頷いて、展示物を見たり、喋るわたくしを見たり、誰かが立てた音の反響に驚いて振り向いたり、お姉様らしいペースで、楽しんで下さっているようでした。
「ルカはすごいわねえ、さすがだわ。ほんとうに、なんでも、よく知っているわねえ」
古の技術の粋を極めた工芸品の前で、お姉様に褒められ頭をなでられて、わたくしは有頂天になります。
お姉様はもとより、歌のことの他には、何にもあまり興味を持たれない方です。
その方が、こうして、わたくしに特別の興味を持って、わたくしの個性を認めて下さる。
そんな時、わたくしの胸は、どうしようもなく、あたたかな気持ちでいっぱいになってしまうのでした。
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