爺さんが死んだ。
 俺は爺さんが死出の旅立ちを始める数時間前、図書館で暇に飽かせて、大型の宗教図版の本などを手にとってページを繰っていた。世界の宗教、古今東西の宇宙観、死生観が凝縮された宗教図版がその本には詰まっていた。竜が自分の尻尾を咥えている絵を見ていた時、親父がすごい勢いで俺をつかんで連れ去ってしまった。その間、俺も親父も一言も発していないにも関わらず、図書館内は騒然とした。図書館内に開きっぱなしにしてしまった本を気にしながら、図書館の前に横付された親父の車に俺は乗り込んだ。親父は、
「いよいよだ」
 と言った。急な言葉にぽかんとしてしまった。あぁそうかと俺は思った。日頃図書館になぞこない俺が、あげく宗教図版なぞ手にとった理由が、そこで思い出された。

 婆さんは俺が生まれる前に死んだという。その頃俺は母さんの体の中で、生体エネルギーの供給のその一切をうけながら、胚から体組織を作っている最中だったので、知りようもない。豪快さだけで生きながらえてきたと、親父と母さんが常に言うように、爺さんは細かいことに気を取られない性格をしていたが、そんな爺さんが婆さんの葬式の時や、それ以後の生活の中で、一点を見つめてボウッとすることがよくあったという。俺が生まれて、俺が爺さんに懐くようになって、そして今でもそうだが、爺さんのそんな様子を俺は見たことがない。だからこそ、ここ半年くらいの爺さんは俺の知る爺さんではなく、不思議な恐怖を感じた。
 いつだったか見舞いに行った時、爺さんが本を読んでいた。新聞を読む姿はよく見かけていたが、本を読むだなんて初めて見る光景なもんだから驚いた。その本を見せてもらったが、時折差し込まれる図版に、東方の三賢者や、キリストの磔刑図があってまた驚いた。
 さすがの爺さんも無神論者じゃない。ただ敬虔でなかっただけだ。礼拝日の前夜、ラジオに夢中で夜中まで起きていて、説教の時にたまらず居眠りをするような信仰心だ。その爺さんが宗教の本を読むなんて! その驚きを伝えると、随分と言うじゃないか、と、眉を下げて笑っていた。
 用を済ませて病室を出て、ちょっと時間を潰してから爺さんの病室をこっそり覗いた。爺さんは老眼鏡と虫眼鏡を使って、えっちらおっちら苦労して読んでいた。ページを繰る時の手つきは、俺のよく知る大雑把な爺さんだったが、ページに落とされる眼差しは、真剣そのものだった。彫りの深い、しわくちゃの顔は、その時アインシュタインの如きだった。

 俺は見舞いの帰りすがら、爺さんがなぜこの期に及んで宗教の本なぞに手を出したのか考えた。俺はふっと思いついた思いついた考えを信じた。やっぱり爺さんも死が怖いのだろうと。
 恥ずかしいことじゃない。誰だって恐怖の淵に立たされたら救いの言葉を述べる。別に高尚で由緒ある言葉でなくていい。
「おぉ神よ! 救いたもれ! 」
 神にとってどうしようもないことでも、どうにかしようのあることでも、神はその言葉に応える。唱えた人の心の隅にひっそりあらわれて、うーん困った、などと言ってもらえるだけで、その時の信心ある者にとって救い足りえるだろう。
 子供の頃の俺にとって、そういう存在は爺さんであった。
 ある時、もっともっと俺がちっちゃい子供だった頃、二人の兄とサッカーをして庭で遊んでいた。その時二番目の兄がメチャクチャに蹴って、木に引っかかって落ちてこなくなった。爺さんも親父も母さんも出かけてしまっていて大人が誰も居なくて困った。でも居なくてほっとした面もある。こんなことが親父に知れたらまた怒られると思ったからだ。しかし二人の兄は違った。ボールが引っかかったのを見ると、何を気にする風でもなく、要領よく俺を置いてその場を逃げ出して、家の中に置いていかれたおやつを食べに行ってしまった。
 俺は慌てた。――親父も母さんも、爺さんもいない。親父が帰ってくる前にボールを片付けるべき場所に戻さないと――現場に俺だけというのも、バツが悪かった。前にもボールをなくしたことがあった。やっぱり俺のせいになっていた。兄達にずるいとギャアギャアわめきたてたところで何も変わりゃしない。前になくしたボールはやっぱり俺が「やったこと」になっていたし、輪をかけて兄達は手をかけさせるようなことを「してこなかったこと」になっていて、俺に信用なんてなかったからだ。
 俺はどうもしようがない。「おお神よ! 」と俺が心の中で呟いた時、爺さんがひょっこりと庭にあらわれた。
 爺さんは競馬が好きだ。その日も競馬場に行っていた。勝った日は優雅にタクシーで帰ってくるが、歩きで帰ってきたその日は、負けた日と見ていいだろう。庭に入ってきた爺さんを見つけて、俺は駆け寄って事情を説明した。爺さんは家の中でもまだ俺を信用してくれる大人だったからだ。爺さんはボールの引っかかった木の下で、あごに手をあてて、
「うーん困った」
 などと言った。
 爺さんは決して頼りになる人ではなかった。算数の宿題で俺が困っていた時、爺さんに聞いた。できあがった宿題を翌日学校に持って行って、それを先生に提出したら授業後にひどく怒られた。どうしてこんなに間違いがあるのかと、間違えるならまだしも、ほとんど間違っているのはどういうことだ。授業でやったことが全く身についていない、一体何をしていたと。俺はどうしようもなくって、爺さんに教えてもらったんだと白状したが
「こんなに算数を間違えるお爺さんがいるものか」
 とそっぽを向かれ、あげく呆れられた。
 そんな前例があるので、今回もあきらめ半分で俺は爺さんを頼った。せめて俺の言い分を信じてくれて、俺の言い分を聞かない親父との間に入ってもらって、親父の怒りを沈めてもらえるだけでもと思ったのだ。
「うん、ちょっと待っていなさい」
 と爺さんは言った。俺は思っても見なかった爺さんの言葉に驚いた。爺さんは俺を置いてさっさと家の裏手にまわると、ステンレスの長い棒を持って戻ってきた。そうして爺さんはこれで取ればいいと言って、ボールの引っかかった木の下まで行って、ヒョイヒョイと棒を茂みの中で動かして、ボールを落としてくれた。
「爺さんすごいや! 」
 俺は大喜びで落ちてきたボールに飛びついて、爺さんに礼を言った。爺さんは気をつけて遊ぶんだよと言って、ステンレスの棒をどこかにやって、さっさと家の中に入っていってしまった。
 俺は得意満面だった。兄達も家の中にいたから、ボールは一人占めだった。ドリブルの練習をしたり、リフティングの練習をしたり。兄達はリフティングがうまくて、俺は一番下手だった。何度も何度も失敗しては、練習をずっと繰り返していた。
 陽がちょっと傾いた頃、親父と母さんが帰ってきた。ただいまと言われ、おかえりと言った。俺がお腹すいたと言うと、母さんが、おやつをまだ食べてないの、と言った。俺はすっかりそれを忘れていた。
 俺が居間でテレビを見ながらおやつを食べようとした時、親父がすごい勢いで居間に入ってきた。俺が何か言う前に親父が、また面倒を起こしやがって、と言った。何が何だか俺にはさっぱりだった。恐る恐る、どうしたの、と聞くと、とぼけるな、洗濯物を放り出して、とこたえた。こいと言うので、ついて行くと、物干し竿がなくなって、ハンガーに掛かったままのシャツやら、下着やらハンカチやらが、だらしなく落ちていた。物干し台の片方にかたまって落ちている。
 あっ、と俺は思った。物干し場は家の裏手にある。爺さんは家の裏手からステンレスの棒を持ってきた。もう片方のきちんと洗濯物がかけられた物干し竿があるが、それは爺さんの持ってきた長いステンレスの棒と瓜二つだった。今眼の前にしてそれに気付き、どうやって爺さんが棒を持ってきたのかも理解できた。
 俺は察したと同時に、何も言えなかった。物干し竿を持ってきた爺さんに悪いと思ったし、それに元々、ボールを木から取るためだったなんて言えない。そして、そもそも親父は俺の言うことなんか聞きゃあしないことを重々承知していたからだ。

ライセンス

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おやすみジンクレエル 【未完】

2010年7月15日、習作。主人公の宗教的背景については煮詰めていないのでちぐはぐなところがあります。指摘がありましたらどんどん取り入れていこうと思います。久しぶりにまとまった量が書けましたので、人目に付くところに上げてみました。肩に力入ってるんだか抜けてるんだかわかりません。
続きに関しては追記の形で……やっていけたっけ?とにかくおいおいということでお願いいたします。

何がしかご意見いただけると幸いです。失敬。

閲覧数:107

投稿日:2010/07/15 22:31:12

文字数:3,323文字

カテゴリ:小説

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