呑気に鼻歌を歌う我が子を眺め、俺--レオンハルトはため息を吐いた。果たしてこれから、一体どのようにこの子と接すればよいものか。そう考え、また一つため息を吐く。
 今までは、ただ、いざという時の身代わりとして育ててきた。先日、思わず庇い、きちんと父と娘であること、彼女の盾になることを決意するほどには愛情を持って接してたのかも知れないが、自覚しているのとしてないのとでは雲泥の差がある。
 ぐしゃぐしゃと何かを描き散らしていた手を止め、父親が自分を見ていると気がつき、花が咲いたように笑う少女。その無垢な笑顔に、心のどこかが痛む気がした。
 彼女に本当に愛情を注ぐはずだった両親は、俺がこの手で殺してしまった。彼女の本当の名前も、もう二度と分からなくしてしまった。そんな俺が、はたして本当に彼女を私守っていいものか。
 暗くなる思考を、頭を振って追い払う。愛情表現の正しさが分からぬまま、美味しいものでもあげようか、と腰をあげる。
 「ジェルメイヌ、焼き菓子があるんだ。おやつにするか?」
 全く、敵が恐れ、味方も恐れるこの俺が、こんなことで右往左往しているのはさぞ滑稽だろうな――と思わず苦笑する。
 おやつ、という言葉に少女は一層顔を輝かせ、強く頷いた。
 「ジェルメイヌが、準備する!」
 父より早く、と台所へ走る。小さな手で必死に足台を運ぶ少女を見て、ふと、別の疑問が浮かぶ。
 『この子は、どうしてあの時俺を庇ったのだ?』
 カサカサと焼き菓子を袋から出し、皿の上に並べる少女の横に立ち、顔を合わせぬように紅茶を淹れながら一度考える。だが、結局分からずじまいだった。聞くしかないのか、と若干沈んだ気持ちで慎重に言葉を選びつつ、問いかける。
 「……なあジェルメイヌ、父さんは、弱く見えるか?」
 カサ、と音が止まる。少しの間頬骨のあたりに視線を感じていると、父さんは誰よりも強いよ、と少女が答えた。
 なおさら分からなくなる。
 「……なら、どうしてあの時俺を守るようなことをしたんだ?」
 あれだけの敵に囲まれて、自分が狙われているという状況も理解していただろうに。そんな状況でその小さな手に剣を持ち、前に出るためにはどれほどの勇気が必要だろうか。
 父親だから、というだけでそれほどまでに慕ってもらえるものなのか?
 「だって、父さん、いっつも痛いって顔してたから、私がいるよって見せたかったんだもん」
 あれだけ顔を合わせぬようにしていたのに、思わずはっと横を見る。真っ直ぐにこちらを見つめる彼女は、少し恥ずかしげに、それでも俺を気遣うような顔をしていた。
 心底意外だった。自分が他人に心配されたり、気遣われたりしたことなど、今までなかったのだから。だが……
 「そんな顔を、していたか?」
 彼女の言う『痛そうな顔』が分からない。日常的に痛みを感じたことなどなかったはずだ。精神的な痛みを指すのかもしれないが、敵国の民を惨殺しても、もはや波風の立たない水面のような心境でいるから、精神的な痛みの原因も思いつかない。
 勇敢な少女とはいえやはり五歳児。きっと勘違いだろう。
 「父さん、独りぼっちって顔してる」
 なぜか彼女のほうが泣き出しそうな顔をしながら、小さく重い言葉が心の隙間に入っていく。
 「私に笑ってくれるけど、たまにしか私を見てくれない。父さんは私を見てるけど見てないんだよ。いっぱい一緒にいたって、私も一人でいる気持ちになっちゃう。父さんが見てくれなくちゃ、私も独りなんだよ!」
 大きな瞳いっぱいに涙をため、それでも零すまいと唇を噛み、スカートの裾をきつく握る少女。
 ようやく、彼女がどうして庇ってくれたのか分かってきた気がする。俺がどう思い、どう振る舞っていようが、この子にとっては唯一の親なのだ。血がつながってなくても、人質替わりとして育てていても、それでも五年。どうして無関心でいられると思ったのか。
 空っぽだった心に、温かいものが満ちる気がして、気がつくと愛しい我が子を優しく抱きしめていた。
 「父さんが、良い人じゃなかったら、どう思う?」
 「ジェルメイヌがお仕置きして、ごめんなさいしにいく!」
 まだ世の中の汚さを理解してないゆえの可愛らしい言葉。けれども、もうそれだけで十分だった。胸の中の小さな蝋燭に、火が灯ったようだ。
 「……ジェルメイヌ。父さんは、いくつも間違えるかもしれない。ちゃんとした父親にはなれないかもしれない。それでもいいか?」
 ぎゅっと抱きしめ返される。
 「ジェルメイヌの父さんは、父さんだけだよ!」
 ぽた、と滴がたれる。視界が滲み、自分が泣いていることに気がついた。頭を撫でられる。小さな手から伝わる、確かな温もり。ああ、もはやこの暖かさを忘れて生きることなどできないだろう。
 「……すまない。準備、続けようか」
 にっこり頷き、再び焼き菓子を並べだす愛娘。茶葉を用意しつつ、考える。
 きっと、自分の罪への罰はいつか下されるだろう。その時がいつ来るかも分からない。正しさなんて、時代によって変わってしまうのかもしれない。それでも、この小さな光が、いつか誰かを照らせるかもしれない。誰かを守る、盾になれるかもしれない。
 ならば、精一杯足掻いてみよう。すでに血にまみれた俺でも、もう独りではないと、この子が教えてくれたのだから。
 鼻孔をくすぐる紅茶の香りは、苦味を内包した上品さがあった。


 アルスがルシフェニア王国を建国したときに、マントを身に着けた。血のように赤い布の周りに、俺を導いてくれる夫婦の髪の色をつけたものを。
 アルスがグーラ病で死に、跡継ぎを巡り醜い争いが起きた。彼の忘れ形見の双子は、哀れにも切り離されてしまった。
 姉は、記憶を失った。そして弟は、名をアレクシルからアレンへと変え、俺のもとへ養子にきた。ジェルメイヌも、急に弟ができたことに戸惑っているようだが、きっと上手く行くだろう。彼女は優しい子だから。
 アルスの代わりに国を支えていたアンネ女王もいなくなり、あの娘が国の統治を始めた。リリアンヌ。悪ノ娘だ。国の全てを搾り取るような政治。人を人と思わず、両親が築いたものを全て壊すような振る舞い。
 ああ、一体どこで間違っていたのか。

 そして今、俺は月を眺めてる。哀れな愛すべき馬鹿息子は、ポロポロとみっともなく泣いている。彼は、独りになった姉を選んだのだ。肉親を大切にしたい気持ちを、俺が責めるわけにはいかない。これが俺への罰ならば、仕方ないことなのだから。
 なんとか言葉を絞り出しつつ、胸の中の灯火を思う。この光は、彼女を、彼を照らせたのだろうか。それならば、きっと俺は、あのときより幾分か素敵な人間になれているのだろう。
 心残りがないといえば、嘘になる。それでも、ただの人殺しではなく、誰かの灯火として死ねるなら、それは満足だ。
 「……泣くなよ」
 アレン。お前は大人を嫌っていたが、俺はお前も等しく愛していたよ。本当は、俺のもとで幸せになってもらいたかった。
 さよならだ、ジェルメイヌ。俺は正しい父親じゃなかった。だけど、お前は幸せになってくれ。きっと無理な望みだろうな、と思いながら、俺は静かに目を閉じた。
 夜空に慟哭が響く。どこかの家で、一杯の紅茶が飲み干された。

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赤イ鎧ノ女剣士ト悪ノ召使ノ灯火

レオンハルト=アヴァドニア。
彼はきっと正しさなんて知らなかった。
本当の家族も知らなかった。
人に恨まれることもあっただろう。
それでも彼の炎は、二人の子に受け継がれた。
その光は確かに誰かを照らしていた。
継がれていくその光が何処へ向かうのかは分からない。
どのような結末を迎えるのかも、我々には分からない。
唯一言えることは、きっと独りは寂しいということだけだ。

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投稿日:2018/09/27 23:49:03

文字数:3,007文字

カテゴリ:小説

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