エピローグ
 王宮の奪還より、早二ヶ月が経とうとしていた。
 王宮二階の広間には、剣の傷跡や落としきれていない血痕が残っており、あの時の凄惨さを物語っている。
 自らがここで宮廷楽師として召し抱えられたのが、もう一年も前の事になるとは、男には到底思えなかった。あっという間に過ぎた怒涛のような毎日に思いをはせ、男はどこかしみじみとしてしまう。
 あの後、男が気を失ってしまった後、民の熱烈な歓迎をもって、焔姫は復権した。焔姫は新たな国王として、皆の想像以上に辣腕を振るっている。
 焔姫。
 いや、今はもう焔の女王と呼ぶべきかもしれない。そんな事を考えて、男は思わず苦笑しそうになってしまう。
 以前、焔姫が「余はまつりごとは向かん」と言っていた事を、男は思い出す。そして、それは嘘だろう、と考えた事も。
 男の考えていた通り、やはり焔姫は政治でも素晴らしい才覚を持ち合わせていたようだ。
 復権して最優先で行ったのは、街の防衛の再編だったそうだ。
 何よりも危惧すべき事態は、この混乱に乗じて国を隣国に乗っ取られてしまう事だったからである。
 言われてみればその通りではあるが、男はそこまで考えが及びもしなかった。
 焔姫は将軍とともに軍と近衛を再編し、当面の間の街の出入りについて、制限まではしないものの監視の強化を行った。
 次に行ったのが、死者の埋葬である。王宮の裏手を墓地とし、元宰相と元貴族、そして賊だった者たち以外のすべての者を埋葬した。元宰相たちの遺体は、街から離れたところで焼かれたそうだ。死者の埋葬には、焔姫自らも王宮前広場で一人ひとりの遺体を運んだらしい。男はその間ずっと意識が戻らず、手伝う事は出来なかった。後から男が聞いた話になるが、前国王である焔姫の父親の遺体がそこで見つかった時、焔姫は言葉を失い泣き崩れたのだという。
 埋葬を終えると、主要な者に指示を出し終えてから、焔姫は三日三晩に渡り墓地で祈りを捧げ、弔い続けた。
 多くの民が焔姫の心身への負担を心配したが、彼女は頑として弔いをやめようとしなかったそうだ。
 その後、街を清潔に保つ事と並行して、国家として他国との交渉を再開した。
 今までやる機会が無かったとはいえ、やはり政治でも絶妙なバランス感覚を持ち合わせていたようで、難しい交渉の多くを有利にまとめていったそうだ。
 元宰相が多くの重税でため込んだ金は、この復興に協力してくれた民への報酬という形で還元した。増えた税や罰則は廃止し、前国王の時のレベルに戻したという。
 元宰相の頃にはあまりにひどかった腐臭も、ようやくではあるが、ほとんど気にならない程度になってきている。
「……で、どうしても考え直すつもりはないと、そう申すのじゃな」
 緋色の衣をまとった焔姫は広間の傷だらけの玉座に座し、不満そうに男へと告げる。
 街の復興の際に、焔姫は王宮内の装飾に関しては後回しにしていた。焔姫いわく「王宮の意匠よりも民の暮らしが優先じゃ。わざわざ説明するまでもなかろう」との事だ。
「……申し訳ございません。ですが、どうか理解いただきたく存じます」
 男は、変わり果てたしゃがれ声で答えると、頭を下げる。
 ……男の傷は、確かに命に関わるものではなかった。
 だがしかし、その傷は男の喉や肺に、一生残る傷跡をつけた。
 男は死ななかった。だが男は、吟遊詩人としては間違いなく死んでしまったのだ。
 以前の澄んだ伸びやかな声からは想像も出来ないほど、そのしゃがれ声は耳障りで聞き取りにくかった。
「……そんな声では、吟遊詩人としてやっていけぬだろうに」
「吟遊詩人としてやっていけない以上、私は宮廷楽師としてここにいるべきではないでしょう」
「ぐ……」
 苦言をていするも、男にそう返されては、焔姫も言葉に詰まってしまう。
 膝をついている男は、質素な平服に身を包んでいた。脇には、真新しい弦楽器を抱えている。男はこの都市国家を出て、また旅に出るつもりなのだ。
「……それに、元罪人という肩書きが無くなったわけでもありません。苦難の道を歩み、今ここで復興しようという時に、私のような者が足かせとなるわけにもいきますまい」
「たわけが。なれが……この国が窮地に陥った時に多大なる貢献をした事は、誰もが知っておる。なれに感謝しておるのは、余だけではない。なれが留まる事を歓迎する者はおっても、うとましく思う者なぞおりはせぬ」
 焔姫の言葉に、同席していた多くの者がうなずいてみせる。だが、男は悲しげに首を振った。
「……果たして、本当にそうでしょうか」
「……何?」
 男の言葉に、焔姫は眉根を上げる。
「アンワル殿と同じような思いを抱いている者が……少ないとは、私には思えません」
「それは……」
 焔姫が、再度言葉に詰まる。
 焔姫の復権。
 それに、男の存在が不可欠だったのは事実だろう。男がいなければ、焔姫の命は無かった。それは間違いない。
 しかし。
 同時に、元近衛隊長の反逆は男がいたからこそ起きた事態だったというのも、また事実なのだ。
「このまま私がこの国に残れば、要らぬいさかいの種となるやもしれません。この国がようやく混乱から立ち直り、落ち着こうとしている矢先に……そのような事が起きて欲しくはありません。この国と私には……時間が、必要なのです」
「……」
 焔姫は反論出来ぬまま、男を見る。その視線は、男以上に悲しげだった。
「余は……なれにいて欲しいのじゃがな……」
 焔姫は、誰の耳にも届かない声音で、さみしそうにつぶやく。
「……何か、おっしゃいましたか?」
「いや……何でもない」
「……?」
 疑問顔の男を見ながら深いため息をつくと、焔姫は立ち上がって男へと近づく。
「なれの旅路に幸多からん事を。そして願わくば、またこの地に寄りたまえ」
 膝をついたままの男へと手をかざし、そうやって祝福をする。
「……まったく。なれの頑固さはいささかも変わらぬな」
 腰に手を当てて肩をすくめると、焔姫は不満を隠そうともせずにぶっきらぼうにそう言った。
「また……帰ってきますよ。土産話を持って。それに……私が身を落ち着ける場所というのも、この国しか考えられません。たとえ……どのような問題があったとしても」
 苦笑気味の男に、焔姫はようやくではあるがほほ笑みを浮かべる。
「早く帰ってくるがいい。その時は、なれの書いたあの曲を、なれよりも上手く歌ってみせようではないか。歌えぬからといって……余のあずかり知らぬ所で餓死でもしてみよ。ただでは済まさぬからな」
 焔姫は腰を曲げて身をかがめると、じとっとにらみつける。
 そんな焔姫を前に、男は苦笑をやめ、真面目な表情で小さく告げる。
「一緒に……来ないか?」
「……!」
 焔姫にだけ聞こえる声で、男は告げる。真剣そのものの男の顔には、冗談を言っている様子はなかった。
 その提案に面食らう焔姫に、男は続ける。
「以前言っただろう? この国を救ったあとでなら、すべてを投げ出してもいいのではないか、と。今までずっと頑張り続けてきた貴女が、これからもずっと頑張り続ける必要なんてない。投げ出すのなら今だ、メイコ」
 そう言ううちに、男は悲しげな顔をしてしまう。この一年の間、ずっと隣にいた男には、焔姫の返事が分かってしまっているからだ。
 そんな男の様子に、焔姫はどこか安心した様子でほっと息をつき、苦笑する。
「離れがたいのは、余だけなのかと思ったではないか……」
「え? 何と……?」
「……何でもない。余の答えが分かっておるからといって、そんな顔をするな」
 焔姫の言葉に、男も苦笑してしまう。
「……そう、ですね」
「余は、この国を守るので忙しい。早く帰ってくるのじゃぞ。老婆になってしまってからでは、なれの子は産めぬからの」
「……は?」
 意味をとっさに理解出来ず、男はぽかんと焔姫を見上げて固まる。焔姫は妖艶なほほ笑みを浮かべて男を見下ろしている。
 他の者たちがその場にいる事に気を払いもせず、男の視線に自らの視線をからめると、焔姫は手をのばして、そのほっそりとした指先で男のあごを持ち上げた。
 固まったままの男に、焔姫はそのまま顔を寄せ、唇を重ねる。
「……っ!」
「ん……」
 王宮の広間にいた者たちも、思わず息を止めてその光景に見入ってしまう。
 男はぼう然としたまま、まぶたをぱちくりとさせた。今までで最も近くにある焔姫の端正な顔から、目をそらす事など出来るはずもなかった。その唇の感触以外の感覚が麻痺して、何も考えられなくなってしまう。
「……ふぅ」
 やがて、そんな甘い吐息を残し、焔姫は唇を離した。その顔は上気していて、艶っぽい笑みを浮かべている。
「あ、の……。メイ、コ?」
「ふふっ……。余のくちづけは高いぞ。その意味が……分かるな?」
「……」
 ぱくぱくと口を動かすだけで何も言えない男に、焔姫はどこか満足そうに笑うと、背を向けてそのままさっそうと広間から出ていってしまう。
 焔姫が退出して、とたんに広間にいた者たちがざわめき始める。だか、そんな雑音など男の耳には入りもしなかった。
「は……はは……」
 膝立ちもしていられなくなり、男はかわいた笑いとともにぺたんと広間の床に座りこむ。
 これは、とんでもない事になったかもしれない――。
 それはもちろん、男にとっても嫌な事であるはずもなかったが……。男は、そんな風に考えると、笑わずにはいられなかった。

 かつて、西方と東方のはざまには、栄華を誇ったとある都市国家があったそうだ。
 資源のとぼしいその国は、当時の大国と比べれば決して豊かではなかったはずだが、水源があった事もあり、西方と東方をつなぐ貿易の要として長く繁栄した。
 その国には、紅蓮をひるがえし、干上がる大地をすべる焔の姫君がいたのだという。
 そこでは今でも、焔姫と、そのそばで常に付き従っていた吟遊詩人の物語が語り継がれている。民があこがれと親しみを込めて呼んだ、その名を関した曲とともに――。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

焔姫 47 ※2次創作

最終話

ここまでおつきあいいただき、本当にありがとうございました。
また、原曲作曲の仕事してP様、ありがとうございます、と同時に本当に申し訳ありません。おそらく本来の楽曲のイメージとはかけ離れたものになってしまってるんだろうなと……。
……まず、そもそも舞台が日本だったのかな、とか。中東とか選んで本当に申し訳ありません(深々)

ストーリーの構成についても、もう少し考えればよかったな、と思っています。
三人称で書くなら、もっと出来る事があったはずなので。
第十章を書き始める頃になって「てか、このプロットなら一人称でも書ける内容になってるよね……」とか気づきまして(遅すぎる)。カイト視点で話を進めるが故に、ちょっと無理してるところもあったりするのですが、そもそも三人称で書くならそんな無理してカイトと会話させる事なかったよね、とかいっぱいありすぎる……。反省。

ドキドキハラハラ、という要素がうまくいっているのかは正直分かりません。そうでもなかった、とか、よければコメントで教えて戴ければ幸いです。厳しい意見の方がためになるんですよ(笑)

ともあれ、半年で更新を終えられてホッとしています。
トータルでのページ数は文庫本換算で約310ページ強。こんな長編になるとは。

また、例によっておまけがあります。
二人のこのあとの事が知りたい方は、前のバージョンにお進み下さい。

あいかわらず次回更新予定はありません。
また、素敵な楽曲に巡り会う事があれば、またこちらに顔を出すかもしれません。機会があれば、また。
次に挑戦するなら……ミステリかな……いや、さすがにミステリは無理かな(苦笑)

閲覧数:200

投稿日:2015/05/31 23:37:46

文字数:4,132文字

カテゴリ:小説

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  • ganzan

    ganzan

    ご意見・ご感想

    半年間にわたるご執筆、お疲れさまでした。

    1つの章ごとに、1時間の大河ドラマを見ているような気分で読み進みました。

    ・ドキドキ
     第五章の刑執行猶予の展開。「必ずこの現状をひっくり返すような演奏になる!」という、ある種の約束されたカタルシスへの予感がハンパなかったです。
    ・ハラハラ
     第七章ラストの急展開。この後、物語がどう転んでもおかしくない流れで「次週へ続く」だったので、モヤモヤハラハラでした。
    ・ジワジワ
     第四章のお忍びデート(?)で、人々が焔姫に気付かず面前で褒め称える場面。自分が認めている人が、お世辞抜きで誰かに褒められているのって、自分の事みたいにこそばゆくてギューってなるんですよねぇ。
    ・その他
     日本が舞台だと思い込んでいたので、宰相の「サリフ」という名前で、やっと「ああ、外国なんだ」と気付いたりしました……。

    不穏な未来を匂わせるエピローグですが、ここから「番凩(仕事してP様)」の物語へ続いたり――なんて妄想してみたり。

    仕事してP様の曲はいくつか拝聴していましたが、「焔姫」は今まで知りませんでした。さっそく聴いてみたのですが、物語と相まって、第七章での演奏の場面が浮かんでくるようでした(イントロが最高!)。こういった相乗効果で、互いの作品に思い入れが生まれたりするのが好きです。素敵な小説をありがとうございました!

    周雷文吾様が投稿されている小説は、敢えて色んなジャンルに挑まれているように感じています(ピアプロ以外のご活動は存じ上げておりませんので、あくまでピアプロ内での話です)。挑戦的な姿勢に、私自身のモチベーションも湧いてくるのを感じました。

    今後も応援しています。

    2015/06/22 02:02:00

    • 周雷文吾

      周雷文吾

      >ganzan様

      いつもメッセージをありがとうございます。
      返事が遅くなりすぎて申し訳なさいっぱいの文吾ですm(_ _;)m

      ドキドキハラハラ、というのがうまく伝わっていたようで、よかったぁ、と胸をなでおろしています。
      お褒めの言葉ばかりで気恥ずかしい限りですが……もっと厳しい事言ってもいいんですよー(苦笑)

      プロット書く前の漠然としたイメージでは、七章の所はすでにエピローグのつもりでした。
      焔姫が強すぎて窮地にならないので、七章以降を追加したのですが、そんな裏話もあり、七章は「一見、物語が終わりそうな雰囲気を出そう」と思って書いていました。
      「あれ、これで話も終わりかな……カイトこの国から出ていくって言ってるし。ってえええーっ! 焔姫刺されちゃったよ! え、どーすんのこれ! 次! はよ次!」って思わせようとしてました。
      どうやらうまくいったようで、よかったです(笑)
      まぁ……結局、怪我をしてても闘いでは最強のままだったんですが(汗)

      最近はあまり聴いていないのでうろ覚えですが、「番凩」ってそんな不穏な話になりそうな歌詞でしたっけ。
      どうあがいても原曲とはかけ離れたオリジナルになってしまいそうなので、仕事してP様に申し訳なさ過ぎますよ……(苦笑)

      おや、「焔姫」はご存知なかったのですね。まさか自分の書いたもののおかげで原曲ファンを増やせるとは……。一つ、仕事してP様に恩返しができたかな……と思ってみたり(笑)

      察しの通り、自分はピアプロを半ば実験場として使ってます。自分がやったことのないジャンルのものを書いてみたり、物語を面白くするためにはどうすればいいのか試行錯誤してみたり……。
      それが功を奏しているのか……小説としてのクオリティは上がっている、と……信じたい(遠い目)
      ……という割に、現状ではピアプロ以外での活動を行っておりません。オリジナルを書いてはいるんですけどね……。どこにも載せず、誰にも見せないまま、自己満足の極みみたいな感じで。またそのうち、ホームページでも作ろうかなと思ってはいるのですが、これがまためんどうくさ……(以下略)

      ともあれ、このような長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
      ganzan様の作品も、実はこっそり読ませていただいております。私の方からもこっそり応援しておりますので!

      2015/07/14 21:33:57

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