「ミクの歌には不思議な、いえ、不可思議な、というべきでしょうか。そういう力が宿っているようなのです。あの娘が歌うと、周囲にある楽譜が独りでに燃えてしまう」
OPENの看板をCLOSEDに変え、コーヒーを二人分淹れたケンジロウさんは、カウンターを挟んで向かい合う僕に、そう切り出した。
「楽譜が独りでに?」
背もたれ付きの椅子に腰掛け、コーヒーカップを手に、僕は眉を顰めた。いきなりの突飛な告白に、上手いこと反応ができない。
「カイトさんも見たでしょう? ミクの歌で、楽譜が焼けるところを」
「それは、まあ、そうですが……」
あの時は細かい理屈を考える心の余裕がなかったが、考えてみれば、火の気が一切ないあの場所で、あのように紙を燃やすには、なんらかのトリックを用いなければならない。てっきり、時限式の発火装置のようなものを使ったのだろうと思っていた。しかし、ケンジロウさんはミクの歌が楽譜を燃やしたのだという。
そんなことが起こり得るのだろうか?
「信じがたいのは分かります。けれど、これは本当のことなのです」
僕が疑問を感じているのを読み取ってか、ケンジロウさんは穏やかに、だが力強く言い切った。
「それは、ここが“楽譜(スコア)の焼き場”であることとなにか関係があるのですか?」
ことの真偽を確かめる術はない。だけどケンジロウさんが嘘を吐いているようには思えなかった。ひとまず目の前の人の言葉を信じることにして、僕は何気ない質問を投げかけてみる。
時計屋という、“楽譜(スコア)の焼き場”とは何の縁もなさそうな店が受け付けである理由は、ミクの持つ力が関係しているのだろうか。
「そうですね。それについては、順を追って話しましょう。……あの娘の両親がもうこの世にいない、ということは知っていますか?」
コーヒーを一口啜り、ケンジロウさんは液面に瞳を落として尋ねる。
「ええ、ミクから聞きました」
かちゃりとカップをソーサラーに戻して、僕は答えた。話の出だしからして、あまり良いものではない気がして、僕の胸に微かな不安が灯る。
「聞いていましたか。そうです。あの娘の両親は、あの娘が幼いときに他界しました」
故人を懐かしむ目を宙に向け、ケンジロウさんは瞳を閉じた。
「火事です」
火事。その単語から連想する言葉は、炎だ。そして、ミクの持つ力もまた炎。
「火事、ってまさか……!」
口にするのも憚られる、最悪な状況を想像してしまった僕は、思わず腰を浮かした。
『歌っちゃいけないんです、私は』
戒めるようなミクの台詞が耳に蘇る。まさか、そんな残酷なことが……?
「放火でした。自宅に火を着けられて。犯人はまだ捕まっていません」
「放火……」
すとんと、椅子に腰が落ちる。思い浮かべた最悪の予想が外れて安堵するも、ケンジロウさんの沈痛な面持ちは、話がそれで終わりではないことを物語っていた。
「不幸中の幸いは、あの娘がその場に居合わせていなかったこと。そして、最も不運なのは、あの娘の両親が炎に巻かれているとき、あの娘が歌を歌っていたことです」
「……っ!」
息を呑む。
「持って生まれた体質のせいで思うように歌えなかったあの娘は、時折り我慢しきれず、家を抜け出して歌を歌っていたのです」
タイミングを見計らったかのように、時計の針が三時を示し、壁掛け時計から人形が現れる。男女一組のブリキの人形は手を組んで踊り、オルゴールから流れる小さな音符が店内を横切っていった。
僕は想像する。少しの罪悪感と大きな開放感を持って歌ったあと、戻った自宅が炎に呑まれている様を目の当たりにした少女が感じた衝撃は、いかほどのものだろう。
「あの娘は、ミクは、その時を境に歌うことを止めました。気付いてしまったのでしょうね。自分の力がこのような惨劇を引き起こす可能性を持っているということに」
「でも、彼女のご両親が亡くなったのは、彼女が原因じゃないんでしょう? それでミクが苦しむなんて、おかしいですよ!」
こんなことをケンジロウさんに言ったってしょうがない。分かってはいるけど、どうしても声が荒くなってしまった。
だってそうじゃないか。ミクは何も悪いことはしていない。なのに……。
ケンジロウさんは悲しげに微笑んで、カップの淵に指を滑らした。
「一度、あの娘に問い詰められたことがあります。本当は私の歌が火事の原因だったんでしょう、皆で私を騙してるんじゃないの、と。長い間思い詰めた気持ちが破裂したような剣幕でした」
踊りを終えた人形が時計の中に引っ込み、規則正しい雑音が店内を支配する。
「やっていないと証明するのは、やったと証明するよりも遥かに難しい、ですか?」
遣る瀬無い思いと共に僕は吐き出した。
「そうです。そして力はこれからもあの娘に付き纏う。あの娘が歌うたび、周りの人たちに被害が及ぶかもしれない」
「だけど、そうじゃないかもしれない」
周りの皆の理解と協力があれば、歌うこと自体は不可能じゃない。現に、彼女は歌っていた。僕の目の前で歌っていたのだ。
口をついて出た僕の反論を聞いて、ケンジロウさんはふっと微笑んだ。
「ミクが再び歌うようになったのは、私の妻の言葉がきっかけでした。『燃やしてもかまわない楽譜ならば、むしろ燃やして欲しい楽譜ならば、そのために歌ってもいいのではないの?』と」
「なるほど、それで“楽譜(スコア)の焼き場”なんてものが生まれたんですね?」
ケンジロウさんは黙って首肯する。
「残念ながら、妻とは一年前に死に別れてしまいましたが、今もミクは歌ってくれています。……それも、いつまで続くかは分かりません」
願わくば、昔のように無邪気に笑い、歌ってくれるあの娘に戻って欲しいものですが。
そう言って、ケンジロウさんは話を締めた。こくりとコーヒーを一口飲む。僕もそれに習った。まろやかな甘みが口の中でほどけ、最後にはほんの少しの苦味が残った。
「なぜ、僕にこんな話を?」
赤の他人に近い僕に、どうしてここまで踏み入った話をしてくれたのか。話してくれたことは認められたようで嬉しいけれど、疑問がないといえば嘘になる。
「長いこと時計屋をやっていると、自然と目端が利くようになるのですよ。この時計を着けるのはどんな人が相応しいのか、もしくはこの人にはどんな時計が似合うのか、とね」
すっと僕の腕時計に目を落とすケンジロウさん。無意識に腕時計に手を触れ、そしてここに来て僕は初めて気が付いた。これがただのお礼ではないことに。僕の人柄を試す品であったということに。
「あとは、強いて言うなら」
真っ直ぐに僕を見据えてケンジロウさんは言う。
「あなたの涙がとても純粋だったから、でしょうか」
「!」
忘れていた痴態を思い出し、恥ずかしいやらなにやらで、僕は縮こまって何も言えなくなってしまった。そんな僕に悪戯っぽい笑みを見せて、ケンジロウさんは立ち上がる。
「思いのほか長くなってしまいました。年寄りの長話に付き合わせてしまって申し訳ありません」
「いえ、そんなことは。こちらこそ、話してくださってありがとうございます。……ご馳走様でした」
残ったコーヒーを飲み干して、僕も立ち上がった。空になったカップを片付けながら、ケンジロウさんは僕に告げる。
「明日の夜、八時に以前と同じ場所で待っていますので」
「……よろしく、お願いします」
深々とお辞儀をして、僕はその場を辞した。今しがた聞いた話で揺れる心を自覚しながら。
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