『ココロ・キセキ』-ある孤独な科学者の話-[4]
「先生!!この間の追試の答案を返してもらいにきました!」
突然飛び込んできた声に、レンは飛び上った。
うず高く積まれていた本と紙の壁が、ダ――――ッとレンを雪崩となって襲い、レンを床に押し倒す。
「う、うわっ! だ、大丈夫ですか、先生!」
あわてた声が、くずれた紙の塀の向こうからやってくる。
「い、いま、助けます、先生!すみません、答案を返して頂きに……」
やかましく紙の海をかき分けてやってくるのは、この春入学したばかりの一年生だ。学部生だが、ずいぶんとレンになついていた。
「織也、タクミ、……」
友人とやかましく名を呼び合っていたところを聞いて、レンは真っ先に名前を覚えた。
青味がかった黒髪の、活発な少年だ。大学に入る年で少年というのもおかしいが、無邪気な様子がまるで中学生なので、レンはこっそりタクミ少年、と呼んでいる。
「急に声をかけるな馬鹿野郎!それに、20時以降は入室禁止だ!」
「す、すいません……棟の入り口にきた時点で、19時50分だったものですから」
言い訳にもならない理由を並べるタクミに、これだから学生は、とレンはため息をつく。
「学部生は、夜はこの棟には入れないんだが?」
「すいません! 非常階段から昇って、中の人に開けてもらいました」
そこまでして、今日中に答案を返してほしいものか。時々、このタクミの意欲には圧倒される。
しかし、成績の方は、残念な結果が多い。タクミの所属する学科の、全教官の見解の一致するところだった。
レンは立ち上がる。散らかった室内をぐるりと見回す。そして、書類をかき分けてやってくるタクミを見やる。
「本当に、申し訳ありません……僕、片付け手伝います」
「いや、かまうな、大丈夫、」
みなまでレンが言う前に、
「ひっ!」
タクミが悲鳴を上げた。
震える指が、崩れた本の一角を指している。
「せ、先生……人が、死んでる!」
「んなわけあるか!」
無造作にレンは、タクミの指差したものをつかみ、引っ張り上げた。
ぎゃあっとタクミが悲鳴を上げる。
「手が!……ヒトの腕が!」
と、タクミの視線が止まった。
腕の付け根からずるりと伝わる、ケーブル。
「あはは……なんだ、びっくりした……ロボット……」
正体を確認したタクミは、緊張の糸が切れてしまったらしい。
憮然とするレンの前で、腹を押さえて笑い出す。
「あ、あー、怖かった……。カガミネ先生が、毎夜毎夜研究室に引きこもるのは、死体を隠しているんだって噂があって。本当かと思っちゃいました」
「バカか君らは!」
レンが、手にした腕で、思わずぽかりとタクミの頭をはたく。
「いってぇ! わ、本当に人間に殴られたみたい。
って、それ、精密機械なんじゃないんですか!?そんな、乱暴にあつかって、大丈夫なんですか?!」
レンは、ふっと笑った。
「いや、大丈夫だよ。『人間』が、そう簡単に壊れたら、困るだろう?」
「え、『人間』って?」
レンは、タクミに向かって自嘲的に笑った。
「……しかたない。俺の隠していたものを、見せてやる。変な噂を立てられたらたまらないからな。
ただ、これは私的な研究だ。……誰にも言うなよ」
タクミの目の前で、レンは人形を組み立て始めた。
胴。両足。両腕。最後に、
「頭、っと」
取り出された頭部に、タクミがぎょっと息をのむ。レンは意に介さずに、胴の上にその首を乗せた。
かちり、と、接合の音がした。
「……」
じっと見守っていたタクミが、ごくりと喉を鳴らした。
人形のまとう、やわらかな髪の色。白いリボン。
「女の子、だ」
「そうだよ。『Rin』、起きなさい。お客様だ」
ブン、と小さな起動音が、散らかった研究室に響いた。
月の光が、暗い窓に差し込む。
ふっと人形が目を開けた。
機械的なものを感じさせない、自然な動きに見えた。うん、と一度首をふり、窓を見やり、そしてレンと、目を見開いて驚いているタクミを見た。
『こんばんは。レンさん。そして……はじめまして。私は、リンです』
タクミを見つめて、Rinがふわりとまなじりを和ませた。
タクミは、驚きのあまり、声もでない。
「……奇跡だ」
レンは笑った。
「そうでもないさ。人間の出来る動きを、やっとできるようになったところだ。……私の技術では、まだまだ駄目だな」
「そんなことない!」
タクミが興奮して、レンの手を取った。もう一方の手で、リンの手をとり、強引に握り合わせた。
「オレ、タクミです!織也タクミ!
すっげえ! すっげえよ、先生! オレ、初めて見たとき、本当に人が死んでいると思ったもん! うわ、触った感じも人間みたいだ! あったかいし、しゃべってるし、笑顔だし……、そうだ、起きた時に、窓の外、見ましたよね?夜だから?夜だから、こんばんはって言ったし!」
「いや、あったかいのは起動中だからで、笑顔は私がそうプログラムしたし、起きたら時間を確認して挨拶するようにしたもの、ただのプログラムの反応にすぎない……」
「こんなにすごいの隠していたなんて、先生、やっぱりすごいよ!さすが、世界の奇跡、レン・カガミネだ!!」
レンがどう事実を述べようと、興奮したタクミには通じないようだった。
「いや、おい、ちょっと、お前、……落ち着け!」
「だって、だって!」
タクミが、きらきらと尊敬のまなざしを、レンに向ける。
「そりゃ、ずっと作ってた先生にとっては当たり前かもしれないけど、オレにはびっくりっスよ!本当にすごい! どうして発表しなかったんですか! そしたら、へんな噂だって立たなかったのに」
「タクミ。悪いが、これは、私的な研究なんだ」
静かなレンの声に、タクミはやっと、我にかえった。
「発表は、できない。……したくない」
レンの表情に、暗い影が落ちた。その表情を、じっと人形が見つめていた。
「すみません、先生。オレ、はしゃいじゃって……。だれにも、言いませんから」
タクミは、そっと人形とレンの手を離した。
そういえば、カガミネ先生は、奥さんを亡くしたばかりだと、上級生から聞いたことがある。
その人の名前が、鏡音、リン。
気さくで笑顔のかわいらしい方だったと聞いていた。
タクミは、心臓にどっしりとのしかかるものを感じた。
「……重いよ、先生」
「ん、何か言ったか?」
人形の手を取ったまま振り向いたレンの表情を、タクミはさびしそうだと感じだ。
「い、いいえ!なんでもありません!」
顔をあげて、にやりと笑った。
なるべく、いたずらっぽく、明るく見えるよう、意識して。
「オレ、だれにも言いませんから!……先生が、ロリコンだってこと!」
「……は?」
レンが驚愕に口を開けるのを見て、タクミはわざとらしくあははと笑った。
「だって、なあ!セーラー服に黒のホットパンツの、金髪美少女!
オレも、じつは結構好みです。
よろしくね、リンちゃん!」
タクミは改めて、Rinの手を取る。
Rinが、微笑んでその手を握り返す。
『はい、タクミさん、よろしくお願いします』
「ええい、よろしくせんでいいわ、こんなやつ!」
レンの脳裏に、不意に昔のほろ苦い光景がよみがえり、思わず年甲斐も忘れて叫ぶ。思わぬ教授の乱入に、タクミが驚いて手を離す。
Rinは、笑顔のままだ。
ああ、と、タクミは笑った。
「惜しいな。ここは驚くところだよ、リンちゃん」
と、レンがタクミに詰め寄った。肩をつかむ。
「タクミ!」
「ご、ごめんなさい先生! オレ、ふざけすぎました?」
レンの剣幕に驚くタクミの前で、レンの口がカパカパと動く。
「いや、違う、怒ったわけではない。そうか……、そうか!ここは、驚くところ! そうだな、タクミ!」
タクミの肩を揺さぶり、レンは叫ぶ。タクミは、がくがくとうなずく。
「そうか!人の『ココロ』……うん。二人の人間が目の前にいれば、学習は早いかもしれない。
うん!うん!!」
紙を蹴散らし、レンがぐるぐると呟きながら歩きまわる。
本がばさりとさらに崩れ、挟んであったメモがレンの靴で踏み潰される。
「タクミ!」
「はい! すいません!答案返して頂けたら、すぐ帰ります!」
おびえたタクミに、レンは首をふり、笑顔で告げた。
「すまんが、答案は当分出てこない。この惨状だからな。
出てこない、が……かわりに、単位は出す!もう追試など互いに無駄な時間を使うことなどない!
お前、俺と共同研究しないか?」
「へ?」
タクミが、固まった。
「あ、あの?研究って、まさか、この?」
レンはうなずく。
「で、でも、オレ、追試になるような頭だし、それに、不器用だし……まだ、なにも知らないし」
レンが、そっとタクミに近づいた。
「頼む。俺は、この娘に、『ココロ』を持たせたいんだ。
でも、どうしても、わからない。
さっき君に指摘されたとおり、自然に笑ったり泣いたり、驚いたり……
そんな『ココロ』が、どうしても、できない」
「先生、」
「ずっと、俺はひとりでこの娘を作ってきた。
もしかしたら、それがそもそもの間違いで、俺は取り返しのつかない時間を失ったのかもしれない。
だから、頼む。
これから、なんとしても、取り返したいんだ」
レンが、教授のレンが、なんと学生のタクミに向かって頭を下げた。
……[5]へつづく
コメント0
関連動画0
オススメ作品
トイレの中に入り お花摘んで
一息ついていたら 不意に電気が消えた
トイレで踊るよ 私にライトを浴びせて欲しいの
トイレで踊るよ 闇を切り裂いて 今すぐトイレダンス
やっと灯りがついて ホッとしたら
座ってるのに何故か 水が流れだした
トイレで踊ろう 流されないように リズムを合わせて
トイレで踊ろ...トイレDEダンス
よし屋@吉屋りん
「生きててごめん」を飾り
少年Aはお預け
知らぬが仏の規律
なあなあにして破っていく
生きててごめん「お飾り」
お気に入りを手元に
あからさまな高待遇
殺しにかかれクソな豪遊
見栄え悪い?
言葉悪い?...ecoh-iechy 歌詞
MidLuster
枯れた大地詠み
有限の呵責問う
烈風に煽られ
黎明彼方
生きる術を
求め探しても
誰も彼も
失われてしまう
閉じた理破り
覚めぬ夢果てる日まで...ゾヲンスターク
音海洋湯
小説版 South North Story
プロローグ
それは、表現しがたい感覚だった。
あの時、重く、そして深海よりも凍りついた金属が首筋に触れた記憶を最後に、僕はその記憶を失った。だが、暫くの後に、天空から魂の片割れの姿を見つめている自身の姿に気が付いたのである。彼女は信頼すべき魔術師と共に...小説版 South North Story ①
レイジ
何もない世界に私と鏡だけ
神さま譲りの百合加護の中で
目が覚めた時代は窮屈で
暁に閉じ込めたアイデア
見せかけの建前を焼き付けられた
表通りばかりじゃないこの空の下
親しいシルエットを誘って夜更けまで
さあ踊りましょう
喜びも哀しみも無差別に映すから
カガミライ 手を重ねて...カガミライ_歌詞
はるしゅたP
*3/27 名古屋ボカストにて頒布する小説合同誌のサンプルです
*前のバージョン(ver.) クリックで続きます
1. 陽葵ちず 幸せだけが在る夜に
2.ゆるりー 君に捧ぐワンシーンを
3.茶猫 秘密のおやつは蜜の味
4.すぅ スイ...【カイメイ中心合同誌】36枚目の楽譜に階名を【サンプル】
ayumin
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想