吹きすさぶ風にも負けない熱気に包まれた野外ステージ。撤収のスタッフに紛れ、鏡音レンはもう一度そこへ立った。
眩しいくらいのライト、オーディエンスの黄色い歓声。パートナーとも言えるバンドメンバーのおかげで、今日のステージも上手くいった。細かな反省点はあれど、成功を収めたと胸を張れるこのステージが満足出来なかったのは、いつでも隣にあった姉である鏡音リンの姿が無かったからだろうか。
双子であることを活かして一緒に歌うことも多かったし、ソロの活動をしていても彼女は関係者席で応援してくれていた。姉離れが出来てないわけじゃないと思うが、ただ何となく空虚な気持ちを持て余してしまう。
被っていたタオルで頭を乱雑に掻きむしると、レンは誰も居ない楽屋へと戻った。
おかえりと言ってくれるのも、お疲れ様と水を手渡してくれるのもリンで。これからは静かなのが当たり前なのかということを考えないように、次の仕事へ向かうため荷物をまとめる。
「――あ、先に連絡しておかなきゃ」
ステージが終わったこと、今から向かうと次の現場には何時頃に入れそうなこと。複数のアーティストを担当するマネージャーへ連絡しようと携帯電話を取ると、着信履歴が一つ。誰もが仕事中であることに遠慮してかけてこないのに、余程緊急の用件でもあったのかディスプレイには見知った名前『神威がくぽ』の文字が表示されていた。
時間を確認しても、少しだけなら余裕はある。レンは嫌な予感を払拭させたくて、神威への連絡を急いだ。
無機質な機械音のコールを待つこと数秒。長く感じたそれが終わり、低い声が諭すように名を呼んだ。
『レン、落ち着いて聞ける状態か?』
「うん……なんとなく、わかっているけど」
リンが隣にいない理由。それは彼女のソロ活動が忙しくなったとか、盛大な姉弟喧嘩をしたからでもなく、ただ一つの願い事のために自らを危険に晒したからだ。
『そうか、話が早いな。……カイトが目覚めた』
「そう、なんだ。言い出したら聞かないからね、リンは」
『ただし、あれは以前のカイトじゃない。ただのボーカロイドというだけだ』
ギリギリと締め付けるように携帯を握っていた手が緩む。一瞬、神威が言っていることが理解できなかった。
自分たちの兄として、ときに先生のように歌を教えてくれたカイト。彼に不調が訪れたとき、パーツの在庫が無くて手立てが無いことにマスターは悲しみ彼自身も苦しんだ。
その姿を見たくなくて、救うと言い出したリンを誰もが止めた。レンも止めたかった。
けれど、彼女がどんな目でカイトを見ていたのか知っていて、半身のようなレンが歌い続けてくれるから大丈夫と笑顔を見せられれば、何も言えなかった。
「……自分がどうして起動出来ているか、知らないっていうの?」
『そうだ。本当のマスターはおろか、お前たちとの記憶も失っている』
「そんなのってないよっ!!」
勢い任せに電源を切り、そのまま叩き付ける。回転しながら床を滑る携帯は、何かにぶつかって止まった気配があるものの、レンの涙は止まらなかった。
どんな思いでパーツを分け与えたのか。
どんな気持ちで目覚めてくれるのを待っていたのか。
失うばかりで欠片ほどの幸せも手に出来ないだなんて、どこまでこの世界は彼女に非情なんだ。
「なんでだよ……カイトまで失ったら、何のためにリンは――!」
鏡台を叩き付けて、ずるずるとしゃがみ込むレンの叫びを聞く物は誰もいない。
ただただ止めきれなかった自分の無力さと、決行してしまった大人たちへ怒りが募るばかりで、これからどうすれば良いのかなんて、なに一つ思い浮かばなかった。
突然切られた電話を手に、思わず呆然と見返す神威はため息を吐いて不通であることを告げる機械音を止める。
手元には、詳細を説明しようと広げられていたリンに関する資料があるが、これを告げるには時間を置いた方が良いのかもしれない。
「私に怒鳴られても困るのだが……」
「なに、レンってば取り合ってくれなかったの?」
マグカップを二つ持ったメイコが神威に声をかけると、広げられた書類の一枚と引き替えるようにそれを置き、まるで雑誌でも読むかのように軽く目を通す。
リンからカイトへのパーツ移植に関しては、簡単ではあるがメイコ自身も説明を貰っていた。だから重要なことは全て知っているはずなのに、聞かされていなかった一文が目に入る。
「……ねぇ、この稼働時間に関しての項目って、なに?」
「私たちにとって、声を出す機能というのは一番重要な物だ。それを失うのだから、バランスを保てなくなって当然だろう?」
冷静に言い返す神威を信じられない物を見るかのように見つめても、その答えを覆してくれることはない。
最終的に許可したマスターを問い詰めたくとも、創作意欲を湧かせるためにと放浪癖のあるあの人は、旅先から戻ってくることなど少なくて、この件が一段落ついた今、次はいつ戻ってくるかなどわかりはしない。
「あたしは諦めないわ。カイトの記憶も、リンの寿命も」
書類に書いてあることなど、今に嘘へと変えてみせる。
そう意気込みながら部屋を出て行くメイコへ苦笑しながら、神威はひらひらと舞い落ちる投げられたそれを手に取った。
「機械の示す数字は限りなく決定に近い未来。それを覆せるのは人の持つ未知の力であって、我々ヒューマノイドには存在しないというのに」
それでも、最初から分かったように諦める自分と違い、可能性にかけたリンをバカにすることなど神威には出来なかった。
自分と彼らは、何かが決定的に違うところがある。もしかしたら、それを埋める何かを知ることが出来るかも知れないと、彼らの行く末を楽しみするのだった。
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