ぽうっとした表情で、ミクが花を見つめていた。
「綺麗ですね。赤と紫色のアネモネ。ヴィーナスの涙だわ」
花瓶に挿された数輪のアネモネの花を見て、ミクはわけのわからないことを言った。しかし、ちゃんと意味はある。アネモネは、ヴィーナスが愛していた少年、アドニスが命を落としたときにヴィーナスが悲しみで流した涙から生まれた花といわれているのだ。そんなことなど知らないアカイトはどう対応して良いのかこまって、キカイトのほうをみた。
当のキカイトは、ミクにいつもついているはずの執事のところに電話をかけているところだった。
「ええ、ですから、できるだけ早くいらっしゃってほしいのですが――」
相手もミクが居ないことに気がついて焦っていたところらしく、少し安心したような声で、言う。
「――それでは、今からそちらに向かいます。ただ、少し遠いので、明日ごろになるだろうと思います」
「はい。それまでは、こちらで保護しておりますので、安心なさってください。それでは」
電話を切って、今度はキカイトがアカイトのほうに目をやった。おろおろして、ミクが何を言っているのかもよくわからず、おそらく、アカイトの耳にはミクの言葉がドイツ語かフランス語かあるいはヒンディー語にでも聞こえているのだろう。
まあ、その辺のたしなみが歩きカイトには内容がよくわかるのだが、その辺のたしなみがない、運動馬鹿のアカイトには判らなくても仕方がないとは言える。
「綺麗でしょう?私が選んでいるんです」
笑顔でミクのほうによっていく。ぱっとアカイトの表情が明るくなった。助かった、とでも思っているのだろう。
「まあ、そうなんですか?とても綺麗。やっぱりこういうものには、作った人の性格が写るのね。素敵だわ」
「ありがとう御座います。では、私たちはそろそろ行かなければ行けないのです。ミクさんはどうなされますか?」
「もう少しここにいてもいいですか?お花がキレイなので」
「ええ、どうぞ。仕事が終わりま次第、戻ってきますから、それまで。…では。行きましょう、アカイト」
「ああ。それじゃあ、また後で」
「はい」
にっこりと微笑み、ミクは答えた。
部屋を飛び出てきてしまったが、どこに行けば人間界に戻ることができるのかもよくわからない。第一、この城も全部同じような構造で、どこに行っても同じ所を歩いているような感覚がする。出口もわからない。
奥から、キカイトとアカイトが歩いてくるのが見える。とっさに曲がり角の死角になるところに隠れた。二人が通り過ぎていくのを待ってから、二人が歩いてきたほうをじっと見て、そちらへ走っていく。
部屋はそう多くない。一番奥の、一番大きな部屋のドアを開いた。
「…誰も居ない…?」
「どちら様?」
「えっ」
思わずリンは声を上げた。
「こっち、こっち。ドアで見えないのよ。ドアを閉めると良いわ」
声の通り、部屋に入ってドアを閉めて辺りを見回すと、花を見て微笑む可愛らしい少女の姿が目に映った。
キレイな人だな――。
美しいのではない。白いワンピースが、緑色の透き通るような髪の毛の中に光を称え、ひらひらと風にはためいた。
赤い花と紫色の花を嬉しそうに見るその姿は、神話に出てくる安らかな笑顔の女神を思わせた。その女神がリンのほうを向いて微笑んだ。
「貴方、だれ?」
「わっ私はかっかがが…鏡音リン!」
思い切り名前をかんでしまった。
くすり、と少女が笑う。
「貴方は?」
「私は…くす、だれかしら?」
「え?」
「忘れちゃった。さっき親切な…そう、キカイトさんに教えていただいたのは、ミクといったはずだわ」
「貴方も、ヴァンパイアなの?」
「いいえ。キカイトさんがいうには、私はヴァンパイアと人間のハーフなんですって」
微笑んで言う彼女の表情からは、ハーフであることに対しての罪悪感などはかんじられない。確かにハーフであることが罪に問われるわけではない。しかし、ハーフは肩身の狭い思いをしていたことにかわりはないだろう。
記憶を無くしているとはいっても、ハーフだということに気がついたなら少しは落ち込みそうなものだが…。
「ああ、この花、貴方みたい」
「え?」
そういってミクが差し出したのは、紫色のアネモネだった。花瓶に挿してあった、数厘の内の一輪を、リンに向かってそっと差し出したのである。
「紫のアネモネ。花言葉は『貴方を信じて待つ』」
「貴方を信じて…」
アネモネを受け取り、リンがミクの言葉を繰り返していると、今度は扉のほうに赤いアネモネを差し出して、言った。
「そこの君は、こっちかしら」
「…バレバレ?」
「レン、何やってんの?ずっと見てたの、変態っ!覗き魔っ!」
「うるせっ!」
恥ずかしそうに出てきたレンは、リンを心配していたのだ。
「赤いアネモネの花言葉は『君を愛す』。お似合いだわ」
そう言ってアネモネをレンに押し付けると、今度はレンの背中を押してリンと向かい合わせると、一度手を叩いた。
「さあ、花の交換。互いの気持ちを花にこめて」
そうミクが言ったのを聞いて、リンが小さく口を開いた。
「…さっきは、ごめん。私、本当はレンと離れたくないだけなの。もっと一緒にいたいのに、身体は段々辛くなってくるの。痛くて、寂しくて…」
「俺が悪かったんだ。ああでも言わないと、リンは戻らないと思ったんだ。けど、やっぱり、俺だってリンと離れたくない。でも、そうしないと、リンが死んじゃうかもしれないと思ったら…」
二人とも言葉に詰った辺りで花を相手に押し付けるように渡した。
それから二人、三人でそっと笑った。
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