君恋る音(きみ・こうる・おと)
1.お代は39,640円なり(配送費無料) ①
「……あ~~……」
―せっかくの休日、外は快晴、ピッカピカの9月の青空…と言うのに、葉月の心はどんよりと曇り空。
朝っぱらから、一人で部屋の中、TVもつけず、音楽もかけないで頭抱えて唸っている、と言うのは、傍から見ればさぞかしおかしな図、だろう。
「あ~…やっぱ、あれだよ…今日来ちゃうんだし……今更~……後悔してるんじゃないけど…」
誰もいない、というのに、思った事をすぐ口に出す、ぶっちゃけ独り言が増える、というのは、一人暮らしをしている人間共通の癖なのかもしれない。例え、それがアパートメントタイプの学生寮だったとしても。
「…注文してから一週間あったんだからその間に覚悟決めちゃえば…あ~…でもぉ…うあ~」
キッチン、ダイニング兼用ともなっているリビングのスペースをうろうろと歩き回りながらぶつぶつとつぶやき続ける、はっきり言ってアヤシイ人だ。
「やっぱりさぁ、音痴の人間が『VOCALOID』買ったって、歌わせてあげらんないわけでぇ~……それはやっぱりKAITOがかわいそうだよねぇ……」
うあ~、と頭を抱え立ち止まる。そのまま、ちょうど横にあったソファにすとん、と腰を下ろし、葉月は深々とため息をついた。
『VOCALOID』とは、今からちょうど100年程前、21世紀初めに日本のYHM社が技術を開発し、イギリスのZ.G.社や日本のC.F.M.社、IN社などから販売されたヴォーカル用音声合成(シンセサイザー)ソフトウェア、いわゆる「歌うシンセサイザー」のシリーズの名称だ。
21世紀初めの当時、まだ人間に近い歌声を作れるシンセサイザーソフトウェアは存在していなかった。ゆえに、この『VOCALOID』は、その後の同種のソフトウェアに多大な影響を及ぼした。
この「歌うシンセサイザー」は現在、通称してこう呼ばれている。[Singer](シンガー)―〈歌う者〉―と。
…『VOCALOID』こそが、“シンガー”の〈始まりの存在〉なのだ。
シンガー・ソフトウェアの〈始まりの存在〉である『VOCALOID』シリーズは、発売から改修、アップデートを繰り返しながら22世紀の今日まで販売され続けてきた。
現在では、擬似的なものではあるが、人格を持ったタイプも存在する。
そして、最近になって『VOCALOID』シリーズの初期の6機種が、この擬似人格(パーソナル)タイプとして再発売されたのだ。販売元は日本のC.C.M.社。
まず最初に女声型の「MEIKO」、3ヶ月ほど遅れて男声型の「KAITO」、さらに半年ほど経って、5ヶ月前に女声型の「初音ミク」。この後、女声型の「鏡音リン」、男声型の「鏡音レン」、女声型の「巡音ルカ」の発売も決まっている。
そして。葉月が先程―いや、もっと正確に言えば一週間前からため息をついたり唸ったりしている、と言うのも、この『VOCALOID』、正確に言うと「KAITO」が原因なのだった。
もちろん「KAITO」自身に何の責任もない。問題は、彼女、西荻葉月がいわゆる“音痴”―音楽的才能に欠けている、と言う事なのだった。
「MEIKO」、「KAITO」、「初音ミク」の再発売以来、コンピュータネット上の音楽や動画の投稿サイトでは、『彼等』の“声”を使った歌の動画が爆発的に増えた。
もちろん、それ以前から、『VOCALOID』シリーズを使った動画は数多く存在しており、中には21世紀初めのヴァージョンのソフトを、仮想マシン(異なるOSで稼動するもう1つの仮想のコンピュータをコンピュータのシステム上に作る―MICROSOFTの『VirtualPC』など)ソフト上で稼動させて作られたと言うものも存在する。だが、それと比較しても、今回の擬似人格(パーソナル)タイプの再発売以来の爆発的な人気は凄まじかった。
「MEIKO」や「KAITO」、「初音ミク」の使用者―マスター達が、ネタものから大真面目な楽曲(「MEIKOの本気」、「KAITOの本気」などと呼ばれたりする)まで様々な音楽、動画を作成して投稿する。それがまた、新たに彼等『VOCALOID』を購入する人間を生む―と言う循環が生じている。
そして―。とある、「にっこり動画」と言うサイトで見た「KAITO」に、葉月は言わば“一目惚れ”してしまったのだ。
時には伸びやかに、また時には艶やかに、甘く、時に掠れて、切なく。ソフトウェアとは思えない人間味と、人間を超えた技巧で、様々な歌を歌う。歌い方もその歌声も、曲に合わせて自在に変わる。
その歌声は、彼が、KAITOが歌を、歌う事を本当に好きなのだ、と思わせてくれて。
もちろん、自分の音楽的才能の欠如は葉月も解っていたから、自分で「KAITO」を購入するつもりはなかった。
だから。葉月は、ずっと、KAITOの歌声を聴くだけで良い、と思っていた。誰か、自分以外の人間の元であっても、彼の、KAITOの歌を聴いているだけで良い、と。そう、思おうとしていた。
…でも。ある日、抑えていた、押し込めようとしていた感情が顔を出す。
『KAITOが好き』だ、と言う想い。…“恋”、としか呼びようがない、愚かな感情。
いくら擬似人格(パーソナル)を持つと言っても、KAITOはソフトウェア―ロボットプログラムである。この想いが“幻影(まぼろし)”である事は解っていた。それでも。
“幻影(まぼろし)”だろうが、愚かな感情だろうが、『KAITOが好き』だと言う想い、『彼と一緒にいたい』と言う想いを抑える事は、もう葉月にはできなかった。
そして、新しく、子供型のロボットのボディを持ったヴァージョンの「KAITO」が発売される、と聞いて、\49,550と5万円近い値段、自分の才能の欠如にも関わらず、申し込んでしまったのだ。「KAITO」の購入を。
「そりゃ、音痴なりにがんばって歌わせてあげられるようにするつもりだし、後悔なんかしてないけどぉ…」
どう考えても、自分が彼をうまく歌わせてあげられるとは思えない。だとしたら、KAITOにつらい思いをさせるだけじゃないの?
でも。今日、彼は、KAITOは来てしまう。歌わせてあげられない、自分の元へと。
―そう。これは罪悪感。ワガママな自分に振り回される、KAITOへの。
カウンターに置かれた電話が、20世紀風のちょっとレトロな、軽快なベル音を鳴らす。
「うわァ、はいっ、はいはい!今出まぁす!」
葉月はあわてて電話に飛びついた。内線着信―寮の中からの電話である事を確認して受話器を取る。
「はい、西荻です。」
『ああ、葉月さん?木原ですけど。』
「せっ、先生!?」
受話器から流れてきた担当教官の声に、堂々巡りになりかけていた思考が一瞬止まる。
『お待ちかねのKAITO君が来たわよ。早く下に降りてらっしゃい。…お財布、忘れないでね。』
木原教授の涼やかな声がころころと告げる。
―うっわ~…;;来たぁ!来ちゃったぁ~~…!
内心、葉月は悲鳴を上げた。
財布を持って寮の1階へと降りる。仙台市内の再開発区域にあるこの学生寮は、葉月の学ぶ工科大学の所有で、1階には、併設されている職員寮と共通で使われているティールームがある。このティールームは、しばしば外からの来客の接待にも使われる。今回の配送もそれだった。
ティールームのドアを開けた葉月に、フリルたっぷりのブラウスとギャザースカートをまとった小柄な少女が駆け寄る。長袖のTシャツとジーンズという少年のような雰囲気の葉月とは対照的だ。
「あ~、葉月ちゃん♪KAITOくん、きたよぉ♪♪」
「…春奈先輩。…わっ」
「はやくはやく♪」
少女めいた外見(だが、彼女は20代半ばだ)に似合った鈴の音のような声と、ふわふわとしたしゃべり方で、春奈が葉月の腕を取る。そのまま葉月を引っ張っていく。
「葉月さーん、こっちこっち!」
窓際のテーブルの横で、春奈よりは背の高い(ただし葉月よりは低い)、カッターシャツにジーンズ姿の女性が手を振った。彼女の立つ横のテーブルには、葉月の担当教官である木原教授がピシッとスーツ姿で(休日だと言うのに!)席についており、その向かい側にはどうやら配送業者がいるようだ。
葉月が春奈に引っ張られていくと、気づいた木原教授が視線を向けてきた。
「あら、来たわね、葉月さん。」
「一週間前からずーっとグダグダと往生際の悪いコトを言ってんだもん、逃げ出すんじゃなかろうかと思ったよ。」
木原教授の涼やかで柔らかな響きの声がと微笑う。対照的に、女性としてはトーンの低い、何処か少年のような声が苦笑した。
「…木原先生~。蒼衣(そうえ)先輩もやめてください~……」
からかいの混じった二人の台詞に、葉月はげんなりと声を上げた。
確かに、購入を決めて注文してから一週間、傍から見れば往生際の悪いとしか言いようのない事をグダグダと言い続けていたかもしれない。
しかし。『逃げ出すんじゃなかろうか』とはどういう事だ。
自分は、そんなに気が弱いとでも思われているんだろうか?
―…否定し切れないのが、ナンなのだが。
「えーと、西荻葉月さんですか?」
配送のおじさんがソファから立ち上がり、葉月に向き直る。横に、白いコートを着た青い髪の青年が立った。助手さんだろうか?
「商品の代金をお願いできますか。後、こちらにサインを。」
差し出された明細は、
【C.C.M. 『VOCALOID』 CVR 00-01β KAITO 数量 1 ¥39,640-】
となっている。限定特別割引価格で、先に発売された擬似人格(パーソナル)タイプと同じ値段なのだ。よし、間違いない―と。
「えー…と、4万円からお釣りお願いします。」
代金を支払い、明細にサインをすると、助手の男の子が、小型のビデオカメラ(に見えるもの)を取り出して葉月に向けた。カメラのレンズを、葉月の目の高さにぴたっと合わせる。
「声紋と、眼底毛細血管のパターン登録を行いますので、お名前を、フルネームでおっしゃってください。」
「西荻葉月です。」
青年の、不思議に透き通った、深い青の瞳が葉月を捕らえた。その瞳と、少し高めの、柔らかでそれでいて深みのあるテノールに誘われるように、葉月は自分の名前を告げる。
―あ、この人も良い声してる。結構ハンサムだし……。誰かに似てるかな。
そんな事を考えていると、声と眼底毛細血管パターンのデータを採取し終えた青年が、何やらカメラを操作して配送のおじさんに渡した。
そして、彼は、再び葉月に向き直ると、にっこり笑ってこう言ったのだ。
「声紋と眼底毛細血管パターンの登録を完了しました。…では、今日からよろしくお願いしますね、My Master 葉月!」
…………―え…………?
〈To be conntinued〉
《注釈》
2008年現在、実際にクリプトン・ヒューチャー・メディアから発売されている『VOCALOID KAITO』の製品番号は「CRV-02」です。作中の「00-01β」は、前出海藍さん作のこれもニコニコ動画内「KAITOでノベルゲー風味」シリーズ(一覧/http://www.nicovideo.jp/mylist/4232077)に出てくるモノ。まぎらわしいかとも思ったのですが、再発売の設定だ、と言う事もあり、お借りしました。〈長女〉のMEIKOから〈次男〉のレン、〈三女〉のルカまで6兄弟(ニコニコ動画からの「瓢箪から駒」設定ですね)通じたナンバーが欲しかったもので。
後、「MEIKO」、「KAITO」、「初音ミク」の再発売の間隔も短くなっています。
君恋る音(きみ・こうる・おと) 1-1
*この小説は、「ニコニコ動画」内「【KAITOの】偽乙女ゲーム(似非体験版・修正パッチ後)【販促、のはず】」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2318657(作者:海藍さん)よりインスパイアを得たものです。
なので、上記動画と似たシーン、似た台詞が出てくるかも知れません。あらかじめご承知ください。(海藍さんご本人からは承諾をいただいております。)
「VOCALOID」でKAITOで、女性マスターとのラブラブもの…になればいいなあ…と。
人間型ロボットが実用化されている(ただしそんなにそこら辺にゴロゴロいるわけではない)位の近未来(具体的に書くと舞台は22世紀初頭です)と言う設定。KAITO達VOCALOIDは、機体(ボディ)を持った人間形態ロボットとして登場します。
舞台は仙台市内、とある工科大学が中心となります。
尚、作中のKAITOの値段が現在の倍程に高いのは、ロボットのボディ付き、という事を考慮したもの。現実のハードウェアシンセサイザーなんて、もっと高いですからね;;(10万円以上なんてざら!)
後、実は「TWINSIGNAL」がらみのオリジナル設定(昔考えた未発表もの)も入って来ています。もし気がついてもスルーしていただけるとさいわいです。
*2010.12.10.―MEIKO、KAITO、初音ミクの再発売の間隔を修正。
ささき蒼衣(そうえ)
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ご意見・ご感想
ささき蒼衣(そうえ)
ご意見・ご感想
>cyotto様
拙作の拝読、ありがとうございます。
気に入っていただけたようでうれしいです。
ブックマーク、大歓迎です。
これからもよろしくお願いします。
2008/12/30 16:16:48
cyotto
ご意見・ご感想
愛コラボのご報告板より失礼いたします。
こういった設定、大 好 物 です!(
コメント欄に書かれている動画も、ほぼ拝見済みですので、私的にはオールおkだと!
マスターの葉月さん、子供型KAITOを注文したのに、でっかいのが来ちゃったのですねv
おいしいww
続きも読みたいな・・・と思うので、ユーザーごとブクマしても構いませんでしょうか?!
2008/12/28 14:02:27